第222話 六十秒②


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 死してなお潰れた睾丸を大事そうに握り締めた体勢で、喉から血を流し呼吸なく倒れる金豚の高そうなスカーフで、口元と短剣の血を拭き取り懐にしまう。そして警備の者が騒ぎ立てる前に音もなく屋敷を後にする。


「カサブランコちゃんは天才ですね!」


「○○さんは本当に凄いんだよ!」


「そんなふうには一生なれねぇんだろうなぁ」


「バケモンだ」


「きっと俺達凡人とは生きてる次元が違うんだよな」


 自分へ向けられる称賛も、他人へ向けられる賛美も、


「えぇ~そ~ですか~?」


 いまいち共感できなかった。


 だって、コツとか聞かれても出来そうだからやってみただけ。出来なかったら出来るまでやってみただけ。特別なこと何もしてない。


 皆が向けるキラキラした視線。同じものを見てみても、「……簡単そう」口をついて出るのはそんな言葉ばかり。


 何でもいいから楽しんでないと、ふと消えてしまいそうになる。


 そんな日々ばかり、退屈な街並み。


 ある日、忍び込んだ金豚の屋敷、初めて捕まった。剣で負けた。


「お前あれだろ、おっかねぇ噂の……くるみ割り人形だっ!へぇ~可愛らしい顔してえげつねぇもんだぁなぁ」


「……」


 金豚は沈黙を肯定と受け取った。


「お前、何でんなつまんねぇことしてんだ?」


「……金が貰える」


「……」


「……」


「……おもんな」


「…………暇だった」


 男は笑った。


「そうか!暇か!なら冒険者しよう!」


「……」


「ダンジョンだぁ!!富!力!名声!友!ロマン!何でもある!何でもありだぁ!退屈なんかぁしてる暇ねぇぜ!!」


 煙草の煙が良く似合う、豪快な笑顔だった。


 男の言った通り、その日から退屈はなくなった。


 殺そうと思えば殺せる。けど勝てない。そんな猛者たちの集うパーティーで、四季は廻り時は過ぎ行き……


「……ミサミサは、飽きないです?ずっと同じ練習ばっか、もう目瞑ってても真似できますよ、ほら」


 苦戦していた難しい刺突技を完璧にトレースされて、


「ランコちゃんはいいわよね、たまたま天才に生まれてこれて」


 素直に教えでも乞えばいいのに、意地でも毒づく所が心地いい。


「天才なんて……楽しみが減っちゃいます……あーあ、ミサミサみたいに生まれて来れたら、もっと退屈せずに済んだのに」


「……喧嘩売ってんの?」


「凄い!よく分かりましたねミサミサは天才です!」


 エストックが顔の横をビュンッと通り過ぎていく。


 追撃を、懐から取り出した短剣でキンッと弾く。


 ミサミサは反応が良くて本当に面白い。


「私が勝ったら、ランコちゃんは一日ミニスカティーバック!」


「言ったからにはミサミサもやるですよ!」


 …………


 ……


「私、本物になりたいの」


「?ミサミサはミサミサですよ?」


「…………お母さんは本物だったわ。フィーリアもスモさんも、」


 ミサミサの手から温かい熱が伝わってくる。


「ランコちゃんも」


「……本物?」


「はぁ……」


 顔と手をやれやれと振り、


「私が本当に凄いと思える人よ!」


 自分の姿を見下ろす。


「……本物……なんですかね……」


「何よ、殴るわよ?」


「い~や~で~す~!」


 立ち上がる。


「でもいつか、そう思えた時は……」


「?」


「ミサミサもなっていてくださいね、本物に」


 あの時のミサミサの顔は絶対に忘れない。






「天才だぁ……」


 やっとわかった!理解した!叩きつけられた!目を奪われた!


 キラキラした目の訳を、やっとこの身で確かめた!


 エストの、ジェニの!想像の上を!限界の先を!行って当然だと!出来て当然だと!言わんばかりのあの姿!


 痺れるよ!憧れるよ!敵わないかもって思っちゃうよ!


 自分もって……思っちゃうよ……!!


 ジェニちゃんがいるとはいっても、アニマ君の乱入で場はぐちゃぐちゃ。悪魔はもう大暴れ再開してるし、スモーカー達も目まぐるしく変化する戦況に追いつくだけで精一杯です。


 あれからミサミサはぐちぐちうだうだ這いつくばって、立つ気力もないようです。


「ミサミサ!とく御覧ごろうじてやがれです!」


 使い慣れた短剣を両手に、戦場を駆け抜ける。


 通り抜けざまに悪魔の手首を斬る。でも短剣の重さでは薄皮しか斬れない。肉まで斬るには、骨を断つには、全速力と全体重を掛ける必要がある。


 振るわれる腕を躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。


 もっと……!もっと早くなれる……!着地時つま先の向きを次の一歩の向きに!回避の跳躍は攻撃の跳躍!そして次の攻撃へ流れる一本の線のように!


 手数で倒せる敵じゃない。うろちょろ飛び回っても鬱陶しいだけ。だから、一撃一撃を、重く!速く!


 あぁ、凄い……!今……!今、めっちゃ速い!


 出した事のない速度。集中は潜った事のない深度。でもまだもっと行ける気がしてる!


 楽しい楽しい楽しい楽しい!!気持ちいいいいいい!!!


 跳躍した体に、下から悪魔の鋭い蹴り上げが迫っている。


 これを避けて、潜り込んで、次は……次は……


「ふひっ」


 限界を超えた深度での集中が見せた、悪魔的な閃き!脳を痺れが駆け抜ける!


 自分の跳躍力と体重では足りなかったのなら、相手の力を利用してしまえば……


 エストの姿が鮮烈に焼き付いてる。頬が緩む。


「今なら、出来る気がしますぅ」


 自分の体より太い脚の蹴り上げを、わざと受けた。


「かはっ!」


 人間一人の体など簡単に宙に打ち上がる。


 衝撃で肺の中の空気を全て吐き出した。折れた骨が肺に刺さり、内臓もいくつか破裂したみたいだ。座標調節の為に足も千切れて飛んでった。


 片脚は折れ、片脚は失い、バランスを取り辛くなった体で目まぐるしく回転する。天地が何度もひっくり返る。三半規管がぶっ壊れる。


 でもまだ脳ミソは止まってない!血中酸素も残ってる!


 目をかっぴらき、血走らせ、見定める!意地で握り締めた両手の短剣を握る力を更に強める!


 斬れる!!


 スパンッッッ!!!


 残る片翼の根元を、鮮やかな筋が通り、支えを失い、地に落ちた。


 受け身もおぼそかに、でも、ごろごろ転がった先で、ミサミサと目を合わせた。


 声は出せなかったけど、笑顔で立てた親指。


 最高に楽しかった……!!






**********






 ランコちゃんも、死んじゃった……


 目尻に浮かんだ涙。


「何よ……」


 キュッと瞑り、風に飛ばす。


「そんなに輝かれちゃあ、私もって思っちゃうじゃない!!」


 最後の笑顔が、私の顔に移っていた。


 ランコちゃんが命を賭してこじ開けた突破口!二度と訪れない僅かな空白!


 狙うは、ジェニちゃんが貫いた手のひらの小さな穴。


 ズッ!!


 エストックは刺突だけじゃない!!


 両手で握りなおし、体を下に、剣を担ぐように滑り込ませて、そのまま、


 パッ!!


 中指と薬指の間を斬り裂いた!拳で殴ろうとすれば傷口は更に開く!これで悪魔の攻撃を一つ封じた!


 エストックを振り抜いた背中に、悪魔の大きく開いた口が迫っていた。


 女の体なんて一飲みできるくらいの大口。骨すら咬み千切れそうなギザ歯。






「私もフィーリアみたいになりたい!ねぇどうやったらフィーリアみたいになれるの?」


「そうねぇ……女は賢ければ魔女だと言われ、強ければ乱暴と言われ、優しければ尻軽と言われ、真面目ならつまらないと言われるわ」


 フィーリアは私にはまだ苦いだけのコーヒーが入ったカップを手にくるくる揺らしながら、


「求められるのはいつだって、バカで、愛嬌があって、愚痴を聞いて、股を開く、そんな女。普通、素面でなんかやってられないわね」


 小さく笑ったかと思いきや、熱々のコーヒーを一口含み、口の中で少し冷ましてから喉を許す。


「でもね、だからこそ誰よりも賢く、誰よりも強く、誰よりも優しく、誰よりも真面目に生きるの。その先に、私が居たから」


 あの時の私には、全てを理解なんて出来ていなかったけど、どこかかっこよく輝いて見えたんだ。


「大人になったミサミサは、一体どこに居るのかしら?」






「あの日見た私は、全ての諦めを否定する!!!」


 逃げれないなら逃げない!躱せないなら躱さない!私を食べたいなら食わせてやる!


 その代わり!


 窮鼠猫の上顎をぶち抜くぅ!!!


 ブシャァ!!


 腕には鋭い牙が半分くらいめり込んで、骨が見えそうになっている。それを赤い血液がコーティングしていく。


 口の中からエストックが上顎を貫通し、鼻までぶち抜いていた。






【余談】

本物の輝きはいつだって刹那的で。

その閃光が何年重ねても忘れられない。

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