第230話 天使とペテン師③


 燦々と照り付ける太陽が、繋いだ手の濃い影を地面に落とし、二つの小さなシルエットが街並みを行く。


 さて、人が落ち込む原因なんて千差万別で、親身になって相談に乗ったとしても本当の悩みを理解するなんてことは出来ないのかもしれない。


 幸福な家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれの形で不幸だという。しつこく原因を突き止めて解消してあげるより、まずは大胆にガラッと環境を変えてみた方が多少は気晴らしになったりするだろう。


 そう思って飛び出してきたはいいものの、これからどうしようか……


 取り敢えずちゃんと自己紹介でもしますか、


 バッ


 その時、掴んでいた手を強引に振り払われた。


「ふっふけ、ふけ!ふけっ」


「ぇふけ?」


「不潔よ!!」


 ぷるぷると小刻みに震え、その可愛らしい顔を拒絶に歪め、丁寧に切り揃えられたパッツン前髪から覗く綺麗な眉をぐっとしかめて睨まれていた。


「ふけつ!?」


「何よ!いきなり女性の手を握るなんて!不潔ふしだらっ!」


「ふけつふしだらっ!?」


「こんな強引に、ゆっ誘拐よ!不潔ふしだら誘拐犯!」


「ふけつふしだらゆうかいはん!?」


「……軽率!ちゃ、はんっ犯罪者!」


「ふけつけいそつふしだらゆうかいはんちゃーはん!?」


「言ってないわよ!!」


「ごめん」


 素直に謝った事に何故か更に怒りだして、


「――――おちょくらないで!!」


 僕は合掌して頭をクイッと下げる。そこから様子を伺うように少し上目遣いで。


「ホントにごめん、悪気は無かったんだ!僕はただ君に元気出してもらいたくて」


「嘘つつき!!」


 きつつき的な?


「ナンパ男!!」


「なんっナンパじゃないよっ、えっと……君があんまりにも苦しそうに見えたから、あぁと僕にも何かできないかなって、それで……強引だったのは謝るよ」


 確かにエルエルの気持ちを何も考えずに突っ走ってしまった。申し訳なさに目線が下がる。


「しおらしくしても無駄よ!私はっ……賢くはっないけれどっ!そんな優しい言葉にほいほいついてくほどあんぽんたんじゃないわ!見くびらないで!」


 あんぽんたん?……とにかく凄い怒ってる……でも、


!僕は本当に君の助けになりたいだけなんだ!」


 誠心誠意気持ちを込めて真っ直ぐに眼を射抜く。


「……いいえ、嘘ね」


「え……」


 これでもダメか……ならばもっともっと本気で!


「私が、信じる訳ないでしょう……神を騙るペテン師なんて……」


 踵を返したエルエルは、今日の影よりも暗い足取りで、とことこと帰って行ってしまった。


 大人エルエルは最初から好感度ギガマックスのデレ百%だったのに……!


 畜生……!子供エルエルは取り付く島もないツン百%ってか……!?


 そんなトリッキーなツンデレがあってたまるか!ていうかどうしよう!めっちゃ嫌われちゃった!やばい!ちょっと泣きそう!


 僕は、その背中を追えなかった。






**********






 ギィ……


 信徒によって重い扉が開かれ、やや傾いてきた光が教会内に差し込むのに少し遅れて私も入っていった。


 ざわついていた講堂が、私の登場で妙な静けさに染まる。そんな中、お父様とお母様が駆け寄って来た。


「エルエル様!!一人ですか!?神様はどうしたんです!?」


「神様は何とおっしゃられていたのですか!?」


 二人とも取り乱して……お父様まで何その敬語……凄い目……


「今日はもう休みます。詳しい事は明日にでも」


「そんな!」


「では、疲れているので」


 それ以降は無視して、少し強引に私は自室に帰ったのだった。


 ぼふっとベッドに身を投げ出し、舞い上がる埃が夕陽に照らされて輝くのを、これがダイヤモンドダストか……なんて思いながら腕で視界を覆った。


 お父様とお母様の……信者たちの……あの目が脳裏に浮かぶ……


「めちゃくちゃよ……」


 決定的に……完全に……もう……もう……


「めちゃくちゃよぉ……」


 袖がじんわりと温かく湿っていく……


 彼が本物かどうかなんてどうでもいい……!ただもう……ただでさえおかしかった両親の心はもう……もう……!


 もう耐えられないって……辛いだけだって分かってたのに!どうして帰って来ちゃったのかなぁ……


 ……ほんとに……


「何が神よ……」


 口を結び、せせり泣く、声にならない嗚咽だけが部屋を満たしていた。






「そうやって一人で泣いてるつもり?」


 声変わり前の美しい声が、そよ風と共に耳を撫でた。腕をどけると、いつの間にか窓が開いていて、その窓枠に彼が腰かけていた。


「……不法侵入よ。乙女の部屋に勝手に入るなんてとうとう言い訳出来ないわね」


「はいはい、ストーカーでも変態でも王子でも好きに呼んでくれていいよ」


「誰が王子なんて……!」


「まぁまぁ」


 彼の余裕気な態度は気に喰わないけど、今は怒る気にもならない。


「それで何しに来たの?人を呼ぶわよ変態」


「んぐっ――言ったでしょ、君の助けになりたいんだ」


「貴方みたいな人の助けなんて要らないわ。私は一人でも大丈夫なの」


「一人でも大丈夫な子は、そんな泣き方しないよ」


「何よ!!分かった風な口きいて!!貴方に私の何が分かるっていうの!!」


 ベッドから体を起こし、彼を睨みつける。


「分からないよ。何も話してくれないんだもん」


「このっ!!」


 ムカつく!心底腹が立つ!貴方が急に現れたせいでこんなことになってるのに!!


「でも君の未来は知ってる」


「……はい?」


「沢山話したからね。僕は未来の君と仲間になって、一緒に冒険してるんだ。大切な友達だよ。だから今の、僕の知らない君の事も知りたいし、助けになりたいんだ……!」


「今はそう言う手口で人を騙すのね」


「僕は時渡の王子様だよ。君のご先祖様のサリウリとも友達なんだ」


「……凄いわねペテン師って」


「……」


「……」


「……はぁ」


「……何?」


「有耶無耶ハーレムエンドにしたのは失敗だったよね。あそこはやっぱり幼馴染で最初に告白したゲードハイと純愛を貫くべきだったと思うんだよ」


「いきなり何を言って…………どうしてそれを!!?」


「そりゃ五十巻分のイケメンたちに愛着も湧いてただろうけどね、カップリングは二次創作とかでやればいいんだから。主人公はほいほいイケメンに目移りするような性格だけど、やっぱり最終的には一途な愛を選んだと思うんだよね」


「なんで……だって、それはレリークヴィエ家に伝わる秘伝の聖典…………サリウリ様は一度も公開しなかったはずよ!!?」


「どうしてもなにもサリウリが書いてるのを横から読んでたっていうか……僕がモデルだし……」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「……分かったわ!貴方が時渡の王子様なのは認めるわよ!でもね!物語の中の王子様と違って、貴方は……嫌いよ!!」


 初めて人に嫌いだなんて言ってしまった。こんなやつ相手なのに胸が痛くて苦しい。


「ふふっ」


「……何笑ってるのよ」


「いや、サリウリも恋に恋するお年頃だったって言うか、脚色が凄くてね。僕はあんなにカッコよくないし、一人で大怪獣を倒せる程強くもないよ。自由に時間を行き来できる訳じゃないしね」


 自由に行き来出来ない?


「本当の僕はもっとへたれだし、臆病だし、しょうもない嘘だって吐くし、一人じゃ何もできない寂しがり屋さ」


 何をつらつらと、とてもそうは見えないけれど……


「その癖認めて貰いたくて、もっとカッコいい男になりたくて、ただ漠然と奔走してた。誰かを助けようって」


「……」


「結果、良かれと思って行動したらより悪くなっちゃったり、知らず知らず傷つけちゃってたり、もっと頑張らなきゃ頑張らなきゃって背負い込んで、潰れかけた。どこでもいいから、どこか綺麗な場所にでも消えてしまいたかった」


 私の事も見ていたの!?……違う、自分の事を話してるだけだ……たまたま、同じなんだ……


「そんな時、僕には助けてくれる人がいた。悩みを聞いて励まして、一緒に泣いて、怒って……一緒に笑ってくれる人がいた……だから僕もこの人達みたいになろうって、優しくなれた」


 誰を思い浮かべてるのかはわからないけど、話しぶりから分かる。とても、とても大切な人達なんだって。


「僕は未来の君が誰よりも優しい人だって知ってるんだ。今の君に言ってもちょっとずるいけどね」


 そう言ってはにかむように笑う彼を見てると、何故か私の胸まで温かいような気がしてくる。


「けど、優しいだけの優しさって、結局苦しいんだよね……自分も、相手も……身も心も人一倍強くないと、思うように人助けなんて出来ない……」


「今更っ」


「釈迦に説法だ。君が分かって無いなんて思ってない。助けたいから助ける。困っている人からは目を逸らさない。ここを曲げたら自分じゃない。だから理屈なんて抜きに動ける」


 彼はそこで一度言葉を区切り、


「君は笑顔を見るのが好きな優しい人だ」


 と微笑みながら続けた。


「……確かに私は人を助けたい。けどそれは私一人ですることよ。私が力不足というのなら、こつこつ努力するまで。人を助けたいんだから、そこに貴方の助けはいらないわ」


「……それじゃあ君が救われないじゃないか……!……!」


「何で……?何でそこまで私なの?」


「生憎僕は聖人君主じゃないからね!君みたいに困ってる人全員助けたいだなんて思ってないんだ!僕は助けたいんだ!!」


 貴方にとって私はなんなの……?何を知ってるの……?


「勘違いしないでよねっ!」


 そう言ってわざとらしくプイッと頬を膨らまし腕を組む彼は、その怒りが嘘だなんてまるわかりのペテン師だった。






「お父様お母様、顔を上げて下さい」


 私の隣には彼が居て、私の前にはお父様とお母様が跪いていて、まだ帰ってない信者たちがわらわらと同様に跪いていた。


「二人にとって、私はどういう存在ですか?」


 二人は質問の意図が分からず戸惑いながら、


「何ってそりゃあ、サリウリ様の生まれ変わりで、天が遣わした奇跡の子?」


「神の寵愛を授かった天使です」


 ……


「私はっ……!!……二人の子供です」


「勿論ですとも!当然です!」


 ……


「お父様とお母様の子供として、二人の言う事をよく聞き、二人の為にと頑張ってきました……それがっ!……私の中の中途半端のせいで……こんなに……歪んでしまった……」


「何を言っているのです……?」


 裏表のないその反応が……


「もう、苦しいの!!!私は聖女じゃない!!!天使じゃない!!!こんな羽っ!!!」


 力づくでブチッと留め具を千切って床に投げ付ける。


「全部偽物よ!!!嘘なんだから!!!嘘を本物にしないでよ!!!私はただの!!!二人のっ!!!子供なんだから!!!」


 熱い涙が頬を伝っていく。今にも嗚咽で喋れなくなってしまいそうで、何とか堪えて言葉を続ける。


「わかっ!!んないんだもんね……おとっさまもお……があさまっも、もうっ分かん、ないだもんね……!!」


 拳を握り締める。


「わたっし!!!家を出るっから!!!」


「ちょっエルエル様っ!?」」


「何勝手な事言ってるんです!?ダメです!!」


「ダメよ!!泣いてる我が子を送り出す親がいるものですか!!」


 ……


「ばいばい!!!」


 私は開いたままで夕陽が差し込む扉に向かって歩き始める。


「大丈夫、エルエルは僕が守ります」


「神様……」


「なぜ……?」


「今となっては遥か昔の遠い未来に誓いましたから」


 何かを言おうとしていた二人にそう言った彼も、私の隣まで追いついてきた。


 扉から出る前に、私は振り返って叫んだ。


「……そだででくれでっありがどう!!!」


 彼の事は嫌いだ。


 全てを滅茶苦茶にして、何もかもをかき混ぜた。


 こんな形で飛び出して、信徒たちを裏切った。お父様もお母様も傷つけてしまったかもしれない。


 けれど……


 私はこのナンパについて行く。






【余談】

時に信仰は人を傷つける。

しかし、信仰によって救われる者がいるのも確かだ。

同じものを信じる事で繋がる糸がある。

ただ、信じられる側はいつだって孤独を胸に抱えながら、周りの糸に絡めとられている。

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