第233話 天使とペテン師⑥


「ありがとう!てんしさま!」


 熱が引いても失った体力が直ぐに戻ることは無い。寧ろ活性化した自然治癒力のお陰で抗えぬ倦怠感を抱えているはずだ。それでも、少女の笑顔が、真っ直ぐに。


 最後の患者が終わった。エルエルは僕の肩を借りて虚ろに教会の階段を登っていき、自室に入るや否やベッドに倒れ込んだ。


「お疲れ様」


 その横顔に微笑みかける。するとエルエルはゆっくりとこっちを見て、


「本当に疲れたわ、一週間くらい眠りたい気分」


 色濃く疲れが顔に出てる。


「辛くなかった?」


「そりゃあ辛かったわよ。つららよ」


「一個多いな」


「つよ」


「一個少ないな」


「ふふっ、つらつらよ」


「一個ずつ多いな」


「つつうらうらよ」


「全国規模だね」


「ふくすすすすす……はぁ……沢山、ありがとうって……」


「うん……」


「沢山……沢山……ありがとうって……」


「うん……」


 見上げた天井に、人々の笑顔を見ているのだろうか。


「君を、誇りに思うよ」


 エルエルは両腕を顔の上で組んで目を隠した。


「…………うん」


 奇しくもそれは、一人で泣いていたあの時と同じ姿だったけど……


 かつては嘘に潰されかけた彼女も、その本質は人の笑顔を見る事。過去を受け入れ、嘘すら利用すると割り切れた今のエルエルは、きっと誰よりも強い。


「もう、大丈夫みたいだね……」


 誰にともなく呟いたその時、僅かにふわつく感覚を覚えた。


 そうか、これでミッション達成か……


「王子?」


 エルエルは天然な所もあるけど、やっぱり人の変化には敏感で。






**********






『君を、誇りに思うよ』


 その言葉が胸に沁み込み、感情が決壊した。


 あぁ、そろそろ受け入れなければならない……声も、顔も、仕草も、全部全部……大好きなんだ……!


 世界一優しくて、頭が良くて、カッコよくて……私の……私だけの、王子様……!


 これからもずっと隣に居て欲しい……!大人になったら……けっ、結婚だって!


 伝えよう!今伝えよう!今!


 …………


 ……


 起きたら……起きたら伝えよう……起きたらっ、ちゃんと伝えよう……


「王子?」


 この眠気に身を任せたら、目覚めた時には王子が消えてしまっている。なぜかそんな不安に襲われた。


「そろそろお別れの時間みたいだ」


「え?」


 自分の耳が、王子の言葉が、全然信じれなかった。


「なんで!?」


 今にも寝落ちしそうだったのに、そんな眠気は吹き飛んでいった。


「なんでって言われても、僕は元々この時代の人じゃないからね」


 困ったように笑う王子。


 なんで!?いやだ!いやだ!いやだ!せっかく仲良くなったのに!せっかく、好きになったのに!


「離れたくない!!」


 私は王子に抱き着いた。


「ありがとう……そう言って貰えると僕も嬉しいよ。三年かぁ、随分と長かったような気もするけど……楽しかった……!あっという間だった!」


 抱きしめる王子の体は思ってたより小さくて、いつしか私の方がずっとお姉さんになっていたんだなぁと自覚する。


「だからさ……笑ってよ。その方がさ、いいだろ?」


 そう言って王子は私の目を見つめて笑う。


 ずるいよそんな笑顔……でも……


「……王子が居なきゃ笑えないわよ」






**********






 困った……本当に困った……


 ここで別れてしまったらエルエルは、何千年も生きていてくれるだろうか……?


 エルエルにとって僕は初めて出来たたった一人の親友で……いや逃げるのは止そう……初恋の王子様だ。


 僕が居なくなっても今のエルエルならきっと聖女教とも上手くやっていける。


 けど……言ってたじゃないか……何度も何度も……熱烈に……


『私は王子と生きる数十年の為に、数千年を生きてきたんだもの!』


 このままじゃあねって別れて、会えるかどうかも分からない僕の為に生きていてくれるだろうか?


 いいや、きっと……というか、そもそもそれでいいのだろうか?


 エルエルはこの先何千年も一人で生き抜くことになる。知り合いは数十年もしない内に皆死んじゃうだろうし、建物だって次々と倒壊していくわけだ。


 度々襲い来る孤独に、エルエルは苦しんでた。何度ももう終わりにしたいと思ったって……それはきっと冗談でも何でもない……本当に辛かったんだ……


 信じても信じても僕は一向に現れない。けど信じなきゃ僕を裏切る事になって、信じ切れなきゃ自分が終わってしまう……そんな苦しみと葛藤の中、何千年も耐え続けて……


 もう、いいんじゃないか?


 エルエルには僕の事なんか忘れて貰って、この時代のいい人と幸せに暮らしてくれたら……


『ずっと会いたかったわ!!ずっと!!』


『いいえ、王子は王子よ!!私が間違えるわけないじゃない!!』


『どう?凄い?王子に見せる為にいっぱい集めたのよ!』


『ううん。大丈夫よ……そうね……王子はやっぱり優しいのね』


『でも王子には不思議な能力があるでしょう?』


『……生物の集合住宅地……クリーチャーズマンションよ!!』


『私たちの出会いを祝して!かんぱーい!!』


『もう!私から離れないでね!』


『ひゃっほうっ!!』


『お、おおっ王子……あ、そ、あ……あの……いっい、一緒に!……ね、寝ょえええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!何でぇぇぇぇぇええええええええええええ!!?』


『私、王子にだったら……何されてもいいわよ……』


『こんな見た目をしていてもね……私は……王子のことが大好きな……等身大の恋する乙女なの……』


『全ての人が願えば、荒野だろうとお花畑になれるのよ!!』


『……優しくて、面白くて、頼もしくて……いつも真っ直ぐ目を見て話してくれるの……茶化したりもするんだけど、でも最後まで私の話を聞いてくれるの……今みたいにね』


『もっと……ぁぃしてよぉ…………!』


 いっぱいいっぱい、どれも鮮明に覚えてる。


 エルエルには沢山救われたし、沢山笑い合ったし、沢山ドキドキしたし……


『きっと夢中にさせてみせるわ!』


 君と出会わなかった未来なんて、もう考えられないよ……


 だからごめん。


 次にあった時、未来の僕は君を知らないんだ。


 だから、ごめん。


 恋する君にとびきりのペテンを――――


「未来で待ってる」


 怒ったような、悲しむような、寂しむような、コロコロと表情が移り変わる。けど最後に、エルエルは笑った。






 まだ少しだけなら猶予はあるみたいだ。


 どうも違和感がずっと引っ掛かってる。嫌な予感って奴だ。


 僕の知る限り、医療の発達したクリーチャーズマンションにおいて、パンデミックなど一度も起きたことは無かった。


 完璧な空調システム、清涼な飲料水、AIによって清潔に保たれている街、伝染病など流行る訳が無い。


 それがどうしてこうも急速に拡大した?全人民を巻き込んだ一大パンデミックに。


 ……疑わねばならないだろう。人為的災害の可能性を。人の悪意がひき起こした虐殺の可能性を。


 サリウリはこう言った。戦争は次の平和の準備期間だと。裏を返せば……この平和の陰で、次の戦争の準備が進んでいたのではないのか……?


 だとしたらまだ次の時代には行けない……!


 エルエルが思い出したくなかった過去ってのは、こんなものなのか……?


 我を忘れて発狂して、「殺さないで」って泣いて震える過去が、まだこの先に――――






 クリーチャーズマンションの運営は全て管理棟で行われている。このだだっ広い建物のどこかで、偉いさん達が会議だのなんだのをしているはずだ。


 しかし、僕は二階の転移紋までしか知らない。この無駄に多い部屋の中から目当ての会議室っぽい所を探し当てるのは骨が折れる。


「あの、すみません」


 僕は通りがかった男性に声をかけた。


「なんだい?」


 整髪剤で程よく整えられた髪型。びしっとスーツを着こなした清潔感のある美青年。手足が長いのか、スラッとした印象を受ける。


「管理棟にはお偉方が集う会議室のような場所があると思うんですけど、迷子になっちゃって……どうも案内が少なくて参っちゃいますよ」


「あぁ、なら案内してあげよう」


 青年は快く案内を引き受けてくれた。大人の余裕って言うか、親しみやすそうな人だ。


「優しいんですね」


「君は人を見る目が無いね」


「どうしてです?」


「僕は悪戯好きなんだ」


「はは、じゃあなぜわざわざ面倒な案内を?」


「君と同じだよ」


「?」


「僕も会議室に行きたいんだ」


 お茶目な人だ。人当たりのいい完璧な笑顔に、ついついお喋りしたくなる。


「てことはここの職員さん?まさかお偉いさんですか?」


「いやいや、僕みたいな若僧じゃ役者不足さ。しいて言うならお手伝いさんって所かな」


「へぇー意外ですね。お兄さん出来る男って感じなのに」


「嬉しい事言ってくれるね。所で君はどうして会議室に行きたいんだい?老人たちのつまらない話がそんなに好きなようには見えないけど」


「パンデミックについてです。世間では特に言及されてませんが、あれは事故か、人為的にひき起こされた悪意ある災害だったんじゃないかって」


「ふん……若者らしい鋭い意見だね。でもなぜだい?上層部の対応は悪くなかったと思うんだけど?」


「悪くはなかったですよ。でも速すぎる上に雑でした。百点満点の対処法が知れ渡るより速く、六十点七十点の対処法が溢れかえってました。これじゃあ混乱が広がるばかりだ。まるで市民が正解に辿り着かないようにしているかのように」


「なるほど、そう言う意見もあるのか、勉強になったよ」


 なんだろう、気持ちのいいタイミングで気持のいいパスが来る。会話のキャッチボールが抜群に上手い。自然と饒舌になっている。


「さぁ着いたよ、この部屋だ」


「どうも御親切にありがとうございました」


 礼を言い、案内された部屋に入る。誰もいないのか中は灯りがついておらず、薄暗かった。


「誰もいないみたいだねぇ」


 そう言いながらお兄さんも入って来た。


「お兄さん部屋間違えたんじゃないですか~?あ、悪戯大成功的な?」


 だから場を温めようと小粋なジョークを一匙。


「楽しんで貰えたかな?」


「ははっ」


 本当にお茶目な人だ。


「君は勘のいい少年だね。まるで弟を見てるみたいだよ。ただ、弟より断然切れる」


「人を正当に評価できるのはその人以上に優れた人、ですよ」


「本当に面白いね!俄然興味が湧いてきたよ!」


 ガチャ。


 後ろ手でドアに錠が掛けられる。


「え?遅刻しますよ?てか僕、マジで時間ないんですけど」


「あぁ~いけない……」


「お兄さん?」


 お兄さんは自分を抱いて息を荒くしている。


 心配で覗き込むと、二チャッとした笑みが見えた。


「お兄さん?」


「凄く……楽しそうだ……!」


 薄暗闇の中、いつの間にか、目の前に、拳があった。


 バコッ……!!


「さぁ!僕を楽しませておくれ!」






【余談】

エルエルの尽力とアニマの献身的なサポートにより、また聖女教団の助力により、パンデミックは驚くほど少ない死者数で完全鎮火した。

例えば骨折などの怪我を治すのとは違い、自然治癒力を活性化させてウィルスを殺すだけで良かったので、迅速に治療を進める事が出来た。

一度打ち勝てば抗体が出来る。安易に副作用の出る薬に頼らず、抗体と自然治癒力に任せた判断が功を奏したのだった。

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