第236話 天使とペテン師⑨


「おんやぁ〜?おやおやおや、ははっ皆さんお揃いで。そんな格好してどこへ行くんだい?」


 一行が管理棟から外へ出ると、何故か背後から声を掛けられた。声のした方を振り向き、見上げると、なんとアニマが管理棟のエントランスの外側の、屋根とまでは言い切れないちょっとした突起に腰かけていた。


「これはこれはアニマ殿、こんな時に窓拭きですかな?精の出る事で。はっはっは、なぁに我々も仕事ですよ、お互い大変ですなぁ!」


 狩りが楽しみで待ちきれないとばかりに去ろうとした背中を、アニマの声が呼び止める。


「いい獲物ってどんな奴か教えてやろうか?」


「……是非とも」


「自分が狩る側だと思ってる奴らさ」


「何?」


 不敵な笑みに、議長の眼光が鋭く光る。


 カリッ


 その言葉と同時に、アニマが奥歯で獣化薬を嚙み砕いた。


 ドクンッ!


「うっ!」


 苦しそうに胸を抑えると、悶えだし、遂には自分が腰かけていた突起から落ちてしまった。


 ドサッ……


「……」


 白目を剥き出しにして、力なく横たわる。


「何がしたかったんだこいつっ」


 若い管理者達が、余りの拍子抜けに小さく笑う。


「とんだエンターテイナーだな。だがこんなのでも死なれては困る。誰か応急処置を」


 溜息交じりにその役についた中年インテリおじさんを残して、その他の管理者達は先を行く。


「……ぅぷっ」


 妙な音に、妙齢の女が振り向くと、中年インテリおじさんは口の端から血を垂らして、腹から赤い何かを生やしていた。


「ぇ……?」


「あっ痛い……痛い痛いあっ結構痛い結構痛いあマジ痛いかもマジ痛いてか熱いわっ熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!」


 不気味な声を発しながら、ボキボキと骨が折れては生え変わっていく音と、ブチブチと皮膚や肉が裂けては盛り上がっていく音が、不協和音のように聞こえてくる。


「……でも、退屈は今日で終わったァ……!」


 どんどん身体は大きくなっていき、四~五メートルにまで達する。肌は黒く変色していき、その全身を黒が透ける程度に白い体毛が覆う。


 口は狼のように。頭にはヤギのような巻角。背中を突き破るようにして、茨みたく骨に血管が巻き付いた禍々しい翼が生えた。


 全身の肥大化に合わせて太さを増した腕が、中年インテリおじさんの腹をブチチと裂いていき、ブチンと限界のきた下半身が千切れて落ち、バランスを崩した上半身も後を追うように落ちた。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 悲鳴が響き渡る。


「理想郷の始まりだァ!!!」


 歓喜に笑う。揺れる腕から飛び散った血液が女性の周りを踊ると、悲鳴は更に深みを増した。






**********






「天使様お願いします!!こいつ顔を裂かれてっ!!おい!!ちゃんと抑えてないと鼻が落ちちまうぞ!!おい!!おい!!しっかりしろよ!!」


「天使様あああああぁぁぁぁ!!!息子っ!!の、喉っ!!無いのおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」


「どけババア死んでんだろそいつぅ!!嬢ちゃん、腕をついばまれたんだ!……血ぃ出てんだ!治せるか!?」


 今、教会の講堂は緊急避難場所になっている。元々の聖女教の信徒や獣化薬反対派や怪我人などが津波のように押し寄せて、キャパシティー千人程の教会は既にすし詰め状態になってしまっている。


「全員見ます!!!全員見るから!!!ねぇ!!!押さないで!!!死にそうな人が死んじゃう!!!」


 顔をぐちゃぐちゃに裂かれた男性とその友人。喉を嚙み千切られた男性とその母親。腕の軽傷を大袈裟に言う荒くれ者。


 私の周りには血相変えた人々が殺到していて、我先にと血走った眼を向けてくる。そうこうしている間にも次々に怪我人や避難民が雪崩れ込んで来て、


「押すなああああああああああ!!!」


 私のボディーガードをしてくれている屈強な信徒達ですら苦し交じりの怒声で叫ぶ。


「無理無理無理無理無理無理――――きゃああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……」


「おいおいおいおいおいおい!!」


「うそうそうそうそ!!」


「わああああああああああぁぁぁ!!」


 圧し潰され、真っ赤な顔になっていた女性が、人の波に足を縺れさせて転んだ。一人が転んでしまえば、その周りにいた人達も為すすべなく転んでしまう。


 そうしてドミノ倒しになった人達が更に踏まれ、踏みつけてしまった人達も足を取られてこけてしまう。


「だめ……」


 私がいる壇上からは、その光景がミステリーサークルが出来上がっていくかのように見えた。


 目の前の顔の半分を失った男性の治療に集中しながらも、無念の涙がほろほろ零れ落ちていく。患者の傷口に沁みてしまうかもしれないのに、止まらない。止めれない。


「天使様!!いくら治してもこれじゃあ賽の河原です!!怪我人は捨て置いて、動ける者だけでも下層へ避難すべきです!!」


「いいや、今外へ出るのは得策ではない!!凶暴にとち狂った獣らの餌食になるだけだ!!何人が無事転移紋まで辿り着ける!?」


「エルエル様と近しい信徒だけで籠城すべきだ!!下賤な者共は追い出してしまえ!!食糧の節約にもなる!!」


「っっ!非信徒をデコイにしたらいい!!弾避けが居れば私達も比較的安全に避難できるはず!!」


「馬鹿も休み休み言え!!緊急時こそ人情ってもんが試されるんじゃねぇか!!」


「第一、どうやって言う事を聞かすのです!?信徒と非信徒のパワーバランスを考えれば、争った挙句こちらが負ける可能性すらあるのですよ!?」


「み……みんなも獣化薬を飲めば……?」


「「エルエル様!!?」」


 言い争っていた信徒達の視線が一斉にギュンッと私に向けられる。


「だだって、鳥とかになればっ飛んで逃げちゃえるかもって――――」


「何をおっしゃる!!?我々にあれを!!?獣に堕ちろと!!?」


「なぜそのような妄言を……?いや確かに四足獣の方が足は速い……鳥類や虫類なら飛んでいける……強くなれば戦える……大きくなれば障害を乗り越えていけるし、小さくなれば隙間を縫っていける……何より足の不自由な老人や非力な子供でも逃げおおせるかもしれない……」


「……でも、騒動の元凶となった薬を自ら飲むなんて……理性が残るかも賭けで、元に戻れるかも怪しいものを……」


「それでも、死よりはいいでしょう……?」


 絶望のどん底から救い上げてくれた彼の姿を思い描く。どんな姿であろうとも……生き抜けば……彼は待ってくれてるはずだから……


「「天使様!!」」


「お父様お母様!」


 率先して避難民を受け入れ、重傷者の案内や心的ケアなどをしていたはずの両親がなぜかここに居た。あの人混みをどうやって抜けてきたのだろうか?


 二人は息も絶え絶えに、


「すまない!!!」


 突然の謝罪。その意味は分からなかったけど、切迫した何かを感じた。それに、お父様は涙を流していた。


「逃げてくれ!!!」


 ひしっ


 お母様が抱き着いてきた。


「お願い逃げて……逃げて……私のエルエル」


 ひしっ


 後ろから、お父様も力強く抱きしめて、


「エルエル、頼むから、逃げるんだ……!!」


 患者の治療を続ける私に、有無を言わさぬものがあった。何より、久しぶりだった……二人から親を感じてしまった……涙腺に熱いものが込み上げて、鼻の奥がツンとしてくる。


 この涙に身を任せれば、きっとそれが私がずっと欲しかったもの……


 ずっとずっと、家出してまで欲しがった……私だけのもの……


 薄氷うすらいに凍えてしまった心を、温かなお湯に浸してあげられる……


『君は笑顔を見るのが好きな優しい人だ』


「けど……ごめんなさい……私は私の原点を貫くわ!!!」


 !!!


 カリッ


 ポケットに隠し持っていた獣化薬を奥歯で噛み砕いた。丸薬が口の中で溶け始める前に勢いで飲み込む。


 ドクンッ!!


「うっ……!」


「「エルエル!!?」」


 胸が苦しい……!体が熱い……!背中から火が出そう……!


「おおわっ!」


 私の背中から生えだした何かに、お父様が驚いて飛び退く。お母様は、発熱する私を訳も分からずに抱きしめ続けて、


 ファサァッ……


 生まれつきのアホ毛が伸び、頭の上でくりんっと輪を描くような奇跡的な癖がついた。


 生え揃った白翼に意識を向けてみる。背中から感じる確かな重さと、羽毛の温かさや肌を撫でる羽先の柔らかさをこれでもかという程鮮明に感じる。


 鏡は無いけど分かる。今まで着けて来た偽物とは違う。血の通った、私だけの本物だ……


 それを噛み締めると同時に、脚に力を入れ、思いっきり床を蹴りつけ、翼に意識を集中させた。


 バサッバサッバサッバサッ――――


「私はエルエル・レリークヴィエ!!!」


 躍り出た空中で、全員の視線を釘付けにする。


 怒声も悲鳴も泣声も、全部全部搔っ攫って……


 ステンドガラスの豊かな照明が彩るオンステージ――――


「本物の天使にっ、なりましたぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」






【余談】

・悪魔

獣化薬により生まれてしまったイレギュラー。その魂は余りにも純粋な悪であった。

自然界の万物は陰と陽の二気から生ずるとする陰陽道によれば、一片の混ざり気もなく悪であるこの魂は、ある意味超自然的な力を持つと考えられる。

故に寿命という理を超越してしまう程の力を得た。

奇しくも、それは人類が追い求めた不老不死の一つの到達点だった。


・天使

獣化薬により生まれてしまったイレギュラー。その魂は余りにも純粋な善であった。

一片の混ざり気もなく善であるこの魂は、幼少期より手のひらから生ずる微小な波動を操れるという特異技能として片鱗を表していた。

獣化薬によって人という器から解き放たれた魂は、本来の莫大なエネルギーが納まるべき器へと納まった。

故に、波動の出力や精度が跳ね上がり、かつては完治に数時間から丸一日以上かかったような怪我や病気も高速で治癒することが可能になった。

この原理は、魂の正常化と、エルエルの魂が持つエネルギーのお裾分けの二本柱である。

かつて人だったクリーチャー達は自己の魂を元に戻して欲しくて、その可能性をエルエルから感じ取って寄ってきていた。

しかし、その望みが叶う事は無い。エルエルの技能では、魂の輪郭を一時的にあやふやにするような事は出来ないからだ。

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