第195話 愛を伝えられなかった女⑤


 きっ!


 胸の前で静止した大槍を一気に振るった。


 カンッ!……カラッカラン……


 弾き飛ばされたアイシャの槍が硬い地面を転がっていく。それを確認したかどうかというタイミングで、


 カラカラン……


 俺の手からも大槍が滑り落ちていた。


 どさっ


 上体を起こしたアイシャを腕ごと抱きしめる。


 『いやーーー!!!怪物!!!』そう叫び半狂乱に走り去った姿を、ずっと忘れる事が出来なかった最後の姿を思い出し、


「怖かったよなぁ」


 『知らないから怖いんです』ギルドで話しかけて来てくれた時、足も指も確かに震えていた。


 怖くない訳など無かったのだ。俺と違ってアイシャは農家の生まれだ。危険な大型の野生動物に本物の敵意を向けられる事を知らなかったのだ。


 自分のせいで仲間が傷ついていく感覚を知らなかったのだ。目の前で仲間の皮膚がどろどろに爛れる光景も知らなかったのだ……


 わかっていた……わかっていたし、そう思い込むようにしていた……けれど静かな夜には漠然と襲い来る不安に眠れなくなることも多々あった……


 アイシャは俺を見捨てたんじゃないかって……


「ごめん……ごめん……」


 じわりじわりと視界が霞む。確かな体温が、アイシャの匂いが、追憶を呼び覚ます。


「死にたくなかったんだよなぁ……」


 『ウガチくん!』『ウガチくん』『……ウガチくん?』『ウガチく~ん!』『ウガチくん!?』『……ふぁ……ウガチくん……?』『……ウガチくん!』『こっちですよ!ウガチくん!』


 ぽたぽた……ぽたぽた……


 頭の後ろに回した腕にぎゅっと力を込めて強く強く抱き寄せる。


…………!!」


 『私信じてますから……ウガチくんと一緒なら英雄になれるって!』


「…………!!」






 「本当にやらなきゃダメか?」「まだ何か方法があるんじゃないのか?」仲間達に向けて言おうとしたその言葉は、口を出る前に飲み込んだ。


 アイシャは足を必死にばたつかせ、腕を何とか動かそうとして逃れようともがいていた。拘束への対処。きっとそれ以上でもそれ以下でもない。


 全身のどこも震えてなんていなかった。恐怖を感じてもいない。あれはただの音の連なりだ。アイシャの言葉ではない。


 わかってる。大丈夫だ。


 すぅぅぅ…………はぁぁぁ…………


 よし……!


 手を離すと、アイシャは飛んでいった槍を取りに走った。その間に俺も足元に転がった大槍を拾い上げた。


 両足を大きく開き、腰を深く落とし、左手を相手の胸の中心へとかざし、大槍をその親指と人差し指の間にのせて狙いを定める。


 呼吸を整えて集中力を掻き集めていき、持ち手を握りつぶさんばかりの力を右手に込めた。


「……ありがとう」


 この余熱が冷めないうちは大丈夫だ……だから……君が名をくれたこの技で、さようなら……


 すぅぅぅ……


魂穿たまうがち!!!」


 ズパァァン!!!


 轟くは凄まじい破裂音。衝撃が風を生み、髪を揺らす。


 ぽっかり空いた胸の大穴、ぼたぼた落ちる血液の中から、キシ……と真っ二つに別たれた大きな百足が体を覗かせている。


「ウガ、チくん……」


 その声に、そう呼ばれた事に驚いて顔を見る。千足百足センゾクムカデはもう致命傷だ。なのになぜ言葉を……?余熱がそうさせたのか……?


「ウガチくん……」


 驚く程無表情……そうだ……当然だ。もう死んでいるんだから……なら何故動く?何故そんな目で俺を見る……?何故……


「……好きです」


 僅かに笑っているように見えた……


 力なく体が倒れると、這い出て来て、カサカサ……と少し動いた後に完全に動きを止めた。


 それを最後に、アイシャももう動く事はなった……


 動かなくなってしまった……


「なんだよ……それ……」


 アイシャは……ずっと……ずっと俺を……愛してくれていたのか……?


 こんな俺を……俺を……?


 俺が……殺してしまった……?


「え、エルエル……エルエル!!!……頼む!!!アイシャを治してくれ!!!」


 裏返った声が空虚に響き、胸に空いた大穴から流れ出る血が無情に広がっていく。


「エルエル!!!」


 何故何も言わない!!何をしているんだエルエル!!早くしてくれ!!


 ゆっくりと近づいてきたエルエルは静かな声で、


「死んでいるわよ……もう……何年も前から」


「なら生き返らせてくれ!!!」


 膝立ちでエルエルの服を掴んで揺さぶる。


「無理よ……死んだ人を完全に生き返らせるなんて、誰にもできない……」


「いいや嘘だ!!!俺は知ってるぞ!!!不可能ではないんだろう!!?」


「……」


「答えてくれエルエル!!!なぁ!!!……頼む!!!」


「ここには無い大昔の施設よ……どこかに作られていたとしても、まだあるのかも分からない……技術者だってとっくに死んでるわよ……」


「探せばいい!!!技術だって学べばいい!!!俺には出来る!!!」


「そうね……出来るかもしれないわね…………でも………………」


 エルエルの言葉には計り知れない重みがあって……


……大切な人を亡くしてから気付かされたって、もう取り返せない…………けれどね、だからこそ弔ってあげるの。この想いを忘れない為に」


 ふらふらと歩み寄って、横たわるアイシャの亡骸を抱きしめた。


 徐々に失われていく体温が、血色を失っていく肌が、確かな終わりを告げていて。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!」


 後悔をあめいた慟哭どうこくが廃都に響く……


 途絶えることなく何度も何度も……


 明けたはずの梅雨。ここにだけ取り残されて。






**********






 パチッパチパチ……


 薪にした木が音と共に火の粉を舞い上げる。穏やかな風に白煙が揺蕩たゆたう。吹き溜まった重い沈黙をも融解しながら。


 皆で火を囲み、瞑目して手を合わせている。


 一番前で黙禱もくとうする怪物の手にはアイシャさんのネームタグと一房ひとふさの焦げ茶色の髪が握られていて。


「……ついぞ言えなかった……俺の方がよっぽど臆病だったのかしれないな……」


 静かな声が炎にくべられた。


「好きだった……ずっと……愛してる……」


 その涙は葬送の炎にすら搔き消されずに……


 陽炎かげろうに面影を映して煌めいていた……






【余談】

最後に見せた微かな笑顔は単なる死後の筋肉の弛緩か、それとも……

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