第202話 誰が為の戦い②


 人は生命の危機に陥ると生存本能が働き、強い性欲を感じるという。


 激しい怒りを覚えると、それを性欲に昇華させて発散させようとするという。


 但しそれはまだ余裕のある危機と怒りに限る。今にも死にそうな危機、今にも憤死しそうな怒り、日常を超えた激情の前には……


 視界の端には極限の集中にオーラを物凄い密度で手から発するエルエルと、顔に汗を落とされても何の反応も示さないお母さん。


 やる気に燃えると言うよりは、やらなねばならないのだからやるしかないといった表情でバックラーと片手剣を構えるエストさんは、悪魔に気づかれた時点で撤退=事実上詰みとなったのを正しく理解しているようだ。


 元より覚悟の決まっていた怪物は悪魔のあまりの巨体に若干怖気を感じつつも、大槍を力強く構える大きな肉体は不動の安心感をもたらしてくれる。


 すぅ……はぁ……


「なぁアニマ」


 嗤い顔を浮かべる悪魔を赤紫の瞳で見据えながら大きく深呼吸。それに合わせるように十二歳にしては発育がいい方の胸に十字架が煌めく。


 視線をそのままに宝剣を構えながら、銀糸のような髪越しに、


……」


 僕の大好きなジェニという少女は、自分の想いを伝える時は必ず相手の目を真っ直ぐに見つめる。だから、隣で同じく太刀を構える僕を向いて続く言葉を言おうとして……


 その死角から空気すらも切り裂くような悪魔の鋭い爪が突き放たれて、


「やからアニマも、」


「後ろ!!!」


 覆うように被せた僕の警告に、されどジェニは振り向かない。


 何で!!?そんな単純なミスをよりによってこんな時に……!!


 僕は太刀を片手に持ち替えて思いっきり地面を蹴る。


 迫る鉤爪。


 間に合うか!!?切っ先だけでも!!とど……かない!!


 ガキィン!!


 いつものように肩に担ぐように構えられた姿勢から僕の目を射抜いたままに、鋭い爪の大質量を完璧に受け流すジェニ。最小の動きだけで、数多の冒険者を屠って来た暴力を流し切った。


?」


 ノールックぅ!!?


 さっきまでの恐怖は!?何でわざわざ難易度上げてまで!?


 若干パニックになりかけたけど、力強い視線に当てられるように、


「死なないよ、まだ何もかも中途半端だ」


 言いながら太刀を両手に握りなおし、大上段に構える。


 ジェニから迷いや恐怖は無くなっている。時間稼ぎが生きた。それどころかとんでもないコンディション。


 いつだって不可能を可能にしてきた。有り得ないを実現してきた。僕を引っ張りながら最年少で攻略までしてのけた。最大の親友であり、最愛の恋人であり、最高の師。


 いける!!


「それに、うをぉぉおおおおおおおお!!」


 軌道を逸らされた腕を悪魔が引っ込めるより先に、手首目掛けて振り下ろす。


!!!」


 アニマ・シナスタジア十二歳、思春期真っ只中にして、命の危機真っ只中、その魂の叫びだった。






**********






「スモーカーさん……」


 第五層への直線道路を走る一行。第六層に留まっては食糧が尽きてしまう。水しかない第五層、食糧は豊富だがキメラモンキーの巣窟である第四層は避け、可能なら第三層まで一気に駆け抜けたい。


 そういう想いで駆けるスモーカーへ、タコン青年が話しかけた。


「あんたに憧れて……俺、ここに居るんです」


 前を走るスモーカーは振り向きもせずに、


「……好きに嫌え」


「えぇ……最低っす……」


 普段ならこんなことを言えばベテランメンバー達が黙っていない。鉄拳の雨が降り注いだだろう。しかし、唐突な乾季の到来か、はたまた台風の目か、今ばかりは降らなかった。






**********






 戦いに勝つ方法として最も分かりやすいもの、それは質量だ。


 一騎当千の達人も十万の前には成すすべなく、理想的な捕食者である蟷螂かまきりも獅子に挑もうとは思わないだろう。


 戦場においては質量こそが絶対の法則。質量こそが信仰の対象。ならば質も量も圧倒的な敵には……


 どう勝てばいい……?


「立てる怪物!?」


 右拳を左手で包み込み横薙ぎに振るわれた悪魔の拳を、大槍で受けて吹き飛ばされた怪物のカバーに入りながら、転がっていった怪物へ無事か問う。


「あぁ……すまん」


 強がるような返事を言い切る前に、上手く体を支えられずにガクッと崩れる。


 悪魔の攻撃は余りにも重い。一撃一撃が兄将をも超える重打。しかも武器を持たないが故に自由度の高い攻撃が、手足の長さを存分に活かしたイカサマリーチで息つく暇なく飛んでくる。


 正面から受けてしまえば怪物でもアウト。少しでも受け流しに失敗すれば大怪我に繋がる。ジェニが見せたような完璧な受け流しなら無傷でしのげるが、毎回できる訳ないだろふざけるな!


 致命的なダメージを防ぐだけで精いっぱいだ。全身に鈍痛と浅い傷。ジェニとエストさんが回避盾として攻撃を引きつけてくれていなかったらとっくに全滅だ。


「スイッチ!あ゛あ゛!!」


 ジェニは後方で昏倒している。そして今エストさんも受け流し切れずに重い一撃を喰らってしまった。


 倒れ行くエストさんの前に進み出て、辛うじて隙が生じた腕に太刀を叩き込む。


「くそっ!」


 渾身の力を込めた太刀は上手く命中したが、ゴム状の金属でも叩いているかのような感触に阻まれて碌に刃が通らない。


 最も絶望感を齎すのが、この硬さだった。


「うぐっ!」


 ダメージを与えられなかったのだから必然的に僕が隙を晒してしまった形になる。特大の手の甲が鳩尾にもろに入り、空気を全て吐き出してしまい、その場に蹲る。


 衝撃に一時的に苦しくなった呼吸。腹を押さえながら冷や汗を地面に垂らす。


 酸素不足で落ちた視力、それでも終わりを告げる鉤爪が迫り来るのが見えていた。


 無理だこんなの……!実質四人でどうにかなる相手じゃない!


 死ぬ……死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……!!


 悪魔は爪を立てるのではなく指を広げ、ガシッと大きな手で胴体ごと掴まれた。僕の腕くらいある人差し指が首に掛かって、それ以前にきつく握りつぶされ、


「ぎっ」


 空中に持ち上げられるも、息苦しさと全身が破裂しそうな苦痛でそれどころではない。


「何で本気じゃないの?……君達、思ったより詰まらないね」


 向けられた落胆。白布で覆っていても分かる興味を無くしたおもちゃ、ゴミを見るような目。


「……本気に……決まってる…………遊びじゃ、ないんだよ……!」


 口の端に唾液の泡を浮かべながら、布の奥にあるであろうクソみたいな目を睨む。


「……あぁ!君、本気で遊んだことないんだろ?」


 その問いに憐れむようなニュアンスが含まれていたので、人差し指に噛みついてやる。嘲笑も加わった。


扶翼ふよくしてあげる」


 扶翼!!?何をサービスするって!?死の手助けとでも言うつもりか!?


 振りかぶるように掲げられたと思えば、物凄い勢いで振り下ろされた。その先には……


 昏倒しているジェニ。


「や゛め゛ろ゛あ゛あああああああ!!!」


 この世の不利益は全て当人の能力不足で説明がつく。天罰ではなく必罰。僕が戦いに勝てない程弱く、戦いを回避できない程愚かだった。


 それだけで……それだけのことで…………全てを失う事になる。


「ど、す、こぉぉおおおおい!!!」


「かっ!!」


 その時、馬車に轢き飛ばされたかのような衝撃を受け、明後日の方向へ思いっきり転がった。


 揺れる視界で見るに、筋骨隆々の女性が身の丈ほどもある特大槌で、僕を握り締めた手ごとぶん殴ったらしい。


「寝てな坊主!雑魚は嫌いだ!」


 センターで分けられた癖の強い金髪を丸い輪っかである額冠で留め、肩出しのワイルドな冒険服から存在感抜群の剛腕が覗く。


 そして筋肉と同じように胸もまたボリューミーで、隠す気のない谷間が凄いがその大半が胸筋なのだろう。男勝りというか人類種勝り。筋肉が服着てる。


 救世主と呼ぶにはいささか乱暴すぎる、そんな猛々しい女性だった。






【余談】

ただ重く、ただ硬く、ただ速い。それだけのことで怪物もエストもアニマも、ジェニでさえも成すすべなく負けてしまった。

エルエルはクローナの治療に全神経を集中させているので助けにはいけない。

悪魔が彼女を狙わないのには何か理由があるのだろうか?

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