第191話 愛を伝えられなかった女①


 リュックサックの空き容量がカツカツという訳ではない。ただ保存館の本は保存が目的である為かどれも分厚いカバーに覆われ、ページ数は千や二千を優に超えてくることもある。


 武器に出来るんじゃないかってくらい重いし硬いしデカいし嵩張るので、まぁ精々持っていけても一人一冊が妥当だろう。


「そろそろ行くよ皆ぁー!」


 【時渡の王子様】をリュックにしまった僕は、同じく医学書をしまった怪物と皆を待っていた。


 別にテキトーに選んだわけじゃない。【時渡の王子様】はサリウリ・レリークヴィエ、つまりクリーチャーズマンションを建てた人が書いた物語だ。


 詳しく読み解けば、当時の生活や価値観やどういう思想でクリーチャーズマンションを建てたのか等が分かるかもと思ったんだ。


 後の攻略の手助けになる発見があるかも知れない。何もジェニが一番好きな物語だと言っていたからではない。ないったらない。


 怪物の医学書の重要性は言わずともいいだろう。文句のつけようが無いチョイスだ。


「これだけの貯蔵数があれば本の虫という言葉にも共感出来ますね。急ぎましょうか、子供達も腹の虫に共感している頃合いでしょう」


「十点」


 本を片手に歩いてきたエストさんに怪物が言った。


「おや、思いの外高評価で?」


 自分でも満点とは思わなかったのだろう、少し嬉しそうなエストさんに、


「ちな百点満点だ」


 怪物が訂正する。


「巧みですね、上げて落とすのが。採点は情状じょうじょう酌量しゃくりょうの余地なきド下手糞と言わざるを得ませんが」


 そんな他愛のないやり取りも放っておけば長引くので、


「それは?」


「あぁ、教育書ですよ。教育の何たるか、その重要性、社会に与える影響、効率的な学習法等が記載されていますね」


 タイトルを見せながら、


「全ては教育に始まる。教育を極める事こそが、人類が取り掛かるべき喫緊の課題ではないかと思いましてね」


 聞いてみれば実にエストさんらしいチョイスだった。対処療法を嫌い根本治療を推奨する性格が出ているといった感じかな。無駄を嫌うとも言える。


「おまたせにょり~た~」


 何だそれ、


「まちくたびれ~た~」


 まぁ僕くらいになると即興でノリに合わせる事もでき、


「なんそれ!」


 笑顔で聞いてくるジェニ。


「おっと~??」


 やはりお前が言うな選手権上位ランカーだったか。笑顔の可愛さが無かったら仏より寛大な僕でも一回でぴきっちゃってたよ。


「見てこれ!腹減るやろぉ!?」


 決めつけた疑問形のようなニュアンスで開かれたページには、綺麗な写真と共にお菓子のレシピが書いてあった。


 三大欲求である食欲を、ひいては砂糖という原初の麻薬を大量に使用したお菓子に精通する事で全人類を裏から操ってやろうという考えか……


 凄まじいスケールだ。それに三大欲求からアプローチするという発想が思いつきそうで思いつかない。流石はジェニ。無邪気に笑う顔の裏で莫大量の思惑を張り巡らせていると……


「ぐぅ~ってなるやろ~?」


 お腹をグーさせて、頭をパーにして、更に人々に貯金チョキを崩させ易くすると……とんでもない天才だな……


「んなわけあるかーい!」


 いきなりのセルフツッコミにジェニは一瞬肩をビクッとさせて、元から大きなアメジストの瞳を更に大きく見開きながら頭にハテナを浮かべている。


 こんな何も考えてませ~んを体現したかのような顔をする女の子が策謀を張り巡らせているわけ!美味しいお菓子食べたい以上の事を考えているとは到底思えない可愛い好き!


「何だか機嫌いいね」


 驚かせてしまった代わりにそう言うと、ジェニは「うん!」と笑い、


「彼氏がモテるって嬉しいなぁ!」


 フシュウウウゥゥゥゥゥ……


 え?え?そんな正面から来るとは思ってなかった……あれ?顔が熱い……目も合わせられないや……


「……あ」


 フシュウウウゥゥゥゥゥ……


 僕の反応に遅れて自覚したのか、ジェニも同じように赤く染まって視線を逃がした。


 あぁ可愛い可愛い可愛い好き好き好き好き好き好き好き……!!やばい……!!可愛いが抑えられない……!!


 なんでこんなに可愛いの!!?


 少し俯いた事で白銀の髪に目元が隠れたり隠れなかったりしているのが可愛い!!


 色白肌が余計に相まって、赤く染めた頬と耳がどう足掻いても目立ってしまうのに気づいてないのが可愛い!!


 恥ずかしいのに髪の隙間からちらちら様子を伺ってくるのが可愛い!!


 所在なさげに指をもじもじさせているのが可愛い!!


 可愛いが可愛いで可愛すぎてヤバい!!このままじゃいつか骨抜きにされてしまうだろう……そしたら男としての威厳が保てなくなってしまうではないか!!それはまずい!!


 折角カッコいいと言ってくれるのだ!いつまでもカッコいいと言われたい!!


「なぁアニマ……」


 ジェニがちょこんと僕の服を掴む。


 うぉぉぉぉおおおおおおおかわぃぃぃぃいいいいいいいいいい!!頑張れ僕顔をとろけさせるな威厳を保て!!


「帰ったらその……ジェニがこれで作ったるからな……」


 本に半分顔を隠し、恥ずかし気に若干俯いている事で必然的に生じる上目遣いに、


「……て、っ手作りってに、認識で相違ないので、んでしょうか……?」


 威厳威厳威厳威厳威厳威厳威厳威厳威厳威厳威厳威厳!!


「……うん」


 完敗だよ……もってけ泥棒!!威厳も胃袋も骨も掴んでもっていけぇ!!






 ちなみにエルエルは楽譜集を持ってきた。曰く、


「始まりはね、きっと炎でも棒切れでもなくてね、音楽だったんだと思うのよ。一番大切なものは心だって最初から分かっていたんじゃないかしら?ロマンチックよね」


 大事そうに抱える姿はとても尊いものに思えたのだった。






 サイモン達は北と南に別れて捜索してくれているはずだ。直径十キロメートルの大都市であろうとも約七百人も散らばっていれば、大声出しながら歩いてたらそのうち見つかるだろう。


 端から端まで広がっているとも考えにくいしな。まだ近場にもいるとみて間違いないだろう。


 いや、お母さん達も休息無しでの活動は出来ないわけで、怪物の見立て通り休むなら屋内だろう。サイモン達も当然分かっているので、屋内を中心的に探せと指示を出していれば子供達を見つけるのも面倒になるか……


 そうだな、お母さん達が屋外で僕らを探していたらこちらももっと簡単に見つけられるわけだしな。


 既にこの層には居ない可能性もあるけど、第六層をこの人数でくまなく探すのは余りにもリスクが高すぎる。


 願うならこの層で発見しておきたい……


 …………


 ……


 果たして願いは叶えられたと言えよう……


「……」


 驚きに口を開くも何も言えずに、現れた人物をただただ視界に納めるばかり……


 果たしてそれは僕の願いではなく……


 僕の知らせに警戒心を研ぎ澄ませていた怪物の手から大槍が零れ落ち、


「……生きてて……くれた……」


 心が追いついてないのかふらつきながら歩いていく。


「……ス……」


 外見から想像されるままの女性の声で、


「そうだ……俺だよ……ウガチだ……」


 ふらふらと歩み寄った怪物は両手を広げて抱きし、


 グサッ


 怪物の腹に槍が刺さり……驚愕に固まる体。痛みに顔が強ばる。


「……」


 女性は怪物の腹を蹴って槍を引き抜き……


「……ぁ……アイシャ……?」


 運命の悪戯も度が過ぎる。猿の手並みのひねくれだ。


 仰向けに倒れた怪物を覗く瞳は無機質で……


「ウ……ガチ……」


 声に湿度は感じられなかった。






【余談】

猿の手はW・W・ジェイコブズによる短編小説で、猿の前脚のミイラに三つの願いを叶えてもらうと言う話。

ただ、猿の手は願いを残酷な方法で叶える故にホラー小説として有名である。

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