第218話 死闘⑥


 防御なんてしてる余裕は無かった。


 受け身も取れず、頭も骨も関節も、ぶつけちゃいけない所を激しい痛みが走っていく。地面やすりに負けた皮膚が擦り切れ、血痕を残してまた跳ねた。


 度重なる激痛に、防衛本能が意識を遮断しようと……保つんだ!!


 まだこの目に結末を見ちゃいないだろ!!


 ぽた……ぽたっぽた……


 鮮血の滴る音。心臓を貫いたにしては、雫の垂れる些細な音。


 カラッカラン……


 悪魔の手のひらに突き刺さっていた宝剣が自重で抜け落ちた。


「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 もう一方の手に握られていたジェニが、狂犬のような形相でジタバタもがいていた。


「そんな……」


 誰かの口から悲嘆が漏れる。


「あれでも、届かないのか……」


 絶望が口々に出る。


「楽しいなぁ……」


 理性無き獣ごっこはもう辞めたようだ。悪魔の口にはいやらしい笑みではなく、純然たる笑みがあった。


「そのうす汚い手を今すぐ離せ!!!」


「過去一だよ!!僕が僕の死を!!こんなに近くに!!」


 聞いちゃいない!ぶち上がったテンションのまま振り回された腕。力が強まったのか、手中のジェニが苦しそうな声を出す。


「握れなくなるまで筋を断ち切ってやる!!!」


「失敗だよぉ失敗したなぁ……!こんなに楽しいなら僕も武術を学習しておけばよかったなぁ……!!」


 じろっ


 自分の世界に入っていた悪魔と目が合った。


「じゃあ返してあげる」


「は?」


 悪魔は左手に掴んだジェニを胸の前に持ってきて、右手を覆い被せた。半身をこちらに向け、湾曲していた背骨をピンと伸ばして直立した。


 高い……今まで獣のように四足で動いていた分、余計に高さが際立つ。


 右足を九十度に上げ、被せていた右手を伸ばして僕にかざした。


「君のお姫様だ」


 尻から重心を前に倒すと同時に上げていた右足を大きく前に踏み込み、後ろに伸ばしたジェニを掴んだままの左手が、体の捻りに合わせて腰の横を通り抜け、


「クソサイコがぁぁぁぁああああああああ!!!」


 ジェニの絶叫が風に溶ける。


 ビュンッッッ!!!


 アンダースローで投げられたジェニが、長い手足の遠心力で有り得ない程加速し、突風となって、倒れ伏す僕の顔面目掛けて迫り来る!!


 高速回転の中、何度も合う目が迫って来る!!


「二人は幸せなキスをして終了っと」






「キぃっひっひモいねぇ!どうしてその体でそんな動きが出来るんだい!?」


「大丈夫?怪我はないかい?」


 両腕の中、見開かれた赤紫のアメジスト。目線を合わせると、頬を染めながらこくっと小さく頷いた。


「僕がいる限り、ジェニに死なんてものは訪れない……!」


 下ろす時、爆風でぼさついた髪が顔にかかっていたので手櫛でさっと直してあげる。


 隙を作り最後にバトンを繋ぐ為、皆相打ち覚悟で挑んだ。重たい反撃に、無事な人は殆ど残ってない。


 それでも届かなかった絶望と襲い来る痛みに、誰もがうつむいている。


 今この状況を変えられるのは、僕だけだ!!


 絶望の深淵の中に在っても、ほんの僅かでも光が見えたら全力で手を伸ばし続ける。ここにいる冒険者ってのはそういう生き物だろ!!


 振り返る。


「皆!絶望するにはまだ早いんじゃない!?」


 だから、希望の光を示すんだ!!


「このパーティーには僕がいる!!!」


 僕が、このパーティーの英雄ヒーローになるんだ!!!


 さぁ、立ち上がれ!!!


!!!」






「おらぁあああああ!!!」


「頼む!!スイッチ!!」


 スモーカー一派の男達による重打が悪魔を揺らし、


宵渡落海月よいどれくらげ!」


 ミッドレアムさんの極まった剣技がまた赤い血筋を浮かび上がらせる。


「飛べ!!ジェニちゃん!!」


 モドリスさんを踏み台にして、ジェニが高く跳躍する。


 ザシュッ!!


 悪魔の肩を宝剣が抉る。


「「ぐあぁ!!」」


 飛んだジェニが攻撃されないように両腕のヘイトを引き付けていたお陰で、またしても重たい一撃がこの身に降りかかる。


 あの巨体では適当に振り回すだけで範囲攻撃だ。アシストしてくれた皆もエストさんやランコさんを除いてダメージを受けてる。


 度重なるダメージにとうとう膝がガクガクと笑い出した。


 けどまだだ!!


「もう一回!!!」






**********






 可愛い顔をした少年。初めに抱いた印象はそれだけだった。


 ランコちゃんがいつになく絡んでるわねってちょっと不思議に思った程度。キメラモンキーを倒したってのも、お仲間達が強かったのねって。


 だって、大英雄の愛娘や新進気鋭の天才剣士や武術大会優勝者のデカい人は、ぐっと目を引かれる特別なオーラを発していたけど、別にそんな事も無いどこにでもいるような普通の少年だったんだもの。


 それが、誰が想像できたというの?こんなの、分かる訳ないじゃない。


 今この戦いの最も熱い場所に、その少年が居るなんて……!


 アニマ君……ただの捜索対象でしかなかったはずの彼は今、作戦を考えながら、連携を指示しながら、自身も最前線で戦いながら、悪魔にわざと嘘の作戦を聞かせたり、口と指で違う指示を出したりと更にブラフや駆け引きも行ってる……!


 全部ひとりでこなすんじゃなくて、ゼダーやスモさんと状況に合わせて分担してるから無駄が無い。


 普通こんな複雑な指示を三人でしてたら皆が混乱しちゃうのにそれがない。綺麗だわ……美しさすら感じる……!


 その小さな体で、一体どれほどの思考と取捨選択を同時に行っていると言うの……?


 でも、


「ぐあぁ!!」


 勝てる訳ない……






「私、フィーリアが好きよ!かっこいいもん!大好き!」


 まだ小さかった頃、元冒険者である母が弟子のスモさんの様子を良く見に行っていたこともあって、私はそれについて行くのが好きだった。


 ガサツでゴリゴリで大酒飲み、いつも忙しくて家にも碌に帰ってこない母とは違って、綺麗なお姉さんであるフィーリアが、幼い眼にはとてもとても眩しく映った。


「あら、ありがとう!ふふっかわいいミサミサにはおやつ上~げちゃう!」


 どさっと抱き着くと、いつもどこからか取り出したお手製のお菓子をくれた。






 フィーリアは、死んじゃった……モンモちゃんもスーモンちゃんも、ティッシュもアサイもジロウもコン兄弟も皆死んじゃった……


 どうせ皆死ぬんだ……どうせ勝てない……


「んぐッ!」


 ほらっ、無駄に足掻いた分だけ痛い思いするってのに……


 皆、立ってるだけでふらふらなのに……


「もうい……かい……!」


 なんでまだ立とうとするの……?


「あ゛ア゛!!」


 悪魔の蹴りによる追い打ちが、アニマ君の腹を掬って何メートルも転がっていく。


「……もう一回!!!」


 それでもまだ腕をついて立ち上がる。


 なんで……?


 きっ!


「諦めなさいよぉおお!!!」


 嗚咽のような叫び。いつしか熱い涙が止めどなく流れていて。






**********






 僕が倒れる訳にはいかないんだ……!


 皆を諦めさせる訳にはいかないんだ……!!


 英雄ヒーローってのは、全員助けて勝っちゃうんだ……!!


 走る。走る。


「奴の攻撃は俺達が引き付ける!!」


 スモーカーさん達が前に飛び出す。


「火の粉は業火だろうと払います!!今は私が保護者代理ですので!!」


「サポートは任せろ!!俺達ぁこれが本業だ!!」


 ライさん、タコンさんも。


「陽動は俺達に任せろ!!行くぞランコ!!」


 モドリスさんとランコさんが背面に回る。


 バシュッ!!


「ハッハァーーー!!ざまぁみろってんだフニャチン野郎!!」


 クロスボウを投げ捨てたジャンが僕の隣を走るエストさんに並ぶ。


「よぉエスト!相変わらず憎たらしいくれぇイケメンだなぁおい!……正直どうだ、役不足か俺様は?」


「おやおや、見た目に反して怖気づきましたか……?」


 目を合わせて、微笑む。


「ジャン、貴方の方が次席よりも手強かった。諦めが悪くてね」


 ジャンは目を丸くして、笑った。


 何だあの動き!!?


 白銀の髪だけをその場に残すかのような不規則かつ超高速の複雑フェイントステップ!更にアクロバットを織り交ぜて変則的な軌道を描き、骨の羽を掴んだ!!


 遠心力と体のバネを利用して更に高く飛翔するジェニ!!


 ここに来て切れを増した動き!今まで見たことない究極のアクロバット!!


 そうして空中に躍り出たジェニに、悪魔の裏拳が迫る。


「いくぞ!!!」


「一、二の、」


「「三!!!」」


魂穿たまうがち!!!」


 背後への裏拳と同時に、コマのように振るわれていたもう一方の鉤爪を、エストさんとジャンの同時斬りと怪物の剛槍が弾く!


 その衝撃でコマが僅かに逆回転し、ジェニへの裏拳が一瞬遅れた。


 僕はその隙に懐に潜り込み、太刀を構える。


 表と裏の同時攻撃!


 悪魔は僕を切り捨て、今まさに宝剣を振り下ろそうとしているジェニへ拳を……!


 ジェニが全力で振り下ろした宝剣が弧を描き、その手を離れた。


 パシッ!


 その真下には、僕が居る!!


 以前、第三層で宝剣を落とされた時は無様に尻もちをついてしまったけど、なに、来ると分かっていれば話は違う!!


 ジェニの投剣の腕は証明されてる!!丁度持ち手が来るように投げるなんて造作もない事だ!!


 最も切れ味の鋭い宝剣を、最もエキサイティングなジェニが持ってる。この事実が、奴の意識に致命的な穴を作った!!


 刃物を使えば幼子でも人を殺せる……!


 宝剣を使えば、僕でも悪魔を殺せる……!!


 腰に溜めた宝剣を、真上に振り抜く!!!


「死ねぇぇぇぇええええええええええええええええええええええエエエエエエエエエエエエエエ!!!」


 ザシュッッッ!!!






【余談】

ヒーローはエゴイストだ。

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