第190話 飛翔べない故に堕ちない女
「ほんでなんかわかったん?てか何があったん?エルエルめっちゃ落ち込んどるけど」
下に降りると駆けて来たジェニは、後ろをトボトボついてきたエルエルを見て、
「……僕がエルエルの期待に応えられなかっただけだよ。心配なら声かけてあげて。多分きっとその方がいいから」
仲の良さを見せつけているみたいで、追い打ちをかけるみたいで……その点ジェニの明るさは暗い悩みなんて吹き飛ばしてくれる。
僕の太陽、僕の女神を今だけ貸し出すとしよう。
「ではアニマ君。互いの成果の報告を」
怪物を引き連れたエストさんは、目線で怪物に発言を促した。
「お前の母達はこの場所に長居はしなかったのだろう。荷物を下ろした形跡も無かった」
夢の中で言っていた通り、直ぐに出発して捜索に向かったので間違いなさそうだ。
「それと一寸法師などのおとぎ話の他に医学書を見つけてな。内容はまぁ理解出来なかったが、ゆっくり読み解けばランジグでも活用できそうだった」
本を片手に「俺も医者になれるぞ」とどこかワクワクしている怪物を脇目に、
「アニマ君の方は核心を掴めましたか?」
「いやこっちもさっぱり……エルエルが天使になった理由と僕がラーテル獣人でない理由には共通点があるんじゃないかって聞いたんだけど、どうやら魂が関係してるかもしれないとだけ」
ふむ……とエストさんは顎に手を添え、
「エルエルさんは自分がどうやって天使になったかは知っているはずですからね。旧人類の技術もアニマ君が言う、ふっ……神への信仰も違うのであれば……」
鼻で笑ってきたエストさんに、
「ちょっ僕も本気で言ってるわけじゃないから!」
素早く訂正する。元々無神論者だし!強いて言うならジェニという女神様を信仰して……無いな。女神のように魅力的な人であっても僕達は対等な恋人であって崇拝するような関係じゃない。
「冗談です。ただ魂という概念が実在し、アニマ君や件の占い師のように常人には見えないものが見える人がいる以上我々も認識を改める必要があるかも知れませんが」
「そうだね。
人は遠いものを畏怖し崇拝する。天災、天才、大自然、動物、虫……自分から遠ければ遠い程、理解が足りなければ足りない程畏敬の念は強くなり、寄り集まって宗教となる。
雷も神の怒りなどではなく、雲と雲がぶつかって起きる自然現象だ。でっかい静電気だ。現人神と称えられる天才も近くで見たらだらしない世捨て人なんてざらにある。
巨大な岩も山の規模から考えたら有り得ないサイズではないし、強力な牙を持つ動物も強毒を持つ虫も、飼いならすことが出来る。矢に塗ることが出来る。
故に神とは
つまり、そこに人類を上回る神がかった力があっても不思議ではないのだ。
「解き明かされたぬるま湯の中で謎を笑っていては、いつか謎に笑われると……信仰がエルエルさんに与えた影響も否定できませんねぇ」
そう、魂の色が心模様を表すように、魂と心は密接に関係している。エルエルが天使になったことに少なくとも魂が絡んでくるならば、願いや想いが及ぼす影響も否定してはならないということだ。
ふぅ……僕は大きく息をつくと、
「むっず……頭バグりそ……」
一度に色んなことを考えすぎた。エルエルの事、お母さんの事、サイモン達の事、僕の事、僕らの事……色んな諸問題を抱えながら、人類がまだ解明できていない謎に挑戦するのは流石にキャパオーバーだ。
「では楽しい話題をしましょうか」
げんなりする僕に非の打ち所のない微笑みを向けると、怪物に目線を誘導し、
「アニマ君。怪物さんが言った通り、この保存館に貯蔵されている書物は何も楽譜や昔話だけではありません。中には専門書、それも多分野を網羅する
エストさんは怪物から本をひょいっと取ると、開いて僕にも見えるように。中には各ページにびっしりと超精細な図などを交えた解説が書いていった。
「これが然るべき人物の手に渡れば、現在の文明レベルを飛躍的に向上させることが出来るでしょう。まさに世紀の大発見です」
このレベルの本が数えきれない量本棚に詰まっていると。
「やばいね……!」
自然と口角が上がる。
「えぇ、二万枚の金貨なんて比較にもならない、それこそ国を買える程の大金を稼ぐことも可能です。そしてこの場所を知るのは我々とスモーカーさん達だけ」
エストさんも続くように悪い笑みを浮かべ、
「捕らぬ狸の皮算用とも言いますが、これを独占出来たなら何もかもを思い通りに出来る自分達の国家すらも作れてしまうのです!」
腕を広げて言い切った。
たかが本で何を大袈裟な、金鉱山でもあるまいしと思うかもしれないが、エストさんは何も酔狂でこんなことを言ってるんじゃない。
まだ人が狩猟民族であった頃はより強い力を持った者が部族や集落を率いていた。
それが農業を覚え備蓄という概念が生まれると、より生産性があって安定している者が長となった。
やがて貨幣が生まれると金持ちこそが強者となり、今に至るまで絶対的な支配体制を築いているわけだ。
でもこの本がこれまでの常識を全て覆す。
例えば、世界中で疫病が蔓延した時に僕達だけが的確な対処法と薬の作り方を知っていたとしよう。
人は死への恐怖や不安には耐えられない。健康を買う為なら幾らでも金をだしてくれるだろう。死に瀕した家族を助けられるというなら家を売ってでもそれを求める事だろう。
そして何も数年に一度の大疫病を待ち構える必要なんてない。
優れた薬は優れた毒にもなる。医学に精通すれば、感染力が高く症状は長引くが死にはそうそう至らない疫病を作ってばら撒いて特効薬でぼろ儲けや、食糧や衣類や生活雑貨や建材や水道に弱毒を混ぜて、常に軽い病気にすることで永遠に薬を売れる。
果ては空から毒をばら撒いてもいい。水撒きとか鳥の糞とか言っておけば誰もそこまで気にしないだろうし、空気を汚して雨に混ぜると言う手もある。
そんなこと勿論許された行為では無いし、そんなことをされたら町中の人が命を狙ってくるだろう。
だがそれが毒と知らなければ?誰が犯人か知らなければ?
どうしようもないのである。
最近調子悪いなぁと薬を買いに行くしかない。薬を買いに行く為に痛む体で働かなければならない。痛みを取る為にもっと高価な薬を……と。
そう、これからは
何も薬や毒に限った話ではない。剣や槍や弓で戦っている今の時代にそれを上回る武器をつくれるようになったら軍事国家の誕生だ。
心理学や統計学を極めたら、信者を纏めて独裁国家の主にもなれる。
遺物の一つが戦場を変えるんだ。遺物の作り方を知ってしまったら世界情勢がひっくり返る。
それ程の力。世紀の大発見。独占出来たなら新世界の神にすら等しい地位を得られるわけだが……
「どうしますか?そこで俺と悠々自適に乳繰り合いましょうと言いたいところですが」
「公表しよう」
即答した僕に「貴方らしい答えですね」とほんの少し残念そうに微笑むエストさん。
何も薔薇な薔薇が薔薇するのが嫌だったのではなく、まぁ嫌だったけど。そうではなく、幾らでも悪用できる情報だが、言い方を変えれば幾らでも使い道があるという事だ。
怪物が医者になれると喜んだように、善良な医者の手に医学書が渡ればランジグの病死者や怪我で苦しむ人を助ける事に繋がるだろう。
生活の水準を上げ、スラムで貧しい生活を送る人達にも雇用が生まれるかもしれない。遺物やランジグの富を狙って侵略を企む勢力からもっと楽に身を守れるようにもなる。
抑止力ともなり戦死者が減って、未亡人たちが墓を前に涙も流すことも減るだろう。
新たな建築技術が地震や嵐でもびくともしない家を可能とするかもしれない。
「
自分だけが得をしようとするから争いが起こるんだ。皆が少しずつ得をすれば、それが一番平和なんだ。
悪しき心はどこにでもあるけど、善き心もまたどこにでもある。ならば僕は力が正しく使われる事を信じよう。
「持っていける数にも限りがある。手分けして厳選しよう」
皆に号令を出すと、後ろから服を軽く引っ張られた。振り向くと頬を染めたエルエルが居て……
「
「とっ突然何さ!?」
頬を染めども真っ直ぐ射抜く視線に、テンパった返事になってしまう。
「ジェニちゃんと話しながら見ていて、聞いていて……それで思っただけ」
エルエルは大きく息を吸い込むと「だからっ」と前置き、
「第二夫人でも愛人でも隣に居れるなら構わない!」
真剣な顔で一息に言い切った。
「けれどね、」
続けられた最後の言葉は……
「
とびきり笑顔の宣戦布告だった。
胸から背中にかけて、大槍に貫かれた大穴がぽっかりと空いている。顔に生気は無く、体温も無く、呼吸も無く。
ただその華奢な体を、倍以上の体格差がありながら抱きしめる大きな影は……
「あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!」
後悔を
【余談】
自由は空に有れど、愛する人は空に在らず。
時が二人を別つなら、貴方の側迄参ろうと。
空を駆ける翼ではなく、時を渡る翼を望んだ。
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