第174話 正義は貫くもの。
…………息がっ……息が出来ない……!咄嗟の防御自体は成功した……けど……それを上回って余りある威力に耐えきれなかった……
体に力が入らない……!目に映る天井が凄まじい勢いで回転している……脳みそだけをジャイアントスイングされているようだ……!
「か……かひゅ……………………こ…………ひゅ…………」
全身を激しく打ったのか、四肢に力を込める事すらままならない。キーーーンと五月蠅い耳鳴りが外界の音を遮断する。
定まらない視界。聞こえない耳。動かない手足。吸えない肺。鈍痛に蝕まれ、まるで世界に一人だけ取り残されてしまったかのような不安と恐怖が悪戯に呼んでいる。
骨は……大丈夫……折れてない……出血も微量……擦り傷と打ち身が主と言っていいだろう……
くっ段々視界が霞んできた……衝撃で思いっきり吐き出した空気を全身が渇望している……吸いたい……!息を……空気を……!
「……ひゅ……………………ひゅ……………………」
ダメだ……ろくすっぽ吸えやしない!く、苦しい……!手先が痺れてきた……!
何故吸えないんだ?肺自体は……恐らく大丈夫だ……潰れていたらもっと苦しいと聞く。仮説を立てるとしたら、余りに強烈な衝撃を受けて一時的に活動困難になっていると言ったところか……
痙攣のような感じかもな……うっもう考える時間も碌に残されていないようだ……
「……王子…………王子…………」
どこか遠くからエルエルの声が聞こえる。いや今は耳がおかしいから実際はもっと近くに居るかもしれない。
良かった…………
その声を聴いた瞬間何とも言えない安心感のようなものを感じ、必死に抗おうとしていた体からふっと力が抜けた。
これで助かる……もう、こんな苦しさとはおさらばだ……心置きなく意識を手放せる……
…………
……
わけ、ないだろ!!!
痺れを感じる腕を振り上げ、自分の胸に思いっきり振り下ろした。
「かはっ!!……ごほっ!!ごふっ!!すぅ……ふぅ……」
ショックを受けてバグってるならもう一回強い衝撃を与えればいい。そんな土壇場の力技だったが、奇跡的にうまくいったようだ。
活動を再開させた肺に鞭打つように、休んでいた分のつけを払わせるかのように、大きく大きく何度も呼吸を繰り返す。
労災なんて知るか!ブラックな職場は大嫌いな僕だけど、今だけは自分の臓器にそれを強要してやる!
苦しさにぎゅっと目を瞑りつつ手探りでショートソードを見つけると、しかと握りしめ、脳から伝達される命令を拒絶する全身に更に出力を上げて無理矢理言う事を聞かす。
本能的にこれ以上動かないことをおすすめされるが、そんな体からの親切心をぶった切るように命令を下す。
立て!!立ち上がれ!!
ゆっくりとされど確実に力を込めていく。笑い出す膝、片手を床に着き、もう片方の手で握ったショートソードを支柱にして更に体を起こしていく。
少し動く度に痛みが走るが、そんなものを気にしては居られない。
そして落ち着きを見せ始めた視界のど真ん中に白き狼の姿を捉えた。つまるところ僕が生きているのは奴の気まぐれだ。
何故か子供に対して手を抜くような真似をしている。ただそれだけが僕が死んでいない理由だ……
「くそったれ……!!」
!!!
その時、ぐらついた視界だからこそ僕は襖の奥に複数の生物の気配がある事に気が付いた。
瞬間的に脳細胞が急速に動き出す。
今この瞬間考え得る可能性を網羅するんだ!それがキメラモンキーなのか、反乱軍などの人間なのかで状況が大きく変わる事になるのだから!
気付いているのは僕だけ!しかし碌に力も入らない状態で駆けまわる事は不可能だ。せめて後数十秒!勿論そんな贅沢は言っていられない。
だがこれは大きなアドバンテージを得るチャンスだ。僕の対応にかかっている。
考えろ……!考え抜け……!
残念だけど反乱軍、ひいては人間である可能性というのは極めて低いだろう。これまで得てきた情報を基に考えれば自ずとわかる事だ。
ではキメラモンキーであると仮定して、最も嫌なのはそれが武装した援軍であるという可能性だろう。
僕は当然のこと、エルエルやサイモン達も危ないし、囲まれればジェニ達も白狼に易々とやられてしまうだろう。
エストさんの考察通りこれ以上武官が潜んでいるとは考えにくいが、仮に武官でなくとも身を守るものが無い今の状況では非常に厄介だ。
使い手が誰であろうと刃物一本で人は死ぬ。
であれば先手を打つのがベストだろう。気配は閉じられた襖の奥からだ。向こうからこちらの状況は見えていない。
気配は多いが、濃度はそれ程ではない。個々の脅威は大したものではないと当たりをつけよう。
後はどう対処するか。
見たところ、ジェニ達は絶体絶命のピンチと言う訳ではなさそうだ。激しい剣戟が繰り広げられているが、白狼の呼吸が荒くなり動きに先程までの切れが無くなっている。
奥義の連続使用……例え剣聖と言えども老骨には厳しいものがあったようだ。
ならば無理を通してでも本丸を叩くに限る……!
一歩一歩、たどたどしい歩調ながら足を踏み出しつつ、僕は彼らに作戦を伝えるべく大きく息を吸った。
「サイモン!!サッキュン!!ジャック!!襖の裏に新手だ!!無茶をしてもいい!!
「ああ!!」
サイモン達の返事を聞きつつ、速く回復しろ……!!そう念じながら白狼を見据え足を動かす。
「白老様!!」
「ご無事ですか!?」
開けられた襖。その向こうからキメラモンキー達が姿を現した。チラッと見る限り、そいつらは武官では無い。かと言って文官でもなさそうな、非武装にして着物だけを身に纏った雌と子猿達だった。
その刹那、ほんの僅かに白狼の顔が驚愕を示したのを僕は見逃さなかった。
キメラモンキー達はジェニ達と戦う白狼の姿を認めると、三者三様の反応を見せた。
「……なっなんてことを―――!!」
言い切る前に、サイモンの振り下ろした剣が雌キメラモンキーの命を断った。襖の陰から奇襲する形でだ。
一瞬の沈黙。目の前で起こったことを理解し始めると、口々に騒ぎ出した。
「いやぁぁぁああああああああああああああ!!」
「おっおのれ賊めがぁぁあああああ!!!」
「お逃げ下さい白老様!私共にはまだ貴方様が必要なのです!!」
「きゃぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!」
「私が殿を務めます故!!」
「ママーーー!!!うわーーーー!!!」
「逃げ……にっ逃げ……おねぇちゃ」
ブンッ……ビチャ
型も何もあったもんじゃない力任せに振るわれたサイモンの剣が一番近くにいた子猿を仕留めた。
「……俺達の邪魔すんじゃねぇよ」
肉に食い込んだ刀身を雑に引き抜きつつ、サイモンは次なるキメラモンキーへ剣を振るう。
腰を抜かす者。助けを求める者。助けようとする者。涙を流す者。戦おうとする者。白狼へ助けを乞う者。逃げ出す者。逃げ惑う者。諦める者。憎悪を口に出す者。
十人十色の反応を示す中、サッキュンとジャックは武器を持っていないがアシストに入り、その声は一つ、また一つと途絶えていく。
逃げようとした者は捉え、抗おうとした者は抑えつけ、そこにサイモンが刃を振るう。そうして援軍に対処していった。
即席にしてはまずまずの連携だ。幼馴染として長年一緒に遊んできただけの事はある。
白狼の動きから明らかに精密さが欠けている。動揺しているのか?だとすれば攻撃のチャンスだが、僕はまだまだ辿りつけそうにない。
だが体は上手く動かせずとも声を出す事なら出来る!少しでもジェニ達の助けになるなら何だってやれ!
「峰打ちなんかするから、肝心な時に助けに行くとこも出来ない。自分を慕う仲間が死ぬのを見ている事しか出来ない」
ぴくっと白狼の顔が反応する。
「結局何がしたかったんだ!?死にぞこないの舐めプ爺!!」
煽り。古来より存在し、度々喧嘩の元となるようなおよそ褒められたもんじゃない行為。多くの者にとって下らないと一蹴されがちな事ではあるが、精神弱者と打ちのめされ余裕を失った者には絶大な効果を発揮する。
「…………
それは怒りでも憎悪でもなかった。ただ白狼の口からは剣戟の中だと言うのにそんな言葉が零れ落ちる。
楽な暮らし?こいつは何を言ってるんだ?まぁいい。煽りに乗ってこなくても、会話を続けることで少しでも集中を欠かせるんだ。
「金を手にしただけでも、仕事を辞めただけでも、楽にはなれど幸せにはならない!!楽から幸せは生まれない!!」
楽と幸せは=じゃない。寧ろ正反対だと言ってもいい。幸せの定義は人それぞれだが、楽しか知らぬ者は幸せ者とは成り得ない。
不幸や苦難を乗り越えてこそ、日常に幸せを見出す事が出来るんだ。僕がただの平凡な家庭の少年だったなら、ジェニとこうして一緒に冒険なんてしていなかった。
共に在れることを、こうも幸せに感じる事なんてなかった。仲間が出来たことに、こうも嬉しさを覚える事なんてなかった。友達に囲まれた普通の少年だったならば。
そして平和とは、楽になる為に追い求めるものじゃない。
「全ての人が楽になる事を考えずに、ただ幸せになる事だけ願えば、そこに完全無欠の平和が生まれる!!」
少しでも楽に、日常を快適に、その想いが争いや不平等を生むなら、苦難を受け入れ尚幸せだけを願えばいい。
「理想論じゃ…………
小さくも良く通る声だ。
「
白狼の言っている事にもそれなりの正当性があるんだろう……けど……違う……そうじゃない……
「全ての人が楽をしたいという欲に勝ち、自分に勝ち、残酷な世界にすら勝てる勝者となればいいんだ!!」
誰かを傷つけたり虐げたりする勝ち方の先に、平和なんてあり得ない。
「難しいだろうさ、悠久を繰り返してなお実現できなかったんだから!!でもそれが明日も出来ない証拠とは成り得ない!!」
理想論……?餓鬼の浅知恵……?気の済むまで好きに罵倒でも何でもすればいい……!でも!
「
体中に力を籠め、全力で叫んだ。
「邪魔するなら安らかに眠れ……白狼!!!」
渾身の叫びに、白狼と視線が交差する。片や戦闘中の刹那に、確かに時間が止まったかのように印象深くその姿はこの目に映った。
「
バックステップで大きく距離を取り、太刀を鞘に納めた。呼吸は荒れに荒れ、肩は激しく上下している。
その鋭い眼は最前線で戦うジェニ達でも、目障り極まりない僕でもなく、明後日の方向、今まさに最後の一匹を斬り伏せたサイモンとサッキュンの方を向いていた。
「なっ!!」
二人は勿論こちらの状況を把握できていない。ジャックも少し離れた位置に居る。この期に及んでそっちを狙うのか!!
「サッキュンサイモン逃げて!!!」
僕の叫びに二人はこちらを向き、
「サッキュン!!!」
咄嗟の事に動けずにいるサッキュンをサイモンが押し倒した。
「
その独り言と共に、白狼の姿が搔き消えた。
怪物とエストさんは呆然とし、狙いを読んでいた僕と恐らく軌道を目で追えていたジェニだけが太刀を振り終え荒い息を吐く白狼の姿を捉えていた。
遅れてやって来た衝撃と風切り音が重低音の壁となって押し寄せた。時間が止まったかのような静寂が訪れる中、ポタポタと液体の滴る音が微かに聞こえる。
それはサッキュンの頬を打ち、大きく見開かれたサッキュンの瞳は信じられない物を見るかのように……
ボトッ……
スイカが地面に落ちたような、それをより生っぽくしたような音がし、ゆっくりと……青ざめた顔をしたサッキュンが音のした方を見る……
「ぁ……ぁぁ…………」
声にならない声が漏れ、その顔からどんどんと血の気が失われていく。
四つん這いだった体から力が抜けてドサッとサッキュンの上に崩れ落ちた。だがサッキュンはその衝撃にすら気が付かなかったとばかりにただ一つのものを見つめていた。
同じく血の気を失っていくヤンチャそうな顔つきの生首が、サッキュンの方を見つめていて。
「……いっいやぁぁぁぁあぁあああぁぁぁああぁぁあぁぁああぁああああああああああああああああああ!!!」
悲鳴と呼ぶには切な過ぎる少女の
【余談】
猿の楽園が内壁近くに存在する位置関係にある以上、大社から逃げようとすれば人間達の目についてしまう可能性が高い。
なので雌猿や子猿など非戦闘員は大社の最奥にて事が済むまで隠れ潜んでいるはずだった。
しかし、戦いを経験したことが無い者が常に冷静でいられる訳もなく、一族の英雄である白狼を見捨てられなかった事が命運を分けてしまったのだ。
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