第238話 生産と清算①


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 ザサッ!


「……ぁ……ぁぁ、ぅ……」


 青葉をつけた細枝をポキポキへし折り、落ち葉と雑草が生い茂る地面に倒れ込み、捲れて露出した土に勢いそのまま頬を擦りつけた。


 ジャリつく砂粒が切れた口の中を犯す不快感や、強烈な土草の匂い。それらを感じても、頬を持ち上げる事すらしなかった。


 出来なかったから。全身を刺激する痛みと刻み込まれた恐怖に竦んで、ピクリとも動けなかった。


 “拷問”初めて経験した、それに近しい何か……


 ここがどこなのか、どれだけの時が流れたのか。そんな当たり前の疑問にすら辿り着かないくらいに……


 息の仕方も忘れて、涙で滲ませた視界。ぼやぼやとした折れた雑草が、自分の息で微かに揺れるのを眺めていた。


「俺ん行くよ!?マジで行くよ!?」


 ……


「え~!まじ無理町幕府~!」


 ……


「けどこれ以上葉っぱ喰いたくないじゃんね~!もう体中緑じゃんね~!」


 ……


「え~!でも無理~!無しのことわり~!」


 ……


「俺ん行っちゃうよ!?マジで行っちゃうから!」


 ……あぁ……






 …………


 ……


 背中が冷たい……何かごつごつした硬いものが当たって痛い……首や手もチクチクする……


「……んっ!うぅ……!」


 起き上がろうと力を入れた瞬間、身体を激痛が走り抜けた。


 あの出来事は夢でも幻でもない。実体を持たないはずの今の身体に生々しい傷や打撲痕が残り、折れた手足を動かそうとした反動は、目が眩むような刺激として帰って来た。


「あ゛う゛っ!」


 余りの痛みに目の端に浮かんだ涙を拭う。その指に爪は無く、空気に触れただけでジンジンと痛んだ。


 痛みで意識が飛んで途切れ途切れにしか見れなかった……エルエルはどうなったんだ……?ここは……どこなんだ……!何故僕はこんな場所で……


「あっ、起きたっぽいんだけど!ねぇ!来てぇぇえええええええ!!」


 女性の声だ。背中越しに数メートル程の場所で女性が誰かを呼んでいる。


 ごつごつした木の枝達の上に寝転がされ、嫌がらせかのように葉っぱを全身に乗せられた今の状態は、この女性がやったのだろうか?


 一体誰が?何の目的で?


 その疑問を解消すべく、痛む体を押して小さく悲鳴を上げながら寝返りを打つ。


 黒目の比重が大きいつぶらな瞳。鼻と口が前に出た赤い顔。それ以外の体には体毛の代わりに木葉が生えている。体長は百二十~百三十センチメートル程だろうか。つるっぽい尾が僅かに動く。


 その容貌は人に似て人にあらず、猿に似て猿にあらず。記憶に在る姿とは異なれど、けれども確かに……


「キメラ……モンキー……」


 悲鳴を上げる前に、状況を理解する前に、僕の体は飛び逃げる事を選んだ。


 ダッ!


 結果、激痛に悶え、急な動きに血がついて来ず、視界がブラックアウトしていく……


 しくじった……!!


 薄れゆく意識……キメラモンキー達、が……何を言っているの、か……も……聞き……取れ……






 うっ……


 全身につき纏う痛み以上に虚脱感が凄まじい……瞼を開けるのすらしんどい……腕を、ピクリと動かす気にもならない……


「王子……」


 ……エルエル?


「王子……どうして助けてくれなかったの……?」


 ぼんやりと焦点の定まらない視界に、天使となった姿のエルエルが僕を呼んでいる。


「私、凄く辛かったのに……」


 そう言いながら近づいてくる。


「ちがう、んだ……助けようと……」


「言い訳するの……?王子が来てくれなかったせいで、皆悪魔に殺されちゃったのに……」


 僕がもっと慎重なら……もっと注意深くあの人を観察していれば……悪意を持ってるって見抜けたかもしれない……けど、出来なかったんだから……全部言い訳だ……


「……ごめん」


「またそうして直ぐに謝るのね。角が立たないように、自分はまともだと取り繕うように……」


「っっっ、何でそんな言い方するの……?」


 そんな厳しい事、エルエルに言われた事なんてなかった。だからだろうか?心臓を締め付けられるようだった。


 僕の目の前まで来たエルエルは膝をついて、横たわる僕の頬に両手を添えて、


「貴方って本当に愚かで、狡い人」


 っ!!?


 唇を塞がれた!?ぷるんとした感触と共に、エルエルの綺麗な顔が、空色の碧眼が至近距離に!


 っっ!!?


 何かを流し込まれてる!?何か生暖かい液体が口の中に溢れ、喉を通り過ぎていく。


「大嫌いよ」


 唇を離したエルエルの口元からは赤くドロッとした血が溢れ出て、それを拭いもせずに僕の反応を楽しんでいる。


「やめでよぉ……なんでこんなこと……」


「あらっ泣いてるの?おっかしいのねぇ~!王子がちゃんと守ってくれてたら、こんな血は流れなかったはずなのにぃ!」


 エルエルは頬に添えていた手で僕の涙を拭って、


「ふふっふふふふ……身も心も言うほど強く無かったんだっ」


 微笑みながら、また僕の唇に唇を重ねて……何度も……何度も繰り返された……


 こんなの……違う……やめろ……やめろ……


「やめろよ!!!」


 唇に感じる感触はそのままに、エルエルの姿がブレる。僕の大声にびくっとして唇を離したそれは、驚きながら残った水を口の端から零していた。


「なにぃ?」


 キメラモンキーだった。


 そこに居たのは。


 キメラモンキーだった。


 僕の唇を犯していたのは。


 キメラモンキーだった。


 次第にさっきまでの光景がキメラモンキーの姿で再構築されていく。


「やめろよォ!!!」


「ぇぇぇっぇぇ、なにぃ?」


 怒り過ぎたのか、叫び過ぎたのか、頭が熱くてくらくらする。体も怪我以上に怠くて、ふら……ふら……


 ばたっ






 サウナだ……


 蒸気に熱された木の香りが鼻に痛いくらいで、目を開けているのも慣れるまでは大変だ。小さな個室の中に、何故か冒険服を着たまま寝ころんでいた。


 火傷しそうなくらいに背中が熱い。爪が熱を吸って痛む。余りの暑さに全身から汗が噴き出してきて、それが冒険服をべっちゃり濡らして気持ちが悪い。


 気持ちが悪いと言えば、熱さからだろうか、呼吸が上手くできなくて、浅く速く繰り返す。


「王子ぃ……」


 エルエルの声が聞こえる。目を向けると、サウナの熱でゼリー状になるまで下半身がドロドロに溶けたエルエルが、触手のようにそれを動かして僕に迫ってきていた。


「王子が助けてくれないからぁ……!」


 触手が当たった木には焦げ目がつき、じゅぅっと煙が上がる。


「ひぃっ!」


 逃げようとするも、脚が思ったように動かずに木の椅子から転げ落ちた。何とか腕だけで這うが、エルエルも煙を撒き上げながらずるずると後ろを追ってくる。


 どれだけ進んでも、サウナの出口である扉が遠ざかっていく。


 その頃には背後はごうごうと炎が燃え盛っていて、エルエルは火の中に陰しか見えなくなっていた。


 どうやらもう追ってこないようだ。


「みぃぃぃぃやぁぁぁああああああああ!!」


 っっ!!!


 炎の中から怨嗟の鬼と化したミミーアキャットの隻眼のボスが飛び出してきて、僕の体に飛び乗り、炎が引火して肌がチリチリと焼けていく。


「熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!」


 …………


 ……


「ここは……?」


 森の中だった。横たわる体は怪我で痛むし、寝汗で冒険服がぐっしゃりだ。でも体は焼け焦げてはいなかった。


 なんて悪夢だ……


「おお起きたんじゃね?」


「寝汗ヤバいよ?」


「じゃあ俺ん行ってくるわ!マジ行ってくっから!」


「はよいけかまちょー」


 目の前でキメラモンキーが二匹会話をしていたかと思うと、内一匹のオスがどこかへ駆けていった。


 逃げなきゃ!


 でも依然として全身を激痛が襲い、数十センチすら進まない。


 やがてガサガサと葉を揺らす音が聞こえ、その間から口を膨らませた先程のオスが出て来た。残っていたメスとジェスチャーで何やらやり取りすると、僕の前まで来て……


 やややややめ、やめろぉぉぉおおおお!!


 唇を奪われ、何か生暖かいものを流し込まれた。


 虚ろな瞳で思う。


 なんて悪夢だ……






【余談】

大怪我を負うと熱を出すことがある。

また、脱水は非常に風邪に似た症状が出て、高熱が酷いと幻覚を見る事もある。

そして、高熱にうなされると大抵酷い夢になる。

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