第175話 剣聖白狼⑤


 サイモン……?


 背中を毛虫が這いまわるような悪寒がぞわっとかけ、これ以上の処理を拒むように脳がボイコットを始めた。


 その光景を映す瞳孔は確かに光を受け取っているが、脳がそれ以上何らかのレスポンスを返そうとしない。


 有り体に言うならば呆然と、ただショートソードを握り締める手先が冷えていく感覚が僕の心模様を表していた。


 どさっ


 ジャックが四つん這いに倒れ込んだ。その目には大粒の涙がほろりほろりと。八の字に曲がった口。畳にくい込んだ爪が沢山のささくれを作る。


 切れ者の彼はいち早く親友の死という結果に辿り着いてしまったのだろう。


「きっ……ぽ……」


 言葉にならない言葉を……意味を持たない呻きを上げ……サッキュンは、届かない生首に手を伸ばす。


「ぁあ…………ぁ……さい……」


 それに合わせ、覆い被さっていた体がずれてドサッと仰向けに転がる。力なく放り出された腕が、溢れ出した赤血球の集合体が、受け入れ難い現実をまざまざと見せつける。


「もアぁぁ……あぁぁア……」


 その光景を一瞥したサッキュンは目を逸らすかのように、又、耐え難い今に救いを求めるかのように無機質に転がる首を求め這いずる。


 ガクッ


 傍らでは振り終えた太刀を畳に添えるように持ちながら、白狼が膝をついた。ハーフマラソンを走り終えた後のように息を切らし全身から汗を噴き出す様は、最早一歩たりとも動けないと物語っている。


「……サイモン」


 そんな白狼には目も向けず首を抱きかかえたサッキュンは、膝小僧を擦ることも厭わずに一目散に横たわる体を目指した。


 擦った畳には引き延ばされた薄い血が轍のような跡を残し。拙い手つきで抱えた首を切断面に押し付けた。


「あ……あれ……?」


 されど血は留まることなく溢れ、狼狽えながらも首の角度を調整したり抑えつけてみたり。


「え……?ねぇ……」


 試行錯誤を繰り返す桃色の瞳には大粒の涙が溜まり。


「…………なんで……なんで……?」


 接着面から滴る血液を止めようと手のひらで抑えるも、それを嘲笑うかのように間から零れていく。


 その血だまりにポタポタと透明の雫も混ざりゆく。首を抑えつける腕には更に力が籠められ。


「……ぁあああアアぁぁああぁァ!!アァあああァあぁぁぁァああアアアアア!!!」


 サイモンの悪戯な笑顔が脳裏に蘇ってくる。


 思えば出会いは最悪だった。共に過ごした時間は一日にも満たない。けれど、明るい未来を誓い合った……あの笑顔は忘れる訳が無い……


 そんな僕の友達はもう……もう……くっ!


「白狼ぉぉおおおおおおおお!!!」


 気を抜けば今にも崩れ落ちてしまいそうな喪失感を燃料に怒りを滾らせ、力強く畳を踏みしめる。


 エストさんも怪物もエルエルもジャックもサッキュンも、ジェニさえも視界から除外されていき膝をつく死にぞこないだけを一点に睨む。


 戦い方なんて最早考えてもいなかった。戦略なんて思いつきもしなかった。


 ただどうやって剣を叩き込もうか、それだけがぐるぐると思考を占領していく。


 使えない足だ!痛みなんて関係ない!もっと早く動け!全力で走らせろ!


 今にも咳き込みそうな程激しく荒い息を繰り返す白狼と目が合った。


 倒れ込まないでいるのが精一杯なその老体は、驚きと疑いを内包しつつも憐れむような悲しむような顔と声音でこう零した。


「あぁ……その眼……」






**********






 草原には穏やかな風が吹く。高く実った稲穂が歓喜に踊り、波模様が本来捉えられぬ風の姿を浮き彫りにする。


 昼下がりの太陽を遮る雲は無く、燦々たる陽光が小川に乱反射し、虫や小動物が追いかけっこを再開する。


 この世の楽園を思わせる心安らぐ景色の中に、むしゃむしゃと複数の咀嚼音が小さく響く。


 ランチタイムと言う時間帯と恵まれた天候。辺り一面の緑の中に絵の具をぶちまけたような赤と死臭さえ気にしなければピクニックと何ら変わらなかっただろう。


 草原を彩る数多の亡骸は霊長類の形を成し、だがほとんどのものはどこかしらが真っ二つに斬り裂かれていた。


 勿論散乱するはそれだけに非ず、冒険用の道具類や防具や武器なども無責任な不法投棄のように散らばっていた。


 その中に在って尚異質な白い体毛を持つ長身の偉丈夫は、腰に一本の太刀を引っ提げ、ただ遠くを見つめていた。


「なぁ白狼……お前の強さはここにいる誰もが認めている。だがこの惨状を見ろ。確かに勝ちはしたが仲間も大勢死んだ。

 わざわざこちらから出向いてまで本当に人間と戦う必要があるのか?無駄に犠牲を増やすだけじゃないのか?」


 親しい間柄であろうキメラモンキーが話しかける。重い当世具足の損傷激しい箇所を冒険者の防具で補っているのでちぐはぐな印象を受ける。


 しかし身に纏う豪傑の雰囲気が、されども一笑に付すことが出来ない説得力のようなものを感じさせた。


「確かに冒険者どもは恐ろしい。こ奴らを倒しても外の町には数えきれぬ程の人が住んでいる……だが、隠れ潜む生活はもう終わりにするのだ……」


 口調こそ穏やかだが、太く芯のある声は確たる想いを内包し、


「我らは少数の部族だからと、魔物クリーチャーから逃れ、人間から逃れ、息を潜めながら暮らしてきた。それでも日々同胞が殺されていった。

 人間の支配、虐殺から逃れる為には潜んでいてはいかんのだ。こちらから行動し認めさせねばならぬのだ」


「……認めさせるっつっても具体的には何をどうするって言うんだ?」


 二匹の間を生温い風が吹き抜ける。その間にも見るからに非戦闘員であろうキメラモンキー達が食事に勤しんでいる。


「我等は人に狩られるだけの魔物クリーチャーなどではない。家族を慈しみ、仲間を想う心がある。

 ……まずは力を示すのだ。弱者の言葉には誰も耳を貸さぬ。少なくとも対等に話が出来るよう認めさせねば」


 白狼は己が拳をぐっと握りしめる。


「次に知恵をつけるのだ。力ばかりでは恐れられるだけだ。恐れは敵意を、敵意は無理解を生み、無理解から愛や思いやりは芽生えない。共に暮らし、共に生きていけるだけの経済力を身に付けねば」


 その拳を見つめながら言葉を紡ぐ。


「そして常に進化せねば。人はどんな環境にも適応してのけたからこそ地上の覇者とまでなったのだ。我々も常に進化せねば到底勝ち目などない」


 そこまで口にすると白狼は振り返り、仲間達の方へと向き直った。


「だから皆の者よ、私についてきてくれ。長く困難な道のりだろう。血反吐を吐くような苦しみに蝕まれるだろう。泥水を啜る屈辱を何度も味わうだろう」


 白狼は嘘偽りを嫌い誠実であろうとする。故にこそ脚色の無い言葉に話を聞いていたキメラモンキー達の顔が曇る。


「だが頼む!ついてきてくれ……!その手を血に染め、全身に呪詛を浴び、悪魔に魂を売ろうとも、!!」


 だからこそと言うべきか、白狼は真摯に頼み込んだ。これから背負わせる地獄に責任を取れない事を承知しているからだ。


 そして白狼は最後にこう続けた。後に生涯を費やす己が信念となる言葉を。






**********







 一瞬どこか遠い目をした白狼が誰にともなく呟いた。それはまるで自分に言い聞かせているかのようだった。


 燃え尽きかけていた青い炎に莫大量の空気を流し込んだかのように爆発的にその魂が燃え盛る。


「終わらせるのじゃ…………!」


 失いかけていた力を取り戻すように全身に広がり、「こひゅぅーーー……」と長く細く息を吐きつつ体を持ち上げる。


 重力に歯向かうように太刀をゆっくりと鞘に納めていき、大きく足を開く。


 その目や口からはつうっと血が溢れ出す。鬼神の如き形相は僕を捉えて離さない。


 体を捻っていき、鋭い鷲の目が研ぎ澄まされていく。


………………」


 それは最後のぼやきだったのか、標的へと送る手向けの言葉だったのか、


「その腕……業と共に斬ってやろう」


 バカな……!!あの消耗からもう一度撃つってのか!?


 完全に頭に血が上っていると自覚している今の僕でも驚きを感じるくらいは出来た。


 そのお陰で僅かに冷静さを取り戻せたのは幸いだったのか、はたまた感情に任せて斬りかかっていた方が良かったのか。


 そんなことを考える暇も余裕もない。向こうが先に攻撃態勢に入ってしまった以上、僕は何らかの対処をしなければならない。


 でなければ……奴はまだ動くぞ!それ程の気迫を感じる!満身創痍だったとしても、取り乱すサッキュンや駆け寄ろうとしているエルエルに牙をむいてくるかもしれない!


 ただでさえ言う事を聞かない足では避けるなど出来ようもない。防御しようにも受け流すことすら出来なければ、踏ん張りも効かずに吹き飛ばされる。


 さっきは襖にぶつかって勢いが和らいだが、壁や柱に後頭部からぶつかればお終いだ。


 けれどここから僕の攻撃は届かないし、極低確率の勝ち目にかけてカウンターを狙うしか方法が無い現状だ。


 絶体絶命。だけども不思議と慌てることなく、僕の頭は自然と何が最適解であるかを導き出していた。


 構えたショートソードを振りかぶる。


「やめろ!!!無茶だ!!!」


 怪物の叫びが聞こえるが、構うものかと振り下ろすと同時にこの手を離れブンブンと縦に回転しながら飛んでいく。


 それは最後の悪足掻き。直線軌道で白狼の肩に向かって飛んでいく。これでもう僕は身を守れるものが何もない。


 ショートソードは白狼の肩にヒットしたが、浅く斬り裂くに留まった。元が軽い武器だ。技の発動を潰すことも、骨を砕くことも出来ていない。


 白狼が親指で柄を押し上げ、より一層激しく魂が燃え盛る。万策尽きたかと怪物は目を逸らしかけた。


 だが刹那、僕の顔には不思議と焦燥は無かった。見様見真似の投剣で倒せると思う程僕も耄碌してはいなかったし、つい先ほど悔しさを爆発させながら口にされた叫びを覚えていたからだ。


 そして悪足掻きに過ぎなかったはずのこのコンマ一秒が、最後の命運を分ける。


智天一閃ちてんいっせん


 眼前で紡がれる死刑宣告。と同時に僕の横を一陣の風が吹き抜けた。が。


 次の瞬間ぶわっと全身を衝撃と風が強く打ちつけた。遅れた風切り音が凄まじい密度の音波となって押し寄せる。


 されど僕の体は吹き飛ばされることは無く、どうやらまだ畳に両足がくっついている。襖を吹き飛ばしも壁の染みになってもいない。


 そして僕の目の前には太刀を振り抜いた白狼の姿があり、その奥には同じような体勢で宝剣を振り抜いたであろうジェニの姿があった。


 達人の一刀は斬られたことさえ知覚させない。そんな言葉が脳裏を過り、不安になって自分の体と首をぺたぺた触るが、ふぅ……亀裂が入っているというオチでは無かったらしい。


 至近距離に迫ると尚の事迫力が凄い。長身から発せられる気迫に当てられファイティングポーズを取ろうとした瞬間、


「……見事!」


 ブシャァァアアア!


 胴にばっくりと傷が開き、裂かれたそこから大量の血飛沫が飛び出し、僕の顔と服を染めた。


……ならば……………………」


 倒れ行く前に最後にそうとだけ言うと、その瞳から光が消え、魂が抜けていった。






【余談】

白狼が倒した冒険者の亡骸は力を持たぬキメラモンキー達に与えられた。

その間に冒険者達に見つかった真っ二つの亡骸が、人斬りの噂の原因となった。

これが後の文官となり、この者等によって先祖代々家畜として飼っていただけの人間達の更なる活用法が考案され、今に至る。

最も強き剣聖は、最も平和を望む者であった。

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