4 平穏な日常は、おカンチョーから

 部屋に戻り学ランを着ながら考えを整理する。

 準備か整うと学ランをすんなり着こなせたことを不思議に思った。

 十年以上前だけど、何も迷うことなく着れた。

 身体が普段通りの生活に適応してる。

 精神は二十四歳だけど、習慣は十四歳のままか。


 十年ぶりに家族と家に「いってきます」と告げ、太陽が燦々と照りつける外の世界へ踏み出す。

 同じ制服の十代の列を追いかけると、急に気恥ずかしくなってきた。

 学校の正門に到着すると気分が落ち込み、段々と焦りが芽生える。


 ある日を境に僕は学校で浮いた存在となった。


 僕がくぐろうとする正門はワニかサメが裂けた口を大きく開き、牙を剥き出しにして待ち構えてるように思えた。


 怖い――――それが素直な気持ちだ。


 校門前で立ち尽くしていると、黒い風とでも言えば良いのか、背中に邪悪な意思を感じた。

 僕の背後で息を潜める存在は、砂嵐のスライムとは違う、攻撃性を醸し出す。



 な、何だ? 背中を撫でるような、気持ち悪い感覚だ。


 ま、まさか!?


 叫びと共に"ヤツ"の強襲を受けた。


「おカンチョォォォオオオーーーー!!」


 肛門を一点に突き上げられる衝撃。

 尻の穴から走る激痛は、地から沸き上がったいかずちが、大腸を貫き脳幹まで登りつめたような衝撃を受けた。

 それと同時に「ズブリッ!」という鈍い音が耳まで届く。

 さしずめ骨伝導の原理で、肛門が受けた強い振動を骨盤から脊椎へ伝い、頭蓋骨まで届くと鼓膜を震わしたのだ。


 そいつは忍者のように片膝を付き、僕の肛門へ挿入し、直腸の温度で熱をおびた切先ゆびへ息を吹き、冷ましながら捨て台詞を吐く。


「万条目、知ってるだろ? 俺にケツを向けたヤツはみんな死んでいった」


 振り向くと中学時代の親友、戸川・一輝いっきが勝ち誇ったように立ち上がり、校門前で肛門を押さえてひれ伏す、僕を見下げていた。


 僕は痛みが癒えぬ肛門を両手で隠しながら立ち上がり、十年ぶりにこの感触を噛みしめる。


 あぁ――――懐かしい。


 肛門に激痛が走った時は、怒りで我を忘れそうになったが、古き友の顔を見たとたん、それは懐かしさに変わり、慈愛の心が芽生えた。


 髪は茶髪の天パで、顔はモブキャラ特有の目、鼻、口が記号として、くっついているだけの平均値を越えない作り。

 その悪びれない、いやしい笑顔も十年の空白があると愛おしく思える。


 懐かしのじゃれ合い。

 自然と感情の波が押し寄せ、生暖かい刹那のしずくは止めどなく溢れ出ると、外気に触れて頬を冷やした。


 そんな僕を見て慌てて駆け寄る旧友は、なぐさみの声をかける。


「ま、万条目!? どうした? そんなに、おカンチョーが痛かったのか?」


「違うんだ……嬉しくて……」


「う、嬉しい!? おカンチョーされて嬉しいのか?」


「うん、嬉しい……」


「ウソだろ!?」


 僕は溢れる涙を止めるように、片手で肛門を押さえながら、空いた方の手で顔を覆う。


「日常がこんなにも尊いなんて、なんでもっと、早くに気が付かなかったんだろう」


「おカンチョーが……尊い?」


 旧友は後退りながら、優しい言葉を僕にかけた。


「万条目。周りの奴らお前のことを変態だって言っても、俺だけは親友だからな……中学卒業するまでは」


 旧友というより、親友のおかげで恐怖は木枯こがらしに巻き込まれたように消え去り、さっきまで立ちすくんでいた足は何も構えることなく校門を越えた。



 どうして僕は学校に怯え、不登校という選択におちいったのか。


 そうだ。きっかけは砂嵐の怪物。

 幽霊のように付きまとい、僕の精神を蝕んだ異形の存在。


 そのコトをクラスメイトに話してから、僕は変な奴、頭のおかしい奴と言われるようになって、学校に通わなくなった。

 誰も味方してくれないクラスメイトすらも、怪物に思えて怖かった。


 だから、誰にも言えない。

 言えば、また引きこもりの人生を繰り返す。

 何も言わずに人生をリスタートさせよう。

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