第228話 天使とペテン師①


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 祭壇のある壇上に、いつものように立っていた。


 十二歳という子供の体を清らかな白いローブにゆったりと包み、櫛の通された金色の髪はただの一本までも乱れる事は許されておらず、背中には鳥のような少し重い白翼を背負い込んで。


 最近ローブの上からでも膨らみが目立つようになってきた胸の下で両手を組み合わせて、私は立っていた。


「エルエル様、どうかこの子の罪を聞き届け、聖女様の赦しと神託をお授け下さい。さぁアレックス、懺悔なさい」


 二十代後半の長髪で痩せぎすな女性に背を押され前に出た、まだ十にもなっていないような少年がおどおどしくも膝をついて手を胸の前で組み合わせた。


「あのおれっ、ペーペックスでどうしても勝ちたくて、チートっ、買いました!それで、その、お母ちゃんのマニー内緒で使ったら、そしたらっ、なんか番号盗まれた?みたいで、おれのせいでマニーいっぱい盗られちゃったみたいで、しかもバレないって書いてあったのに二十マッチくらいでバンされました!まじさいあくです!絶対プレデターいけたのに!」


 キャパ千人くらいのそれなりに大きな教会に、集会の日でも無い今の時間、居るのはこの親子と私と熱心な信者がちらほらと、後はお父様とお母様と私の世話をする御付きのような人達が側に控えているだけ。


 むっすり顔の少年は大して声を張ったわけではないけど、静けさも相まってやけに響いていた。


「……はい」


 私は目を伏したまま、厳格な感じを保って短く返事する。


 この子、絶対反省してない……!


 どどどどうしよう!多分ゲームの話なんだろうけどペーペックスってよく聞くし、でも私分かんないし!ちーと?マニー盗られちゃったってことは詐欺かなぁ?二十マッチは試合数よね……バンッて何ぃ!?


 でも多分悪いことをしたのよね!そのせいでもっと悪いことになっちゃったって感じかなぁ……って事は少年を叱って更生させる方向でお告げればいいのね……よしっ、


「聖女サリウリ様は貴方の罪の告白に対して、こうおっしゃっられています……」


「はい……」


 壇上から、少年とその母親が次の言葉をうやうやしく待っているのが見て取れる。


「……」


 私は口を開いたまま暫く固まっていた。頭を垂れていた親子も辛抱できず、首をこてっと不思議そうに傾けた。


 ち……がうわよね?違うよね!?違和感よねこれ!?ここに連れて来て懺悔させてるってことは、母親はこの子が何やったか分かってるはずよね!反省すべきことをしたって思ってるのよね?


 けどこの子は反省してないどころか、それを怒る素振りも無かった……なぜ……?面倒……?呆れた……?違う……怒りたくなかった?


 嫌われたくなかった……がみがみ怒って嫌われたくなった!溺愛してるから!我が子可愛さに叱らなかった!あわよくば懺悔という形で私にその役目を担わそうとしたんだ!


 そんなことじゃこの子は、正しさの分からない子に育ってしまう……それは……あまりにも可哀想よね……


 私は母親の眼を射抜いて続きを口にする。


「懺悔すべき人間はもう一人居ます」






 野菜を中心としてパンや大豆などが並ぶ食卓には、食事が立てる僅かな音だけが響いていた。長方形のテーブルに親子三人で座っているのだけれど、いつものように私はお誕生日席で。


「エルエル、素晴らしい神託だった。流石、聖女様の生まれ変わりだな」


「お父様、あれは私が」


「エルエル様は神の寵児です。私のお腹を使ってくれた事、今でも感激に打ち震えることがあるわ」


「お母、様……」


 いつものように……二人との距離が小さく、遠い……


「ぁ……あれは私が考えたっ……!頑張って、頑張って考えたっ――――嘘、なのよ……?」


 ガタッ!


「神託に嘘を吐いたのか!!」


 ビクッ!


 違う……神託なんて聞こえてないって前も言ったじゃないっ……何でそんな顔するの?……何でそんなに怒鳴るの?……私今日も頑張って……!


「エルエル様に良からぬ者が憑いている可能性があるわ!誰か!直ぐにお祓いの準備をして頂戴!」


「……お母様……」


 それ以上何も言えなかった。






「うっ」


 その夜、お腹にキリキリとした痛みを感じてトイレに籠った。座っているだけなのに、額から次々と嫌な汗が滴っていく。尚も増す痛みに自然と涙も滲む。


「よし……よし……いい子……いい子……」


 私は無意識のうちに手のひらをお腹に当て、その感覚に集中していた。瞳を閉じると、涙だけが零れ落ちていく。


「う……うぅ……」


 暫くするとじんわりと温かさが広がって、苦しい痛みが段々と弱まっていった。






 翌日は私に許された週に一度の休暇だった。教会の講堂に憩う人々との交流が私の息抜きであり、心労でもあった。


 私は講堂を抜け出し、二階のテラスに座り、幅の広い柵から脚を二本放り出して、斜陽に色づいていく街並みを眺めていた。


「薄らいでいく 空に溶けていく 誰かと混ざれたら それが何色でもいい


 鳥のように 羽があれば どこへだって行けるけど


 仰いだ空には 誰も居ないから 今日もここから願うだけ


 そしてまた明日を待つ 心に薄氷うすらいを貼り付けて


 ゆっくりと胸を焼き 静かな歌を抱き眠るの――――」


「素敵な歌声ねぇ」


 声に振り向くと、隣に老婆が腰かけていた。


「ふぅぅ少し休憩。近くで聞きたくてね」


 横たわった杖が目に入る。


「ありがとう……脚、悪いの?」


 老婆は笑う。


「やだねぇまだそんな歳じゃないわよぉ!老人ホームのウサイン・ボルトって言われてるんだから!」


「はは」


「ただ膝を痛めちゃってねぇ。体力もがた落ち――――」


「おばあちゃん、ちょっと膝見せてみて」


「?」


 いきなりの事に不思議そうな顔を浮かべる老婆は、けれど特に抵抗することも無く私の様子を伺っている。


 外傷はない……骨も関節も大丈夫……筋を痛めただけみたい……それなら、


「撫でてくれるのかい?優しいねぇ」


 私は手のひらに意識を集中させて、治れ治れと念じ始めた。それを老婆は微笑ましく見ている。


 やがて……斜陽も半分以上隠れ、辺りは薄暗くなっていた。


「おばあちゃん、もう走れるんじゃないかしら?」


 老婆は杖に手を伸ばして、やっぱりその手を膝に乗せて「よっこらしょ」


「立てる!?走れるわ!」


 足の痛みが消えた事にはしゃぐ姿はとてもお茶目で、あながち本当に足も速いのかもしれない。


「ありがとう天使様。いつか楽しい歌も聞かせて頂戴っ」


 その笑顔に、心の薄氷が融け始める音がした。






 その夜はいつになく宵闇が楽しくて、瞼を閉じずに星を見ていた。


 小さい頃からずっと練習してきた。それが今日花開いた!


 私には、誰かを助ける力があるんだ!私の手には、誰かを笑顔にできる力があるんだっ!


 うれしい!うれしいっ!嘘じゃない本物の力で、これからはもっと色んな人を助けられる!


「明日は聖歌奉唱の日です。エルエル様も明日に備えてお休みなさい」


「はい、お母様」


 いつまでも部屋に戻らないから注意されてしまった。おとなしくベッドに潜る。


 もう嘘なんて吐かなくてよくなるかもしれないんだ……!






 奉唱の儀は午後からだ。午前はいつものように迷える仔羊に聖女様の言葉を……よ、よし!やってやる……!この力で……!


「んだよっ!中途半端なことしやがって!碌に治ってねぇじゃねーか!」


 右手が事故で潰れたと駆け込んできた若い男。順番待ちの他の信者たちに頭を下げ断って数時間をかけ、なんとか出血や切れた筋は治せたが、粉々になった骨が再生する訳もなく。


「あ、あの痛みはっもう」


「これなら最初から医者にかかればよかった!」


 捨て台詞を吐き、立ち去っていく男の背中を呆然と見送る。


「…………大丈夫かしら…………」






 ……めげちゃダメよ……私がちゃんと治せなかったのが悪いんだもの……もっと人の助けにならなきゃ……もっともっと頑張らなきゃ……


 だって……そうよね?サリウリ様……貴女みたいに沢山沢山人の為に頑張れば……沢山お友達が出来るはずよね……?


「エルエル様、そろそろ準備を」


「いえ、まだ時間はあります。待たせてしまったのはこちらですので、一人だけでも話を伺います」






「あぁ……まただぁ……また俺ぁプロゲーマーになれなかった……」


 両親よりも明らかに歳上な中年のおじさん。狸のような腹回りが目立つ色褪せたジャージ。眼鏡は脂でずれ、生え散らかした髭と禿散らかしたチリ毛頭。


「毎日毎日、なんで俺が自分の子供より歳下のガキにボコられて煽られなきゃなんねぇんだ!俺ぁこんなに頑張ってんのに何で勝てねぇんだよぉ!」


 跪いて、感情のままに腕を振り回す。唾が飛び散る。


「西松さん落ち着いて……!貴方は悪くありませんっ聖女サリウリ様は貴方の努力を認めています!」


 西松さんは度々こうしてここに来る。


「っ!酒!そうさ酒!止めたんだよ!まぐ負けが込むと寝れねぇ日が続くもんで、んでっ飲むと不思議と寝れたんだ。でもどんどん量も増えてって、酔って無きゃ嫌な事ばっか考えちまうようになって、でも家族には当たらねぇようにって俺ぁ頑張っていっぱい飲んだ!」


 西松さんは私の裾を握り締めた。私の御付きの人達が怪訝な顔をする。


「せつ、節約しなきゃって我慢してカップのやつっ安酒飲んでたってのに!ぉ俺ぁ頑張ったんだ!」


 アルコール臭い息が、荒々しく顔にかかる。


「え、えぇ!聖女サリウリ様もおっしゃられています!禁酒は何度も繰り返して少しずつ量を抑えていくもの、いきなりきっぱり断てる人なんていませんよ安心してください」


「でもよぉ!!ひぐっ……息子は俺とゲームしてくれなくなったし……ずびずるる……娘にはドブクセェなんて言われて……妻には裁判までちらつかされて追い出された…………ぁあああああ!!あああああああああああああああああ!!」


 絶叫。涙でメガネが曇る。


「……」


 言葉が出てこない。


「何で分かんねぇんだよぉぉおおおおおおお!!あんたの言葉通り俺ぁ頑張った!!頑張ってんだよぉぉおおおおおおお!!なんでなんだよぉぉおおおおおおおおおおお!!教えてくれよぉぉぉおおおおおおおお!!あああああああああああああ!!」


「……」


 なんて言えばいい?


 おじさんはもう意味のある言葉を吐き出す事すらやめて、私の服に顔を埋めて嗚咽を漏らし続けていた。


「エルエル様、お時間です」


「……えぇ」


 お付きの人に声だけで返事して、ゆっくりと踵を返す。後ろからは、私から剝がされたおじさんの絶叫と、外に連れられて行く音が聞こえていた。


「急ぎお召替えを、こちらへ」


「……えぇ」


 部屋に入り、従者のお姉さん達が忙しなく服を脱がしていく。髪が結われ、ささやかな化粧まで施されていく。


 どうしたらあの人の助けになれてたのかな……?何をしたら、何を差し出せば、あの人の心を救って――――


「う゛っオェ゛ェ゛……!」


 びちゃびちゃ……


「「きゃああぁぁぁ!!エルエル様ぁぁ!?」」


 気持ち悪い……気持ち悪い……気持ち悪い……!


 サリウリ様の言葉なんてわかんないよ……!貴女のような才能なんてないし、頭の出来だってそんなに良くない!こんな小娘の言葉なんかじゃ……誰の心も、救えない……!


 そんなの分かっててここまで来たのに……!


 なんて薄っぺらい……気持ち悪い……私は嘘つきのペテン師だ……






「これより聖女サリウリ様へ歌を奉げる、聖歌奉唱の儀を始めます。エルエル様、お願いします」


 お母様に促され、サリウリ様の巨像の前に立つ。後ろには千人弱の信者たちが集まって教会をいっぱいにしている。


 汚れた服や顔は大慌てで綺麗にしてもらった。お母様はそんな私に小声で、


「体調が優れないと伺いましたが、やはり誤報のようですね。貴女様は天の使い、神の恩寵を授かっているのですから」


「……はい、問題ありませんお母様」


 姿勢を正し、少し長めに息を吸う。


「ら~ら~ら~――――」


 私に倣って、千人の大合唱が教会を満たす。


 大迫力で……壮大で……私の好きな歌……


「ら~ら~ら~――――」


 いっぱい練習した、ちょっと自信のある、本当に好きな歌……一生懸命、一生懸命声を出す。


「ら~ら~ら~――――!」


 でも……楽しくない……


 目からは涙が……こんなに気持ちを込めて歌っているのに……楽しくならない……


「おい、エルエル様が泣いてるぞ」


「おぉ、なんと神々しい――――」


「きっとサリウリ様の声を聴いておられるのよ――――」


 一層か二層か三層か、綺麗なところだったらどこでもいいや。髪を切って、顔を隠して……そうね、服も替えたらきっとバレないはず。


 これが終わったら、消えてしまおう……


 ふっ


 私は、涙にうるむ目をひたすらに見開いていた。


 何の前触れもなく、何の音も衝撃もなく、一人の少年が私とサリウリ様の巨像の間、その空中に現れたから。


 ステンドガラスの後光を浴びて輝く灰色の髪を靡かせ、ふわりと地に降り立った。


 血のように赤い衣に身を包み、腰には立派な太刀を携えた、女々しくも凛々しい見惚れるほどの美貌。


 聖典に登場する不思議な力を持った少年。ある解釈では時渡の王子様。またある解釈では――――


 神と呼ばれる少年だった。






【余談】

・マニー=お金。現金の流通はあるものの新規に発行する施設が無いので、金銭のやり取りは暗号通貨であるマニーにて行われていた。

基軸通貨として管理棟が発行、管理しているものだ。

決済はインターネットかマイクロチップが主流である。


・レリークヴィエ家は、サリウリの功績のお陰でクリーチャーズマンション内に教会を建てることが出来た。

少しでも多くの人が暮せるように所狭しと天を貫く摩天楼を見れば、これがどれほどの事かわかるだろう。

科学の発展と共に、人々がかつての信仰を忘れ去って久しい時代。

現人神とまで謳われた天才小説家の輝きに信仰を見出したのは、案外一番近くに居た者達だったのかもしれない。

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