第177話 本物に憧れる偽物①
ドンッ
目の前から伸びた腕が僕の顔の横を通過して壁と接触した結果生じた音に、一瞬体がビクッと硬直した。
いやっそれ以前に僕は驚いていたのだ。見惚れるほどに精彩な顔が至近距離に迫る。恋人同士の距離感だった。傍から見れば間違いなくそう思われるだろう。
驚きと緊張から逃れようとするも、背中は壁に抑え込まれてそれ以上の後退を許されない。
そんな僕の股下に膝が捻じ込まれる。ここから逃がさないように。優しく擦れる刺激で嫌でも意識させるように。
絶好の日光浴日和だと言うのに頭上に輝く太陽の光から隠れたこの場所は、人目を忍ぶ者にとっては逆に好都合であるとも言えた。
光が強い程影は濃く、僕等を闇の中へと誘い隠す。勿論その恩恵をありがたく思っているのは僕ではなく、今まさに僕の顎をくいっと持ち上げた目の前の麗しの御仁だ。
自分だけを見て欲しいと言わんばかりに、吸い込まれるかのような奥深さを内包した瞳と交差する。
「貴方がいけないんですよ……?」
透き通るような聞き惚れる声で囁くと、唇がゆっくりと近づけられていく。
如何に鈍感でも、そういうことを知らなくても、流石に分かる。
僕は今、迫られてる!
どうしてこうなったんだ……!?
腰に下げた新しい武器『平愛和』。その確かな重さを歩く度に感じつつ思う。使いこなせたらきっと凄いことになる。
なんせ、
確かに直剣と違って刀である性質上引いて斬るという新しい動きには戸惑ったけど、その切れ味は叩きつける運用を想定した直剣とは一線を画する。
ポテンシャルは片手剣であるショートソードとは比較にならないだろう。だからこそ一刻も早く習熟しなければ。
「サイモン……!!無事……だったか……!」
サイモンに声をかけたのは、見るからに打ちのめされてますという風貌の糞ひげ……もといケンライだった。
「父ちゃん……終わったよ……全部……」
サイモンはそんな父親から目を逸らし、斜め下に避難させながら言った。
「……本当に、やり遂げて……しまうとはな……」
ここに残った人々だってただ黙って突っ立っていただけじゃない。キメラモンキーとの戦いの顛末はとうに知れ渡っていた。
ケンライは気が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。その様子にサイモンが迷いを見せつつも近くに寄る。
「……ははっ……何て言ったらいいやら……まぁその、なんだ…………よくやった」
頬をかき、その手をサイモンの頭へと伸ばした。しかし、サイモンは優しく拒絶するようにそれを受け入れなかった。
「!?…………いやっそうだな…………子供扱いして悪かったな」
その言葉にサイモンの表情が少しだけ和らいだ。
「……お前にとって俺は碌でもない親父かもしれないが、俺にとっては自慢の息子だっ!外でもやっていけるさっ」
それを感じ取ってか、硬かったケンライにも柔らかさが戻った。
「父ちゃんは……残るのか?」
「……あぁ。かつて俺が出来なかったことを、今度はちゃんとやろうと思ってな」
どこか申し訳なさそうだった顔が晴れ晴れしたものに変わっていく。
「やり直すんだ……ゼロから……もう誰も見捨てないように……!」
「……」
「これから新しい場所で頑張るお前が、自慢の親父だって誰かに話したくなるようになっ!」
その笑顔は最初に会った頃とは別人のもので、恐らくそれが彼本来の持つ表情であったとすら思えた。
「……っ!父ちゃん!!」
ドサッとサイモンがその胸に飛び込んだ。それ以上の言葉は交わされない。けれど二人の想いは確かに通じ合っていた。
それを見ていたら、暗く沈んだこの気持ちも
なんやかんやあれやこれやと言う間にサイモン以外の者達の別れの挨拶も粗方済んだようだ。
しかし、僕達に敵意を向ける者達も同時に存在するわけで。
「お猿様皆殺して……用が済んだら自分等はとんずらか!?」
あの時の少女達を含んだ人々が突き刺すような視線を向けていた。
「私達の生活壊して痛む心もないのね!!」
「人でなし!!クズ!!
「お猿様達を失ってこの先どう生きろって言うのよおおおおぉぉぉ!!もう終わりよおおおおぉぉ!!取りなさいよおおおぉ責任ァア!!」
絶望を目に宿した叫びが木霊する。僕はその女性とじっと目を合わせる。じーーーっと。女性が話を聞く準備が出来るまでじーーーっと。
「……強者に守ってもらうのは楽さ。けれど甘えてはいけない。甘えれば甘えるほど人は醜くなる……」
「けっ!」
何を言うかと思えば説教じみた内容に、明らかに嫌悪感を示される。僕だって説教が逆効果になることなんか百も承知だ。
だけど本当の想いは嘘偽りも脚色もない素朴な言葉にこそ宿るのだ。内容ではなく気持ちを伝える事が大切なんだ。
「どうせ生きるなら美しく生きようよっ!」
敵意しか無かった感情の中に、微かに違う感情が芽生える。
「自分の頭で考えて、自分の手で切り開いて、自分の足で進むんだ。これからは自分の力で生きていくんだ」
追憶を丁寧に込めて、僕自身が体験してきたからこその生き方を提示する。
あぁ、大変だろうさ。強者の言うことを聞いていれば何も考えなくて良かったんだ。良い事だけをありがたがって、悪いことは全部何かのせいに出来た。
自分の力で生きていくには現実は厳しいだろう。辛い思いも沢山するだろう。くじけそうな夜だって幾度となく訪れるだろう。
けれど変わらず朝はやってくる。新しい朝はやってくる。
だったら鳥籠の中に自ら囚われているより、泥塗れでも足掻いて生きた方がいい。何故なら……
「
晴れやかな笑顔で告げた。
きっと全てを理解してくれる人は少ないだろう。一生分からない人も居るだろう。でも、僕の想いの何分の一かは届いたって思ってもいいのかな?
チラッと合ったジェニの目はそれを肯定してくれているみたいだった。
【余談】
本物ではないからこそ本物に憧れ、本物ではないからこそ本物への至り方を知っている。
それは本物には出来ない事だ。偽物達を導けるのは同じく本物に憧れた偽物なのだ。
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