第194話 愛を伝えられなかった女➃


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 焦げ茶色の髪。ボロボロの少しダサい冒険服。槍を構える姿勢。息遣いに、足運び――どれを見ても、何度見ても、やはりそれは記憶に残るアイシャのままだ。


 アイシャのままで……アイシャではない……


 アイシャは人を傷つける事を嫌う、小心者で臆病で……優しい女性だった。


 このまま放っておけばいずれまた人も殺す事になるだろう。喰らう事にもなるだろう。


 大槍を握る手にぐっと力を込める。


 アニマはここにアイシャの魂は無いと言ったが、アイシャの体はずっと後悔を積み重ねる事になってしまう。安心してあの世で暮らせないだろう……


「怪物……!」


 大きくアイシャの槍を弾きスイッチする際、アニマの声が俺を引き留めた。


「あ、えと……」


 素早く視線を向けると僅かに口ごもり、されど視線を合わせて、


「無茶……しないでね」


 いつだってそうだ……こいつは……人の事ばかり……たまに余裕も無くすしバカにもなるが…………本当にいい奴だ……


 沢山悩んで沢山迷って……選ぶ苦しみと後悔を知って強くなった……命の重みを正しく知った……


 俺が躊躇えば自分が後を引き継ぐ覚悟だ。そうはさせるか……こいつは色んな想いを背負っている。よくやっている。だが子供だ。小さなガキだ。


 これ以上重い物を背負わせれば歪んで成長してしまう。最悪潰れてしまう。それではダメだ。


 いい奴が苦しむのは間違っている。母親を救い出して、ジェニと仲睦まじく大人になっていく幸せな生活を送ってほしい。


 そうなるように努めるのが大人の役目だ……仲間の役目だ……!


「ああ」


 俺がここで殺らなければ……!


 アイシャは鋭く踏み込み、下段目掛けて突いてきた。


 身長差から必然的に下段に攻撃が来やすくなると警戒していた俺は摺足で踏み込み、右腕を腰あたりに下げたまま左腕を肩の上まで上げる事で大槍の先端が弧を描くようにして払うと、外側に弾かれたことで無防備となったアイシャの胴へ勢いのままに突きを放った。






「違う。何度も言っているだろう」


 日課となった昼下がりの修練場での稽古。今日も今日とて石畳の上にはいかつい身長差の男女の姿があった。


「槍の真骨頂は間合いだ。不利と見るや後ろへ引くのは剣士との戦いでは有効だが、大槍使い相手では完全に悪手だ。アイシャが飛び退くより俺が踏み込む方が速い」


 木の棒の先端に丸めた布を括りつけた訓練用の大槍で、皮製簡易防具を纏ったアイシャのお腹をとんと突く。


「だって怖いじゃないですかぁ!こんな長い棒じゃ弾かれちゃったらもう終わりですよぉ!どうしろって言うんですかぁ?」


 自分の槍を持つ手からだらっと力を抜いたアイシャに、はぁ……とわざと大きく溜息をついて、


「それは槍を理解していないからだ。穂先は確かに強力な武器だが、その持ち手だって立派なこんだ。こんは全ての基礎と言われる程優れた武器にも防具にもなる」


「いやいやいや無理ですよぉ!それって大槍の突きをこんな細っこい棒で防げって事ですよね!?曲芸じゃないですかぁ!」


 手を顔の前でブンブン振って出来ないとアピールする。


「曲芸でも何でも出来なきゃ死ぬぞ。もう一回だ」


「ふぇぇ……」






 カンッ!


 はね払いと呼ばれる一連の動きを、アイシャは持ち手を僅かに上に持ち上げる事で防いだ。穂先を棒の芯で完全に捉えたのだ。


 そのまま体を捻って石突で大槍を弾くと、鋭く間合いを詰める突きに繋げてきた。


 リーチで劣る大槍相手には一歩前に出た方が有利となる。真ん中に近い位置を持つことで徹底的に小回りが利くようにして立ち回るのだ。


 そしてその突きは俺の胴目掛けて放たれている。






「そうだ。的確に相手の弱点を突け。剣と違い槍にはそれが出来る」


「でもこれ……なんか卑怯じゃないですか?英雄の戦い方じゃない気がします……」


 すね、金的、鳩尾、眉間、首、負傷箇所、突きに特化した槍の有効な戦術だと何度教えても吟遊詩人に毒されたアイシャはどこか懐疑的だった。


「……仲間の為に戦う勇敢な奴でも命をかえりみない奴でも無かった」


「何の話ですかぁ?」


「仲間の陰から研ぎ澄ませた牙で喉元を狙ってくる奴だ。一番狩り辛かったのはな。


「はぁ……そんなもんですか」


「あぁそんなもんだ」


 どこか納得しきれていないアイシャの頭に手を置く。


「憧れるのはいいがな、どんな手を使ってでもアイシャには生きていて欲しいんだ。さっもう一回だ」


「子ども扱いしないで下さい!これでも同い年ですからね!」


 ぷーっと膨らませた頬が少し赤かったのは、アイシャが怒っていたからだろうか……






 胴の傷目掛けて迫る突きに膝蹴りを合わせて斜め上方向へと弾き、持ち上げた膝から蹴りに繋げる。


 脚には腕の三倍の力がある。三メートル近い体躯を常に支えている脚には強靭な筋肉がついている。横にした槍で防ごうとしたアイシャは衝撃を受け止めきれずに後ろ向きに転がった。


 両手に槍を離さないまま背中を丸めて衝撃を逃がしている。腰より少し上の位置で保持し追撃に備えているのだ。






「何があっても武器を手放すな」


 こけたアイシャの側には軽快な音を立てながら訓練用の槍が転がった。


「無理ですよぉ!だってウガチくん滅茶苦茶力強いじゃないですかぁ!稲穂みたいに千切れちゃいますよ!指が!」


 両手を開いて前に出してアピールしてくる。


「千切れそうになってもだ」


 良く分からない例えだったが鎧袖一触そう言うと、


「武器は怖いだろう?」


「……?えぇ」


「持ってるだけで抑止力となる。敵が攻撃を躊躇する。反撃を恐れてな。ただ手放してしまえば後顧の憂いなく全力で攻撃してくるだろう」


「そ、そっちの方が怖そうですね……」


「分かったならもう一回だ。今度は意地でも離すなよ」






 だがそれはある程度実力が拮抗していた場合に限る。圧倒的な実力差があれば、武器を持っていようがいまいが隙を晒した瞬間終わりだ。


 仰向けに転がった状態では可動域に限界がある。対処できる攻撃も限られてくる。いくら槍が優れた武器と言えども盾ではないのだから。


 蹴り飛ばした体勢から足を下ろす勢いを利用して踏み込み、大槍を振り下ろした。


 大上段より縦回転するように空気を斬り裂いてその胸に迫る。


「……怖い……怖いです……」






「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 荒い息で控えめな胸を忙しなく上下させながら石畳の上に四肢を放り出して寝転がるアイシャに、その横に腰かけ水筒を取り出し蓋を開けて渡す。


 今だけは普段よりもほんの少し近い距離で……ぐびぐびと一気に飲み干す姿を眺め、ドキドキしつつも目線が合わず、一方的に見れている事にどこか安堵する。


「けほっけほけほっ!」


 最後の一口に油断して気管に入ったのか可愛く咽る。「落ち着け」と笑いながらアイシャのタオルを持って来て渡した。


「あんなに泣き言ばかり言ってたのに、最近は凄い頑張ってるじゃないか」


 汗を拭いて少し落ち着きを取り戻したアイシャは、ふぅー……と息を整えると、


「私気づいちゃったんです!」


 得意げな顔で、


「ウガチくんはあのブジン・シャルマンと戦えちゃうくらい強いわけですよ!友達とはいえそんな人にマンツーマン付きっ切りで教われるって実は凄い事なんじゃないかって!」


 新発見をまくしたてるように言い切った。


「今!?」


 うっかり本音でツッコんで、


「私も本気で頑張れば皆みたいに強くなって、いっぱい慕われてモテモテになるかも!なんて」


 それが本心じゃない事はあからさまだったから黙っていると、


「……なんてバカみたいな理由で頑張れたら、アンドリューのようにもう少し気楽でいられたかも知れませんね……」


 同じように沈黙を持って続く言葉を待つ。


「死にたくない……です私……本当はね、怖いんですよ……少しずつ準備が整っていく度に、出発が近づいてくる度に……少しずつ少しずつ、怖くなって……震えが、止まらなくなっちゃったんです……」


 アイシャが両の手で俺の手を包む。確かに冷たく震えていた。


「でも私は知っています……怖いのは、いつまで経っても私が弱いからなんです。ウガチくんのように強くなれればきっと怖くなくなるはずなんです。だから私は強くならなくちゃいけないんです」


 静かに語り終えたアイシャは「皆の足手纏いになっちゃいますから」と気丈に振舞って笑った。


「真の弱さとは逃げ続ける事だ。震えながらでも立ち向かえる君は、君が思う程弱くない。俺が心から尊敬する友達だ」


 自虐的だったアイシャの笑みが崩れ、素の表情になる。


「恥じる事じゃない。臆病は立派な自己防衛だ。それでも、どうしても怖い時は……その……」


 頭を掻く。


 こういう時、気障ったらしい言葉も平気で言えるアンドリューが羨ましい。あぁくそっ日和るな!


「俺を頼れ!」


 死の恐怖は簡単に拭い去れるものではない。けれど、


!!」


「……ふふっウガチくんにも意外とミーハーな所があるんですね」


 ガーン……勇気を出した一世一代の頑張りを軽く流されてしまった。吟遊詩人に影響された痛い奴だと思われたかもしれない。


 やらかしてしまった……


「ありがとう」


 聞き間違いだろうか?不意だったせいで確証がない。ならばと顔を上げてアイシャを見ると、


「頼りにしてますね!大きな騎士様っ!」


 いたずらに笑ったのだった。






 ぴたっ


 振り下ろした大槍がアイシャの胸を穿つ前にその勢いを完全に消失させた。


 俺は……何をやっている?


 速くとどめを刺してあげなければアイシャは囚われたままだと言うのに……


 何故手を止めた……?


 何故……?


「ウガ、チくん……」


 よせ、やめろ。その声で俺の名前を呼ばないでくれ……同じように喋らないでくれ……君はもう死んでいるんだから……もう…………


「死にたく……ないです……」


 やめてくれ……






【余談】

センゾクムカデは宿主の記憶を元にして戦う。

危機を脱する為に刺激された記憶の中、深く刻まれた言葉が連鎖的に口を飛び出すだけでそこに意思は介在しない。

ただ、追憶が袖を掴む。

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