第240話 生産と清算③


 頭ではわかっている。どれだけ打ち解けた気になっても、こいつらは人を食べるキメラモンキーだ。決して油断してはならない。警戒を解いてはならない。


 洗脳と教育は奴らの専売特許なのだから。


 人間以上の団結力と、人間以上の知力と、人間以上の運動能力で人間を狩る恐ろしい種族なのだから。


 決してこの緊張の糸を切ってはいけない。


 けど、アダンダンとエヴァーランの魂にそんな色は見えなかった……


 二人の心に嘘は見つけられなかった……


 悪魔のように完璧に演じている可能性もあるにはある。けれど、そんな人間がゴロゴロ存在するなんてあり得ない。


 数学とも呼べないような簡単な話だ。


 今だけは都合のいい方に考えてもいいのではなかろうか?


 楽な方に考えてもいいんじゃなかろうか?


 この二人は、傷ついた僕を介抱してくれた親切な方達なんだって……






 そんなことを考えていたらいつの間にか眠っていたようだ。尿意を感じて目が覚めた。辺りは暗く、まだ夜中なんだろう。


 僕が寝ている、細枝を並べた上に葉を敷き詰めただけの簡易ベッドは、拠点というには余りにも大自然すぎて、虫が肌を登ってきても、蚊に全身を刺されていても、最早動じない体になってしまった。


 まぁめっちゃかゆいけど。かきむしりたいけど、かいたら血が出るだけなので我慢我慢だ。


 未だ肉食獣や強力な毒を持つ生物に襲われていないのは奇跡というほかないのかもしれない。


 そして気になるトイレ事情はというと……垂れ流しだ。


 動けないから仕方ないっちゃ仕方ないけど……おねしょが治るのも同年代と比較して早い方だった事が自慢の僕からしてみれば、かなりめっちゃ恥ずかしいわけで……


 しかも、尿や糞といった排泄物は自然界では栄養のある食べ物だ。虫にとっては御馳走だ。動物にとっても、排泄物の匂いというのは縄張りや獲物を見つける上で大きな意味を持つ。


 つまり、そのままにしておくと危険かつ居心地も悪いし臭いしかぶれるしで、二人に掃除して貰っている。出ちゃった度にどっちかを呼んで綺麗にしてもらうのだ。


 これが……まぁ……言わないでも分かると思うけど……すっごく、はぁ……すっごく恥ずかしいわけで……


 同性のアダンダンならまだしも、エヴァーランにやってもらう時なんかはどこを見ていたらいいのかわからない。


 ガン見するのもあれだし、かといって目を瞑るというのもそれはそれで濡れた手の感覚がより鮮明に感じられて、とにかく超はずかしいのだ。


 それでも食欲と睡眠欲に並んで三大欲求にランクインする排泄欲さんだ。望んでなくても出る時は出る。まともな食事は食べてないので量は少ないのがせめてもの救いだけど、出ちゃう時は出ちゃう。


「……いつ食べよっか?」


 僕が寝ていると思っているのか、小さめな声で話される二人の会話が聞こえて来た。


「そろそろじゃね……?」


 何の会話だ……?


「もうちょい日を置いてからでもいいんじゃ?」


 日を置いてから……?


「でも腐っちゃってもなぁ勿体ないし」


 腐ると勿体ない……


「……じゃあ明日にでも食べちゃう?」


 明日……


「だな、俺んも腹減って仕方ねぇよ」


 やっぱりそうか……やっぱり……


「やっぱり僕を食べるつもりだったんだ!!」


 二人は起きていたのかと驚くと同時に、


「やっぱり食べるつもりだったんだぁぁああ!!」


 言葉の内容に固まり、二人の視線がじっとこの身を捉える。


「そうだよ、こんなまっずい虫とかスカスカの木の実ばっか食べてないで本当は肉とか食いたいんだろ!!?そりゃあそうだよ僕だって食いたいもん!!」


 声を荒げてバカみたいだ。本来は気付かれる前にどこかへ逃げて隠れた方が良かったなんてことは考えるまでもないことで。


「いい人っぽいこと言って人を騙すのがそんなに楽しいかよ!!もう……もううんざりだぁ!!!」


 ……


 激しい感情の発露と共に、緊張させていた膀胱の感覚が狂い、じょばぁ…………


「…………」


 二人はアイコンタクトを取ると、アダンダンが茂みに消えていった。木を登る微かな音が聞こえてくる。


 ちゃぷ


「…………何かあったんだろうってのは、分かってたよ。子供が傷だらけでこんな場所に一人」


 エヴァーランは竹の入れ物に汲んであった水を手で救うと、僕の局部に少しずつかけていく。


 ちゃぷちゃぷ水を掬う音と、陰部や臀部を手で洗い流していく感覚だけが暗闇にあって。


 無力感と罪悪感に、鼻水まで垂らして顔をぐしゃぐしゃにしていた。


 トン


 顔の横に、戻って来たアダンダンが果物を置いた。種類なんかは分からないけど、大きめの柑橘類だった。ただ、まだ若干の青さが残っている。


「食ったら元気出るぜ!」


 雑に半分に割られた果肉に噛り付く。涙が止まらなくなったのは、きっとこの果物がまだ渋かったからだろう。






「おっ新しい白い頭が見えて来てるじゃーん!砕けた奥歯、乳歯で良かったねマジで!」


 僕の口の中を覗き込んでいたエヴァーランは、「やったね!」と何故か嬉しそうにしていて。だから僕も、なんだか嬉しいような気持ちになったんだ。


 大泣きしたあの日から、少しばかりの時が過ぎた。


「アニマー!ちょっと来てぇぇええええ!来て切ってぇぇえええええ!」


 木の棒に少し尖った石を蔦で括りつけただけの、石斧と呼ぶには不格好なアイテムを持って出かけたアダンダンの声に、大体の事情を察した僕は、太刀を腰に差し直しながら草木をかき分けていく。


「これお前が言ってた奴じゃね!?」


「そうだね、グレナドの木だ。上の方に沢山なっているのがグレナドの実だね。で、切るって?」


 そこには木々の中にポツリとはぐれグレナドの木があった。それを見上げて、


「なんか登んのだるくね?切り倒してちょ!」


「えー登れよ猿だろー?」


「おねぴおねぴ!この通り!」


 そう言ってアダンダンは頭を下げるでもなく、顔の前で合わせていた手を使ってとびきりアホっぽい変顔をしていて。


「ぶははっ!」


 バシッとその頭を軽くたたく。悪戯成功とばかりにケタケタ笑っているアダンダン。


「それに、たった一回収穫する為だけに切り倒しちゃったら可哀想じゃん」


「うわっ優しい言葉!めっちゃいいやつかよ!素朴~!緑の人~!」


「独特の野次!アダンダンのが緑でしょっ」


「いやこう見えてめっちゃシチィーボーイなの知ってんだろー?寝てるだけでご飯が出てくる生活だったのー!だから無理!木登りなんて出来ません!」


「そんなセリフでドヤらないでよ。はぁ、しょうがないね」


 凄くバカだけど、たまにはノリのままにいってみよう。それにずっと寝たきりだったから運動不足が半端じゃない。試し斬りには丁度いい。


 僕は腰から太刀を抜き、ゆっくりと肩の上にためる。ゆっくり吸いだめた息を「シュゥ!」勢いよく吐き出すと同時に、袈裟斬りを放つ。


 真っ直ぐな切り口で、周囲の大木達に比べたら小枝のようなグレナドの木が倒れていく。


「マジか……」


 煽ってみたものの、本当に僕が斬れるとは思っていなかったのだろう。コスプレだとバカにしてきたくらいだ。それにこの時代の人は、子供が剣技を扱えるなんて普通考えないか。


 お調子者のアダンダンも、この時ばかりは言葉を失っているようだった。






「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 グレナドの実を二人とも竹籠パンパンになるまで詰め込んだ頃、エヴァーランの悲鳴が木の間を掻い潜って聞こえて来た。


 アイコンタクトと同時にダッと駆け出す。


 しまった!収穫に夢中になり過ぎてエヴァーランを一人にし過ぎた!多少慣れてきたといえどもここは深い森の中!魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこするクリーチャーズマンション第三層!


 怪物もジェニもエストさんも居ない今の状況で僕達が無事なのは奇跡の産物に過ぎないという事をいつの間にか失念していた!


 当たり前に生きている事に、感覚が麻痺していた!


 アダンダンもエヴァーランも、人として生きていた年月の方が圧倒的に長いんだ。キメラモンキーだからと言って戦えるわけじゃない!


 バケモノじみているからといって一人でサバイバルできるわけじゃない!


 急げ!急げ!!


 この悲鳴が完全に途切れてしまう前に!!


 急げ!!!






【余談】

獣化薬事件によって大混乱の第五層から着の身着のまま転移したアダンダンとエヴァーランは、森の中なら隠れるところがいっぱいあるだろうと第三層に逃げ込んだ。

AIと共に生きる時代。食事制限から体調管理までAIに任せきりな生活。当然、二人に自然界で生きていくだけの力など無かった。

何処が安全なのか、何が食べれるのかも分からない。下手に食べた木の実やヒキガエルで猛烈に腹を下し、水の浄化法も知らないので直接飲むしかなく、胃腸が鍛えられているラーテル獣人らとは違って高確率で下痢や嘔吐を引き起こした。

体重は激減。肌艶は失われていき、思考能力も低下していった。塒(ねぐら)から身動き一つとれなくなってきた頃、二人はある思いを強烈に抱えていた。

永遠の愛を誓い合った矢先で、獣になんてなりたくはなかった。

互いに愛した姿のまま、このトラブルを乗り切るつもりだった。

でも、今直ぐにでも何か口に入れなければ、死んでしまう。

けど、無知で浅学な自分達には何が食べられるのかが分からない。

だから、仕方が無かった。

何を食べればいいか分からないなら、何でも食べれる生物に。

例えバケモノになってしまったとしても、隣で衰弱している愛しい君を絶対に忘れてやるもんかと。

互いに互いを想い合って、獣化薬を口にした。

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