第219話 「NI」から「KU」へ


 確かな手応え!!!


 斬った!!!


 心臓を斬った!!!


 あばら骨に阻まれないように、正中線に対して水平に斬った!!!


「さぁ、辞世の句ってやつを聞いてやろうじゃあないか!!!」


 のしっ


 悪魔が一歩後退あとずさる。


 のしっのしっ


 二歩三歩と後退あとずさっていく。


「…………逃ぃ~げるんだよぉ~~……」


「ぁおい待て!!!逃げんな!!!」


 ドスドスドスドス……!


 振り返る事も無く、一目散に管理棟の中へ消えていく。


 …………逃げっ……逃げた……?


 致命傷じゃなかったのか!?いいや逃げたって事は、致命傷かそれに相当する深手のはずだ!!


 追って殺さなきゃ!!


 一歩踏み出した所で、直ぐに足を止める。


 いや待て!!皆の状態はどうだ!!?


 ちっ、お世辞にも無事とは言えない……!満身創痍という言葉が最もしっくりくる……!


 ……それでも!!まず僕が先行しなくちゃ!!


「止めを刺す!!!動ける人はついて来て!!!」


 足元に投げ捨てた太刀を腰の鞘に戻して、宝剣を手にもつれながら走る!


 ここで絶対に殺さなくちゃ!!!


 肉薄した管理棟の玄関口、近づけば自動で開くガラス扉が、


 奥から何かが飛んでくる!!!


 パァリィン!!!


 ズザァァァァ!!


「イ゛っっ!!」


 高速回転で飛んできた特大剣を、リンボーダンス膝スライディングバージョンで間一髪躱す!冒険服が擦れて膝から血が滲む!


 ダアァァンンン!!!


 絶望を齎す衝撃音!目の前に、両膝を曲げ両手をついた悪魔の単眼が、影の中に笑っていた―――


 特大剣を投げる事で僕の視線を誘導し、吹き抜けの二階から飛び降りたか……!!


「……くそっ!!」


 引いたと見せかけて即カウンター。こちらの焦る気持ちを逆手に取られた。深追いを誘う為の戦略的撤退。それを悟った時にはもう……奴の手に捕まっていた。


「君が大人の体だったなら、届いてたかもねぇ心臓に」


 「惜しかったねぇ―――」広場に出ながら続けられる煽り文句。ボロボロの皆が僕達を見上げてる。


「アニマを離せぇええ!!!」


 ジェニの叫び声が張りつめた空気を揺らす。走り出そうとして、肩へ持って行った手が宝剣が無い事を思い出し、キョロキョロ辺りを見回しながら、


「武器ぃぃいいいいい!!!」


 凄い形相で代わりの武器を要求する。


「おっほほほさぁい近の女の子は怖いねぇ~!一転!囚われの王子様だ!」


 あははははは、と軽快な笑い声をBGMにして。


 首筋に、古い畳のささくれが刺さったくらいのチクッとした何かが当たる。目だけを向けると、悪魔に浣腸用の注射器の針を細く精巧にしたようなものを突き付けられていた。中に入ったタールのような黒い液体がどろっと揺れる。


「君の中を見た時、僕はね、嬉しかったんだよ」


 黄緑色の一つ眼が、僕の両眼を離さない。


「知恵は磨くもの。勇気は出し続けるもの。正義は貫くもの。節制は心得るもの。信心は真なるもの。希望は抱くもの。愛は育むもの―――」


「まさかっ!!獣化薬なの!!?」


 碧眼を目一杯開けて戦慄するエルエルに、


「よくわかったねぇエルエル・レリークヴィエ!君達に配ったのは丸薬タイプだってのに!」


 悪魔はまるでクイズに正解した子供を素直に褒めるみたいに称賛し、ゆっくりと僕へ向き直った。二度と忘れられないような、最高にいやらしい笑みで。


「……君が積み上げてきたモノ、僕がその全てを壊す!!」


 ブスッ!






 蜂に刺されたような痛みと共に、首に冷たい液体が流れ込んできた。


 何だ……!?僕の体に、何を入れやがった……!!?


 ドクンッッッ!!






 何も見えない真っ暗闇の中を、水中を漂っているかのように浮かんでいる。全身に纏わりつくような抵抗感があるが、手足を動かしても進んでいるのかどうかも分からない。


 呼吸が出来るのかという発想に至る事も無かったし、その必要も無かった。


 何一つとして情報など得られないはずなのに、僕は唐突に悟った。


 僕は今、深淵を覗いている。


(君が今最も欲しいものはなんだ?)


 そして深淵に覗かれている。


 過去の全てに思いを馳せる―――


 …………力だ。


(君が今最もなりたいものはなんだ?)


 …………強者だ。


(それが、答えか?)


 ……世界には奪う者と奪われる者が居て、自分が奪われる者で在る限り、全ての願いは鼓膜に届かず、全ての想いはもてあそばれる。


 少なくとも奪う者と同等の力を持ってなくちゃ、全ての言葉が戯言ざれごとになる。


 …………あぁ、そうさ。これが僕の、結論さ!!!






 バキバキバキバキ……!!


 ミシミシミシミシミシ……!!


 身体が燃えるように熱い――


 腰椎ようついから火が出そうだ――


 カラカラーン……


 僕もろとも握り込んでいたジェニの宝剣が地面に落ちた。


 悪魔の思念が頭に指を入れてくる。


 ……知恵は格差だ。死んでも治らぬ蒙昧もうまい共を自然と見下すようになる。一度出来上がった格差が二度と埋まることはなく、仏の面は三度で剥がれる。


 ……過食ほど見苦しいものは無いが、飼い慣らされた節制に人間らしさは薄れゆく。


 ……希望は仲間を、信心は己を殺す。


 ……勇気は愚者もをはやし立て、自ら火にいる夏の虫。


 ……マジョリティだけが正義であり、それ以外の正義は悪となる。どのような正義も本質的に悪を孕んでいる。


 ……この世界に、愛よりいびつな呪いは無い。


 バチン!


 身体を縛る鬱陶しい指をで殴り、片膝と片手をついて着地した。


 七本の赤黒く禍々しい尾が、それぞれの意志を持っているかのようにうごめき揺れる。


 ――七つの美徳は七つの罪。こう在りたい、こう在るべきだと欲する心こそが人の大罪――


 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!


 勝って殺して殺して勝って、いっぱいいっぱい殺して殺して、勝って勝って勝って勝って!!!


 いっぱい殺せば、いっぱい勝てば、いっぱいいっぱい見て貰える!!!いっぱいいっぱい見て貰えば、きっといっぱいあいしてあああいしてあいっあいあいしてあああああああああ愛して貰える!!!


 殺す殺す殺す殺そう殺す殺す殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺す殺さなきゃ殺すんだぁ!!!


 両手と尾を目いっぱいに広げて、


「SHINEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEAAAAAA!!!」






**********






 美しかった色白の肌が炭化したかのように黒ずんでいき、眼球の余白が漆黒へ染まった。


 灰色の髪からは二本の角が突出し、犬歯が長く尖って下唇を圧迫し、爪が伸びて黒曜石のように硬質化する。


 そして、血を固めて鱗にしたかのような禍々しさを放つ七本の太い尾が、赤黒い軌跡を宙に描いている様は、九尾の狐と重ねるには悍ましい……


「……悪魔……」


 信じられないものを見るかのように碧眼を小刻みに揺らすエルエルがぼそっと零した。自身の黄金の髪をぐしゃっと掴み、


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 悪魔が両手を広げて口を吊り上げた。


「ようこそ!!!こちら側へ!!!」






【余談】

「Need 愛」から「Kill U」へ


七つの美徳と七つの大罪は表裏一体。

数多く身に浴びた呪詛と怨嗟が形を得たものが、七本の尻尾として現れた。

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