第189話 飛翔べない女②
「その質問に答えるには……昔話を……しなければならないわ……でも結論だけ先に言うならば、関係ない。いえ、正確には私も知らないが正しいかしら」
「……そっか」
少しだけ俯いて、
「でもね、完全に無関係とも言い切れない」
その言葉に再び顔を上げた。
「…………ごめんなさい。うまく説明できる言葉が出てこないわ……最初の質問から答えるわね」
顔を下げ……ない。
「私は王子に会ったことがあるわ。子供の頃に何度も……そう、何度もね」
遠い遠い昔の記憶を引っ張り出すにしては、大切で鮮明なものを噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「王子はたった一人の友達だった。それに助けてくれた……」
一時も忘れた事がないような口ぶり。その微笑みの真の理由を僕は理解することが出来ない。
「……優しくて、面白くて、頼もしくて……いつも真っ直ぐ目を見て話してくれるの……茶化したりもするんだけど、でも最後まで私の話を聞いてくれるの……今みたいにね」
「…………」
口を開いたはいいものの、何も言葉が出てこなかった。
「記憶の中の王子はいつも突然現れては、ふとした時に居なくなる。不思議だったわ。けれど私には一つだけ心当たりがあった……それが……」
「「時渡の王子様……」」
僕の呟きがエルエルの声に被った。その事にエルエルが少し微笑む。
「最後の時……王子は私にこう言ったの。「未来で待ってる」って」
未来で待ってるだって……?それを信じてエルエルは……
「えぇ。おかげですっごい長生きしちゃった」
僕の反応を見てそう答え笑い、
「正直もう終わりにしたいって思う事は何度もあったわ」
憂い、
「でも約束がいつも心をときめかせてくれた」
また笑い、
「そして未来には……あなたがいた」
その目線は、その表情は、その仕草は、虜にされてしまう程にお姉さんじみたもので。
「……でも僕は、」
「そうね、私のことなんて何も覚えてなかったわ」
少しだけ頬を膨らませて怒ったようなふりをして、
「最初は王子と別れてから天使になってたからそれでわかんないんだろうって思ったけど、そうじゃなかった。覚えてないんじゃなくて知らなかった」
そうだ。だって僕はランジグで生まれたんだ。エルエルに会った事なんてあるわけが無い。
「王子が思うように他人の空似っていうのが一番そうなのかもしれないわね……正しいままでいるには……少しだけ……長かったから……待ち侘びちゃったのかもしれないわ……」
その月日の重ねも僕には理解できやしない。
「でもね……王子は記憶と何も変わらない王子のまま……私の大好きな王子のまま……この心と共にあると決めた人……」
その想いが向けられる理由を、僕は理解できない。それがこんなにも苦しいなんて……言われた通りだったな……
「だから……
話を締めくくる微笑みに、僕は返す顔を持ち合わせていなかった。
時渡の王子様が過去から未来へ消えたならば、それが僕だと言うならば、過去の記憶を持っていないどころか何も知らないなんてことは無いだろう。
辻褄が合わない。無理筋だ。いくら外見や性格が類似していようとも、それは僕ではない誰かだ。
でもエルエルはそうは思えないのだ。もう、そう思ってはいけないのだ。
たった一言の約束を信じて、数えきれない歳月をずっと一人で生きて来た。もう自分でも自分がかつての純粋だった心のままとは言い切れない。
頭のどこかがおかしくなっていたとしても、それに自分で気が付くことも出来ないと悟ってしまっているから。
僕から見たらエルエルは凄く純粋だけど、子供の頃のエルエルが今のエルエルを見て同じことを言うとは限らない。
だから僕が王子様でないのなら、エルエルはまたいつ会えるかも分からない王子様を夢に見て、孤独な時を過ごすしかなくなってしまう。
でもそれはもう出来ないんだ。
幾星霜を乗り越えて、やっと会えた約束の王子様。その喜びは初めて会った時に一直線に抱き着いてきた姿から分かる。嬉しそうで、ただただ嬉しそうで。
それが人違いでした。本物に会えるまでまた頑張りましょうって?
……天使とは言えエルエルだって女の子だ……心が壊れてしまう……全てを終わりにしてしまう……
だからエルエルは姿も性格も似ている僕が本物なんだと信じるしかないんだ。思い込むしかないんだ。
そう……エルエルは……
その想いは……
「買いかぶりすぎさ。僕は平々凡々の庶々民々だよ」
「……またそうやって茶化すのね」
「……」
「あ」の形で開いたまま僅かなラグを挟み、
「そろそろ口も温まってきたみたいだね。さっきの質問の答えが気になって夜しか眠れそうにないよ」
大袈裟なジェスチャーを交えて言った。
…………数秒の静寂。
「ふふふっ快眠ね」
良かったぁ……笑ってくれたぁ……!
「私と王子の共通点、だったわね…………」
丁寧に前置きを挟み、
「言葉を借りるなら繋がり。それはね、
「…………魂?」
それって……
「運命の人って事?」
ババさんの話を思い出した。因果が混じれば運命が混じる。魂が近いから因果が混じるのか、因果が混じったから魂が近づくのかは分からない。だったかな?
偶然の出会いを必然の出会いにするとも言っていたな……
「っ……!そうね……きっとそう……」
唖然とし、視線を遊ばせ、少し下に逃がして、耳まで赤く染める。遅れて僕もこれでは口説き文句のようだったと耳が熱くなった。
ただそれが運命の恋なのか、命の恩人なのか、僕達が思い描いていたものはきっと違う。
エルエルが居なければサーベルタイガーにやられた傷で死んでいた。いや、その前に悪魔に正面からかち合って死んでいた。
ジェニや怪物の怪我も治らず、そこから綻んでいたかもしれない。
エルエルには本当に助けてもらってばかりだ。
「私は波動を通じて、
まだ赤みの残る頬でぽつりぽつりと紡ぎ出し、
「王子は、
僕の目を覗き込み、
「無関係とは言い切れないでしょ?」
エルエルの体は純白の魂に覆われていて、最早見慣れたその光景に何か意味を見出せたなら……
僕は自分を知れるんだろうか……?
「……知りたい」
もっと……
「もっと君を……」
僅かに漏れ出た僕の言葉に、机を挟んで座っていたエルエルは立ち上がると僕の隣に腰かけた。
金糸が揺らぎ、ふわっと甘いフルーツの香りが鼻を撫で、光を反射して輝く白翼が改めてこの世のものならざる神秘的な魅力を訴えかけてくる。
エルエルは僕の手を握り、両手で包み込み、胸の前に
「見て……聞いて……触れて……」
優しい声に
しかし身構えた頭に痛みが走る事は無く、温かい感触を背中に感じた。エルエルが翼で包み込んで優しく僕を床に降ろしたからだった。
馬乗りになったエルエルの指が、仰ぎ見る僕の胸を撫でる。
「魂を感じるの……」
その言葉と共に指が胸の真ん中で止まった。そこから単なる指の温かさとは違う温かさを感じる。
急な事に驚いたけど、成程……より密接に集中して感じ合えば何か分かるかもしれないってことか。
ドキドキ高鳴る心を落ち着かせ、エルエルの胸元を凝視する。
おっきいな……
違う違う!胸じゃない!魂を見るんだ!
にしてもおっきいな……
…………
……
それは白かった……白く……白い……ただただ白く……白いだけの白……白が広がるばかりで……白以下でも白以上でもない……純然たる白……
ダメだ……どれだけ集中しても、これ以上何も分からない……
それが顔に出ていたのか、
むにっ
エルエルがずっと胸の前で
「もっと触れて……もっと感じて……」
熱い吐息。火照った顔。情熱的な囁き。
ふわぁぁぁぁああああああ……!何たる柔らかさ!何たる揉み心地!でも、
「ダメだよエルエル……これじゃジェニを裏切るみたいだ」
僕は手を引っ込めた。
「何で……?王子も知りたいんでしょ……?」
悲し気な寂し気な顔で、
「知りたいよ。知りたいけど、ジェニを裏切ってまでじゃない」
エルエルの事も大好きさ。僕も男だし、肌を密着させ合うこれが嬉しくないわけが無い。心臓もずっとドキドキしてるし、意識しないようにしても意識してしまう。
でもダメだ。でもダメなんだ。
「王子が知りたいなら私は何だって答えるわ!クリーチャーズマンションの事も、私の過去の事も全部話すし!……えっ……えっちな事だって……何でも答えるわ!」
「マジで!!?」
え、エッチな事も聞いていいの……!?セクハラ反対とか言わない!?……えへ……ぐへへへ……
邪な頭をブンブン振る。
「無理させてまで聞きたくないよ」
エルエルはきっと本当に何でも答えてくれるだろう。それは涙を流して身を震わせて発狂してしまうような辛い過去の事でも。
僕達が僅かな情報から考察し合っているのを見ていて、過去を知っているエルエルからしたら心苦しいものがあるんだろう。
だから意を決して何でも話すと言ってくれた。
思い出したくもない過去を話すと言ってくれた。でも、
「エルエルに甘える訳にはいかないんだ」
僕が甘えれば甘えるだけエルエルは自分を犠牲にしてしまう。ジェニにもそんな気があるけど、エルエルのそれは常軌を逸している。
「いいのよ!王子はそんなこと気にしないで……!私は王子の役に立てる事が何よりも嬉しいから!」
エルエルの表情にはどこか必死さを感じる。
「だからもっと聞いて!もっと触って!もっともっと都合よく私を使って……!もっともっと……もっともっともっと…………」
ぽたっと僕の上に雫が落ちる。
「
絞り出すような声にはエルエルの本音がのせられて、溢れに溢れた感情が涙に混じってひたひたと……
絶世の美女にここまで言われればその気になってしまう……赤子が母を離さないようにくしゃくしゃに握りしめられた僕の服。その手を取りたくなってしまう……
けれど僕はその想いの欠片すらも理解してあげられない。上っ面の理解では彼女が積み重ねた幾星霜に失礼だ。冗談でも解るなんて言えない。
「……どいてよ」
だから非情、薄情、何と言われようとも……王子様のふりは出来ない。
「いやっ!!いやあああぁぁぁぁぁ……!」
エルエルは抑えきれない想いのまま僕に覆い被さるように胸に顔を埋めて咽び泣く。
「……重いよ……」
ピアノから両手を離し席を立ったジェニに贈られた拍手喝采が、デートの終わりを告げていた。
【余談】
飛べぬ鳥は重い鳥。
飛べぬ鳥は巣立てぬ鳥。
故にこそ彼女は鳥にはならず……
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