第226話 時の人と時渡の人


 僕は今、魂の天の川を泳いでいる。


 ネネさんと喋っていたら、またここに戻される、脚が浮くような感覚を感じて、次の瞬間にはもうここにいた。


 何故泳いでいると形容したかというと、ネネさんと出会って状況をある程度整理できたからなのか、流れ去るだけだった記憶の奔流を、ややダイジェスト気味とはいえ認識できるようになっていたからだ。


 僕が姿を消してから、ネネさんは僕との未来談義から着想を得たびっくり占いの数々で一躍時の人となった。


 本人のルックスや強烈なキャラも相まって大人気に。その地位を盤石にしていく様は、一種のサクセスストーリーとして僕も楽しかった。


 子宝にも恵まれた。長女、次女、そして三女が生まれた頃から世界は激動の時代へと突入した。いいや、僕が降り立った時にはもうすでに壊れかけていたのかもしれない。


 人類の繁栄と比例して広がっていく環境汚染。爆発的に蔓延した伝染病と変異株により、人々は外出を控えて久しく。


 そのせいか体力も免疫力も衰え、汚い空気と病に抗えなくなっていった。爆増した病人に対して、如何に発展した医療だろうと医者と薬の数が足りなかった。


 まだ幼く、体力が無かった。そうとしか言えないけど、ネネさんの三女が死んだ。ネネさんは自身の霊感と魂には何か関係があるとして研究に没頭するようになった。


 三女の面影に縋るネネさんは、正直見ていて不安だった。


 お金はあった。地位も、人気も。研究に賛同する人たちが集まり、魂の研究を進める機関となり、カーネル学派と呼ばれるようになった。


 終わりに向かっていく世界に危機感があったのか、


 難しすぎて理解できなかったけど、VRというものを駆使して不老不死を目指したVR学派。サイボーグ学派が後に合併し、一大派閥に。


 薬物や医療技術や万能細胞を研究していた学派は二百歳の壁を越えられないと結論付けると、他派閥との協力に注力した。あと魂から不老不死を得ようとしたカーネル学派など、とにかく色んなアプローチで盛り上がっていた。


 詳しい研究内容は分からないけど、ネネさんが老衰で死んでからも、後継達が意志を継いでいったようだ。


 環境問題をどうにかしようという動きはあった。だが実際の所そんなものは世間体のいいプロパガンダに過ぎず、加速する環境汚染により健康的な水や食べ物が行き渡らなくなり、資源も掘りつくし、原生林は消え、生態系は狂い、複雑高度化した社会を支えるだけの基盤を失った世界は、とうとう残飯を貪り合う泥沼の戦争を始めた。


 更に散々地球を痛めつけたつけが回って来たのか、気温の低下が危険領域まで差し迫り、四季の半分で雪が積もる長い冬の時代が始まった。


 ――そしてまた強く引っ張られた。






 気が付くと、無機質なコンクリートに囲まれた薄暗く寒い空間に立っていた。


 そこには、育ちも人相も頭も悪そうな賊っぽい男どもが沢山いて、一際大きな大男が僕と同い年くらいの金髪の少女に跨っていた。取り巻きらしき男どもが四肢を抑え込んでいる。


 少女は震えて目から涙を流し、更に小さな少年は首にチェーンソーを突き付けられて倒れている。気を失っているのか、動く気配はない。


 ジェニがサイモン達に取り押さえられて涙を流していた光景とダブる。


 助けたい!無意識に動きかけていた体を、声を出すことで抑えて平静を装う。


「この光景には既視感がある。大方想像は着くけど一度だけ言い訳を聞いてやるよ」


 自分では冷静なつもりでも、いつの間にか鍔に掛けた親指。今すぐにでも斬ってやりたい……!けど、後悔したろ……!相手を知らないまま先入観で振るった暴力に……!


「あ?どっから入り込んできたクソガキぃ……!」


 大男が威嚇してくる。楽しみを中断されたことにキレているのか?


「質問してるのは僕だ。いいか?チャンスは一度しか与えない。いい大人が寄ってたかって何やってたかって聞いているんだ」


 剣呑な空気が張りつめる。


「見た分かるやろ!反社と獲物ぉ!……ほほぉええ面しとんなぁ坊主ぅ!丁寧に梱包してのこぎりマダムに売ったるからな!?なっ!?やでヒーローごっこは後でな!?後で相手したるでな!?それまで我慢しような!?」


 しかし、大男は悪びれもせずに舌なめずりが似合いそうな下卑げびた表情で僕を見下した。ただの獲物として。


 ぽとっ


 大男の両手首がほぼ同時に地面に落ちる。


「あ?」


 十分わかったよ。お前達は、僕が一番嫌いな人種だ!


「はぁ……最悪の気分だよ」


 手に感じた嫌な感触。取り巻く男達も同様に、手首と足の腱を斬っていく。


 その中の一人が、僕に銃口を向けた。


 グリップや銃身の形で分かる。M1911、僕でも知ってる超有名銃だ。この拳銃で死んだ命を沢山見た。それほどこの銃は世界の記憶にこべり着いている。


 アメリカ産ならどうせ使用弾薬は45ACP弾だ。弾速は時速約八百八十九・二キロメートル。秒速にして約二百四十七メートル。


 人間は音を聞いてから体を動かすまで最低でも零・一秒はかかるという。それが反応速度の限界だ。零・一秒で到達する距離は二十四・七メートル。


 対して音の速さは一般的に秒速約三百四十メートル。この部屋は凍てつくように寒いから約三百三十二メートルくらいかな。零・一秒では三十三・二メートル。


 彼我の距離は十メートルも無い、つまり音が聞こえた時にはもう目と鼻の先まで迫ってるということ!到底間に合わない!


 引き金にかかる指が見えてる。不規則な呼吸、震える指先、目線、焦点、ブラフなんかじゃない……!奴はプロじゃない……!つまりは全身が剥き出しのヒント!


 照準とタイミングはここだ!この状況で最短最速の対応は……!


 ……そもそも音速を超えられない時点で、僕には白老はくろうの居合斬りの方が恐ろしく感じるよ……!


 パアァン!!キィンッ!!


「バカなぁ!!ぎゃ!!」


 銃を持つ手ごと斬り落とす。加速した体の勢いのままチェーンソーも断ち、残党共も一気に斬る。


 これで全員だけど、逃げられたり無駄に足掻かれても面倒だな……


「リストカットっていうドメジャーな自殺方法があってね。人は手首を斬っただけで死ぬみたいなんだ。その足じゃ這って進むしかないけど、そんなことしたら失血で死んじゃうかもね」


 小さな悲鳴が幾つか響き、見るからに青ざめた表情へ変わっていく。


「仰向けに寝転がって心臓より高く掲げてたらそうそう死ぬことは無いよ」


 賊共は従順に冷たいコンクリートに背中を密着させた。手と足を上げる姿は服従して腹を見せる犬の様だった。


「大丈夫?怪我はないかい?」


 その間に気絶している少年を抱きかかえて少女の元へ連れていく。


「私は……大丈夫……ミカラファは!?」


 少女は何よりも先に少年を心配した。


「気を失っているだけだよ、安心して。指の怪我も浅いから何日かすれば自然と治ると思うよ」


 だから、もう大丈夫だよって安心できるように丁寧に答えてあげる。


「そう……良かった……」


 金髪碧眼に着ぐるみみたいなもこもこピンクの服と分厚い上着。


 胸を撫でおろすように一息ついた少女。まだ涙は乾かないし、笑顔が戻る事も無い。けれど、弟だろう少年を膝に抱く姿は、何か、神秘的なまでに美しかった。


 ネネさんの元から引き戻された時のような浮遊感に似た感覚を覚える。


「もう時間か……」


 恐らくあの時と同じで、もうそろそろ魂の天の川の中へと戻るのだろう。一体何がトリガーで僕は短時間とはいえ時代に干渉できるんだ?強烈に体を引かれるあの感覚が関係しているのだろうか?


 考えるのは後だ。少しでも多くこの子達の力になってあげたい。


 幸いにも少女は涙ぐんだ瞳に理知的な光を宿している。非常事態とはいえ、きちんと話を理解してくれるはずだ。


「こいつらはもう碌に逃げられないだろうし、長い事放っておけば出血で死んじゃうかもしれないから、外に出られたら衛兵……じゃなくて警察に言うんだよ。君達も家に帰ったら念の為お医者さんに診てもらった方がいいかもね。じゃあ大変だとは思うけど、後は二人で頑張るんだよ」


 綺麗な碧眼を真っ直ぐに見て、若干早口でまくし立ててしまったけど、うん、この子は大丈夫だ。


 また目の前で消えちゃったらびっくりさせちゃうよね。どこか柱の裏にでも隠れなきゃ。


 かじかんだ少女の手をゆっくりと解き、「待って!!」その手をもう一度掴まれた。


「どこに行くの!!?出口はどうせ一緒よ!!一緒に行こうよ!!一緒に居たいの!!だってまだお礼だって出来てないし、弟だって直接話したいだろうし!!」


 少女の頬が心なしか薄緋色うすあけいろに……霜焼けかな、かわいそうに。


「一緒には行けないよ。ごめんね。不安な気持ちはわかるけど」


 直感的に分かる。本来僕はこの時代の人間じゃないから、僕が何をしようとも、きっとこれには抗えない。


「何で!!?だって出口は……!!どこに行くと言うの!!?」


 凄く必死な表情だ。心細いんだねきっと……意識のない人間を抱えて歩くのは大変だし、う~ん…………


 な……何て言おう?はぐらかすのも違う気がするけど、正直に話した所で意味不明だしなぁ……それに詳しく説明してるだけの時間もなさそうだし……


「……遥か時の彼方かな」


「時の……彼方……?」


 少女は首をこてっと傾ける。


 そりゃそうだよ意味わかんないもん!でもこれしかないしなぁ……これしかないよなぁ……ごめんわかってくれ!


「そう……だから一緒に行ってはあげられないんだ」


 怪訝な目を向けられたけど、その目が、表情が、だんだんとほぐれていく。よく分からないけど納得してくれたようだ。よかったぁ……


「待って!!そうだっ!!」


 かと思えば、少女は急に声を大きくした。可愛い顔が大袈裟に動いている。


「私はサリウリ・レリークヴィエ!!貴方の名前は!!?」


 ちょっとびっくりした。なんてことはない、自己紹介を忘れていただけで取り乱すなんてよっぽど律儀な、


「っっっサリウリ・レリークヴィエ!?」


 えええええええええええええええええええええええええマジでぇぇぇえぇぇええええええええええええええええええええええ!!?


「ちょまっレリえぇ!!?サリ」






【余談】

VR学派は、完璧な仮想世界を創造し、体感時間を調整することで不老不死を目指した。

仮想世界は作れても、寝たきりの人間は直ぐに健康上の問題が発生する。

完全無欠のサイボーグ化による不老不死を目指していたサイボーグ学派が、開発コストやメンテナンス費用などの問題により行き詰る。

サイボーグ開発技術を活かして、脳や幾つかの臓器以外をサイボーグ化してはどうかとVR学派と共同開発を開始する。元々の分野的シナジーも相まって強力な派閥となる。

再生医療や延命治療、万能細胞の研究などにより不老不死を目指していた一般派閥が、人間の限界を悟り始めると共に、医療技術をVR派閥に提供した方が可能性があるとして協力。

脳の思考パターンをスキャニングしてみたり、人間と同等のAIを開発しようとしてみたり、体の大半をサイボーグ化した人間はどれだけの栄養素で活動できるのか試してみたり、クローンにスキャニングした思考パターンを上書きできるか試してみたり、エトセトラ、エトセトラ……

そんな大派閥には見向きもせずに、魂を解き明かした果てにこそ不老不死の秘法があると、学会でも世論でも嘲笑されながらも、細々と独自研究をしていたカーネル学派。

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