第8話 誰も彼を責められない


俺の論文が正しいと証明されて嬉しい反面、冷汗も止まらないのを感じた。


「だから今になってダークウェブに出したんでしょ?当然よね。あの論文は既存理論を全否定してみせた。特に異能力は遺伝的素因によって決定されるという現在の通説を完全に否定するものだもの。バイオ産業と異能力業界は現在蜜月の関係にある。政府の科学研究費の多くは、遺伝的素因と異能力の関連を調査するバイオテクノロジーの方へ偏重してる。だって異能スキルの開発以降、軍事力の中心は異能力に移ってしまった。戦車や戦闘機は高度な異能者の前にまったく歯が立たず、あの絶対兵器である核兵器でさえも、核分裂や核融合を抑止する異能スキルが発見されたことでただの置物になりさがった。いまや異能力に優れた兵士を大量に揃えることにアメリカをはじめとする大国たちは躍起になってる。核の相互破壊確証が崩れたことで、今やこの世界は極めて不安定な時代を迎えてるの。第三次世界大戦の足音を各国の政治家たちはリアルに感じているはずよ。だからこそ、あんたの論文はジャーナルなんかには載せることが出来ない。権力が論文掲載を差し止めるのは当然よ。だって異能力と遺伝的要因に関連がないのだとすると、今やっている研究は全部ただのゴミ。でもねそこには極めて強大な利権が存在するわ。研究が無駄だとすれば予算は下りなくなる。それにぶら下がってる研究者や企業、はたまた政府の役所。何もかもが困ってしまうことになる。だからあんたが憎いの。あたしもその利権にぶら下がっている存在だったからね」


 確かにそうだ。俺の論文は異能力の発動における量子計算の方程式に新たに次元を追加するとこで、効率化することを提案するものだった。当時の俺は異能力と遺伝的素因についての関連に強い疑いを抱いていた。そして、『現在の異能スキルの発動に行っている演算は完全なものではない。だから見かけ上、遺伝的素因によって異能力の強度が決定しているかのように観測させれている。ならば演算の方程式の拡張を行えれば、遺伝的要因の影響を受けずに誰もがつねに一定の異能力の発動が可能なのでは?』という仮説を持ったのだ。そしてそれはいくつかの実験によって証明された。そして俺は論文にそれを纏めてジャーナルに投稿。さらには学会でも発表。だけど反響はないどころか、非難が殺到。ブラッシュアップして再度発表を目指していたのだが、その前に匿名の告発により研究不正の疑いをかけられてしまい、学会を除名処分というなの追放を喰らい、さらには大学を自主退学に追い込まれた。


「なあ。兄弟が死んだって言ったな?どうして死んだ?俺の論文はどうやってお前の兄弟を殺したんだ?」


 研究当時の俺は学生らしく才能に溺れた傲慢で生意気な若者だった。科学的真理を追究することで、それが社会に対してどんな影響を及ぼすのか、全く考えていなかった。でも今ならわかる。科学研究行政とそこに絡む莫大な予算、さらには派生する技術が生み出す富は、人の命を奪うのにまったく不思議でないほどの大きな力を持っている。俺の論文は正しかった。そして世界を変えた。変わった世界は、それについて行けない者を容赦なく淘汰するだろう。心臓が嫌な音を立てる。


「あたしはアメリカ合衆国政府が創ったデザイナーズベイビー」


「っ…!…そういうことか…」

 

 それだけでピンときてしまった。



胸がきゅっと冷たく締め上げられた。


「そうよ。あたしたちは遺伝子操作で産まれた人工異能者の兵士。スター・カデット計画。古今東西、人種も民族も関係なく、様々な時代、そして世界各地から優れた魔術師、超能力者、呪術師、霊媒師、予言者、霊能力者、様々な異能者たちの遺伝情報をその国力でもって集めて解析し、優れた遺伝的素因を特定し、その遺伝情報をもとにあたしたちは作られた。明晰な頭脳、強い肉体、美しい容姿、そして何よりも優れた異能力をあたしたちは与えられて生まれてきた。すべては来るべき第三次世界大戦に勝利するためにね。あたしたちは祖国を守り抜き、その栄誉を世界に知らしめる先兵になるはずだったの。実際あたしたちは高度な教育を施され、アメリカが抱える各地の戦線に投入されたわ。そして異能戦闘において優れた成果を出し続けた。あたしたちは道徳を侵し、神の定めた倫理に背いて生まれてきた禁忌の存在。だけどね。それでもよかったわ。だってあたしたちは国に尽くし、社会と人民を守った誇りある存在だったんだから。…貴方が世界を変えるまでは」


 想像に難くない。遺伝的素因による異能力の強度決定は、不完全なアルゴリズムによっておこる見せかけの現象でしかない。だから俺の論文をもとに新しく異能力の発動を行えばどうなるか?デザイナーズベイビーと一般人との間に差異は一切なくなるのだ。俺の論文の提案する発動アルゴリズムであれば、異能力は外部的な演算力がすべてになる。つまりはコンピューターの性能がすべての世界だ。いつものCPU競争で事足りる。遺伝子なんて関係なくなるのだ。


「あんたの論文を元にした改良型デバイスを使用する一般兵の部隊と、あたしたちカデット隊が摸擬戦を行ったわ。…あたしたちは負けたの。異能力は外部的なデバイスの改良によって、いくらでも伸ばせるステータスに成り下がったわ。遺伝子なんていう後から変えることのできない変数は必要なかったことが証明された。軍は方針を速やかに変更したわ。新理論に基づくデバイスを揃えることで、平均の質を高めることへ戦略をシフトした。あたしたちデザイナーズベイビーの異能兵士は…いらない子になったの」


「…それで粛正されたのか…?そんな…」


「仕方ないでしょう。戦争に勝つためなら、ある程度の倫理違反や道徳を踏みにじる行為も必要だと、人々に理解してもらえる。でもそれが必要ないならば、わざわざ禁忌に触れて有権者や世論の反発を受けるリスクを侵すはずがないわ。あたしたちは全員、証拠隠滅の為に破棄処分されることになった…あたしだけが運よく生き延びられたのよ。そしてあんたを殺そうって決めたの。あんたがすべての始まりだもの。だから責任を取ってもらわなきゃ…じゃなきゃ…誰も…誰も…報われないから…。みんな頑張って国に尽くしたのに…どうしてあんな最後なの?なんであんたはあんな理論を発見しちゃったの…?どうしてぇ…。あんなものさえ見つからなかったら…あたしたちは今でも誇り高く戦っていられたのに…。みんなと一緒に…生きていられたのに…ぐっす…すん…うう…っ…ぁああ」


 とうとうマリリンは泣き出し始めた。この子の身の上に起きたことはあまりにも不幸だ。この子には何の責任もない。間違った前提で暴走した研究がこの子たちを産み出して、俺が正してしまった前提がこの子たちを殺してしまった。やるせない。なんだよこれ。こんなの。あんまりだ…。


「そうか…そうだな。うん。」


 俺はマリリンにかけていた拘束のすべてを解いた。そして彼女の手にハンドガンを渡した。ベットから少し離れたソファーに座り、俺は深くため息を吐いた。

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