第237話 天使とペテン師⑩


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「見て見て!絶滅したはずの恐竜なんかもいますよ!」


 ここは第六層のとある研究施設。主にカーネル学派と呼ばれる者達が集う場所だ。白衣を着て眼鏡をかけた、如何にも研究職というような容貌の者達が談議に花を咲かせている。


「明らかな新種もいますねぇ!あれとかカラスなのにモグラだわぁ!ほらっあれとか――――」


「素晴らしい……!魂とは実に素晴らしい!この多様性こそが人間だ!サンプルでは得られなかった変異が至る所に!」


 幾つものモニターを視聴しながら、きゃっきゃうふふと。


「…………天使ちゃんが天使になってる……」


「ほほんとだっすげぇー!」


「……笑い事じゃないぞ!!?」


 特殊な計器を持った男が、モニターを前にエルエルを観賞する者等にそれを見せる。


「魂が持つエネルギー量が振り切ってる……!多少個人差はあれど、こうも規格外だと実数値の推測すら出来やしないぞ……!」


「へー、でも向こうさんは混乱に乗じてこの子を殺すって話だったよね。どうすんの?」


「させるか!!激レア研究対象だぞ!!?……いいや、無理か。理性無き獣ならともかく、本物の天使となり崇拝されている。今更どう殺しても角が立つ。エルエル・レリークヴィエはもう殺せない」


「ねぇそう言えばアニマ様はまだ帰ってこないの?」


 盛り上がる研究者たちとは別に、一人の女性が端の方で違うモニターを眺めていた男性に声をかけた。


「……それどころじゃない」


「え?」


 様子のおかしな笑みを浮かべるその男を訝しんだ女性が覗き込むと、そこには五メートルほどの巨大な凶獣の姿が。


「アニマ様だよ……!」


「……は?」


 その様子に、盛り上がっていた他の研究者達も集まってくる。


 特殊な計器を持った男は口をぽかんと開けてモニターを眺めていて、


「アニマ様は……成られたんだ……!!」


 エルエルの時と同様に、その数値は振り切れていた。






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「……逃げ足の早い奴らだ」


 管理棟前の広場。


「変身中は動かないってのがお約束だろぉ?」


 そこには今や悪魔としか形容出来ない凶獣に成り果てたアニマの姿だけがあった。


「なぁ」


 誰に話しかけているのか、アニマの目線の先にはバラバラになった女性の遺体が、おもちゃ箱を引っくり返したかのように乱雑に転がっていた。


「まぁ楽しみはとっておこうか。時間はいくらでもあるんだから」






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「獣化薬を飲んでも直ぐには理性を失わないみたいです!!だから皆飲んで!!飲んで逃げて!!」


 一度手にした可能性は手放したくないものだ。その可能性が大きければ大きいほど、未練もまた大きくなる。


 殆どの人は捨てる思い切りもなく隠し持ってる、という私の直感は当たっていた。


「うっ」


 目の前で事実を、それも飛び切りの成功例を見せられれば、当然感化され、後に続く。


 姿を変えたものから、転移紋に走るよう扇動する。


「貴方たちも早く!!」


 熱心な信徒としてこれまで側近をして来た者達にも呼びかける。


「すみません天使様……それは、出来ません……」


 申し訳なさそうな言葉とは裏腹に、そう言う信徒の顔には力強さがあった。そして続く言葉を発する。


「私は人として生まれ、人として育ちました。だから私は、最後まで人で在りたいのです」


 宙と地。二つの視線が交差する。


「エルエル」


「お父様、お母様っ!二人も早く、獣化薬を!!」


 一拍。僅か一拍。けれど長く感じる一拍の間だった。


「見ての通り“人”を選ぶ者達もいる。皆が獣になってしまえば、誰がそんな人達を助けてあげられる?」


 咄嗟に腕をブンッと振ってみたけれど、上手く言葉が見つからなくて、時間が経てば経つ程にお父様の言葉の意味を脳が分かり始めて、余計にこの口は動かなくなってく。


 お父様はそんな私を見て、小さく頬を上げた。そしてポケットから私と同じように獣化薬を取り出し、私に見せると再びしまった。


「これは楽しみに取っておくよ……おかげで、私達も原点を思い出したんだ」


 そんな風に微笑みかけてくれたのは初めての事だったかもしれない。


「エルエルッ!」


 お母様は胸の前で手を組んで私を見上げていた。


「こんな時に言う事じゃないはずだけどっ……とても綺麗よ」


 真っ直ぐに落ちるはずだった私の涙は、いつの間にか頬で曲がっていた。






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 ドスッ


 第五層に降りてみたらそこはもう見知った町ではなく。


「あぁ、なんて素敵な日だ!」


 長い爪で一突きにしたモモンガを振り払いながら歓呼の声を出す。


 通って来た道には多種多様な生物クリーチャーの残骸が転がっている。


「ひっひぃぃいいいい~!!」


 物陰から見ていたらしい女性が腰を抜かしながら逃げていく。


 その姿を見て、自分の腕を見る。血塗れの腕を。


「あぁ、怯えちゃったか……」


 これでは壊せる量も種類も減ってしまう。もっと多く楽しむには、もっと長く楽しむにはどうすればいいのか……


 ニチャア……


 そうして悪魔は足を進める。女性が走り込んだ角を曲がって。






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「はぁ……はぁ……皆さん転移紋へ!!はぁはぁ……獣化すれば体力のない人でも走れます!!」


 翼があるとはいえ、浮いていられる時間はどうも短いようだ。百メートル走くらい激しく体力を持って行かれて直ぐに息切れしてしまう。


 だから飛翔と走破を使い分けて、まだ下層へ避難できていない人達へ呼びかける。


 飛ぶのは疲れるけど、飛んでる姿を見せるのが大事なんだ。今は一秒でも時間が欲しいから、説得にかかる時間を短縮できるのはとても大きい。


「エルエルっ!そっちは!?」


 避難民を転移紋付近まで案内していると、お父様たちと合流した。


「はぁはぁ北と東は粗方!」


「そうか!こっちも西はクリアだ!南へ急ごう!」


「はいっ!」






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「議長!外は未だ毒の世界です!考え直してください!」


「そうです議長!防護服にも寿命は有ります!マスクのフィルターが無くなれば死ぬんですよ!」


 脱兎の如く悪魔から逃げた管理者達は、管理棟の転移紋の扉の前まで来ていた。


「外の世界には毒素に適応させた生物が根付いている……!誰も手を付けてないユートピアだ!食糧問題は解決だな……!」


「何をおっしゃるのかしらっそんなものフグと一緒じゃないの!」


「耄碌、ですかねぇ……?そんな自殺に付き合うくらいなら我々も下層へ身を隠した方が賢明ではぁ?」


「そう思うならそうすればよい!だが奴は殺しを楽しんでいる上に貴様より切れるぞ!格上相手にびくびくかくれんぼしたいなら止めんがな!」


「……ちっ最悪の奴が最悪の力を持ってしまったってか……!」


「確かにぃぃいいい!!奴も外までは追ってこないでしょうが議長!!我々の体は毒に耐えられませんよぉおおお!?」


「……ラーテルだ」


 そこに異常にタイミングよくぞろぞろ現れたカーネル学派の研究者達を見ながら、議長はそう言った。


「……ラーテル?」


「ラーテルになる!これでな!」


 議長は予備として持っていた獣化薬のケースを取り出した。勿論ここに居る人数分は余裕で賄える。


「体を作り変えて毒耐性を得ようというのは分かりますが、何故ラーテルなんです?」


「そうです!ラーテルは背中の皮膚が分厚く、蛇の牙を通さないから毒に強いと言われているだけであって、決してあらゆる毒に耐性を持っている訳ではないんですよ!」


「それにラーテルはそこまで頭のいい動物じゃありません!ものの数分で理性を失って野性に還っちゃいますよ!」


「黙れぇ!!!」


 ごちゃごちゃと騒ぎ出した面々を、議長が一喝した。


「理屈に勝るものもあるのです。魂という学問においてはね」


 獣化薬のケースから一つを摘んで、研究員が言う。


「ただのラーテルではない!!ラーテル獣人だ!!それに貴様らラーテルを舐めてるな!!?」


 更に議長は捲し立てる。


「ラーテルは挑戦を恐れない!!!」


 バッと腕を広げ、


「ラーテルは環境を屈服させる!!!」


 拳を固く握り、


「ラーテルは毒をも捻じ伏せる!!!」


 唾を飛び散らせながら熱弁する。


「私のラーテルは最強だ!!!」


 議長は何度も復唱した。その余りの気迫に、他の管理者達も徐々に口を揃えていく。


「死にたくなければ魂に刻み込め!!!」






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「はぁはぁ……」


 かつてまだ地面が土だった時代では、ぷちっと蟻を踏み潰す、そんな遊びもあったらしい。特に蟻が嫌いだからとかそういう感情も無しに、無邪気な子供が淡々と踏みにじっていた。


 今目の前の光景に、ぷちっと可愛らしい擬音をつけるには余りにも凄惨で。でも、きっとぷちっと気軽く踏みにじられたのだった。


「……おとう……さま……?」


 飛ぶ度に吐きそうで、走る度にこけそうで、道端に転がる赤を、もうこれ以上増やさない為に。気張って、気張って……そうして張りつめた気が、まだ張りつめてなきゃいけない気が、抜けていく。


 腰も抜けて、へたり込む。大きな足がどかされて現れた赤がぼやぼや滲んで。


「はぁはぁ……」


「――――っっっ!!!」


 お母様が見たこともない形相で駆け寄って行く。


 ぷちっ


「お……かあ……さま……?」


 黒くて白い大きな塊が、ぐぐっと私を覗き込んでくる。


「へぇ……君も成ったのか……なるほどねぇ、そういう純粋さも、道筋としてはあったのか……」


「……はぁはぁ……」


「……再現性は無いっが、良い事知れたよ……うん、君は壊さないでおこう」


「はぁはぁはぁはぁ……」


 呼吸がどんどん早くなっていく。苦しい。音も視界もぼやけてくる。


 ぷちっ


「はぁはぁはぁはぁ……」


 ぷちっ


「はぁはぁはぁはぁ……」


 ぷちっ


「……おねがいじまずぅ……も゛ぅ゛、やめでづだざい゛……おねがいっでず……おねがいっだがらぁ゛……」


 辺り一面は赤の海。後は助けた人達と転移紋へ行くだけだったのに。


 避難民が最後の一人になる頃には、私は大きな足にしがみついて、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら我武者羅に懇願していた。


「……」


 ぷちっ…………


 …………


 ……






【余談】

【長々と書いてしまったので、エルエル編まとめ】

・七~八割程の人民がクリーチャー化し、理性を失い、都市部を大混乱に。

・残る二~三割の内、一割はエルエルと共にクリーチャー化し下層へ避難、一割は人として生きる事を選び、残りは混乱で命を落とした。

・人で在り続けた者達も都市機能を失った第五層では長く暮らせない。サバイバルできるだけの技能など在るはずもなく、悪魔の戯れで時と共に数を減らしていった。

・家族も信徒も失ったエルエルは、その後弱々しく再起すると、廃墟と化していく町で人の為に尽くした。

・獣化薬を飲もうと言った自分の判断が正解だったのか失敗だったのか答えを出せないまま、ただ最後まで責任を持とうと、既に理性を失ったクリーチャー達が棲み分けられるように数年をかけ各階層へ連れて行った。

・そして幾年月の果て、クリーチャーズマンションから人間は居なくなった。

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