第172話 剣聖白狼③


「ふぁっふぁっふぁ」


 畳の切れ端に隠れていた僕の耳に笑い声が入って来た。しゃがれ具合から白狼のものだと察するが、どうして笑ったのかは分からない。


「強いのぅ……願わくば半世紀前に相まみえたかった……」


 やや感傷的に独り言ちたと思えば、太刀を納めてしまった。


 何のつもりだ!?戦意を無くしたのか!?


 瞬間的に僕と同じような判断をしたであろうエストさんが決殺の大上段の構えをとった。如何な想いがあろうとも敵前で武器を納めたとあらば斬り殺されても仕方がない。


 そんな絶好の好機を見逃すほどエストさんは温くも無いし油断もしていない。


 ただ僕の脳には何かが引っ掛かっていた。


 これ程の剣技を有するような存在が、死の際だとしても果たして戦いを投げるようなことをするだろうか?と。


 誰よりも剣を振り、誰よりも戦いに身を投じてきたはずの者が、最後をそんな中途半端で終わらせるだろうか?と。


 残念な事に、そんな僕の懸念は最悪を引いてしまう事になる。


「……奥義」


 白狼は動いているのが一瞬解らなくなる程に流麗な動作で腰を落とし、半身を捻るようにして腰の柄と鞘に手を添える。


「ダメだ!!!」


 僕は今まさに剣を振り下ろしているエストさんに対し、咄嗟に声を上げる事しか出来なかった。


 白狼の目が鋭く光り、チャキッと親指で押し上げた鍔が小さな音を出した。その構えから発動される技を僕は知っている。


 ジェニは使わないからあくまでも知識の上での事だ。


 しかし、圧倒的不利な状況からの逆転性を有するこの技は余りにも有名で、達人ともなれば抜かずとも存在を匂わせるだけで相手を竦ませたと言われている。


 鞘の中の勝とも言われるそれはとなる程に恐れられ、正統派の剣術ではないにもかかわらず多くの剣士が習得を願い修行に身をやつした。


 白狼の腕の筋の動きから、片方は鞘を勢いよく引き、もう片方は太刀を水平に動かそうとしているんだと解る。


 解ったところでエストさんの胴は木偶が突っ立っているかのように格好の的であることに変わりはない。


 このままでは瞬きの後に上下に別れたエストさんとこんにちはすることになってしまう。待ち受けるのは永遠のさよならだ。


 どうする!?どうする!?


 焼ききれそうになるくらい加速させた思考回路。


 どうすればいいんだ……!!


 けれど僕の口はダメだと叫んだ所で止まっていて、勿論体が急加速することも無い。体感時間だけが引き延ばされて、それについてこない自分の体がどうしようもなくもどかしい。


 どうすれば……!!


 そんな僕の目に一つだけイレギュラーが映っていた。白銀の髪を靡かせ、今まさに間に割って入ろうとしている。


智天一閃ちてんいっせん


 次に知覚した瞬間には白狼は太刀を水平に振り抜いた状態で、一つおかしな所を挙げるとするならば刃の向きが逆になっていたことくらいだった。


 遅れて、踏み込みと斬撃の衝撃波と凝縮された音の圧が、一塊となって僕の全身を打ちつけた。


 抜刀術はカルマン渦による風切り音の大きい程、刃筋が整っている証拠として質の高いものとされる。


 そう言う視点で見れば、爆発音のようなこの抜刀はまさに奥義と言うに相応しかった。


 有り得ない……そんな有り得ないフィクションを、目の前で起こった純然たる事実がこれ以上ないリアルだとばかりに僕に教える。


 ……


 バゴーーーン!!


 大きな音がした方を振り向くと、ふすまが派手に吹き飛んでいて、そこに苦しそうに蹲る少女の影があった。


「ジェぇニぃ!!!」


 自分でも信じられない裏返った声がでた。エストさんはジェニにぶつかったのか、三メートル程後方で倒れていた。


 今すぐに駆けつけようとして、思い直した。


 僕は正中線に剣を構えると、深呼吸で震える膝を落ち着かせた。


 後ろのエストさんはノックバックを受けただけのようで、剣を支柱に立ち上がろうとしているが、今僕がここから離脱してしまっては立ち上がる前の無防備な状態を晒すことになってしまう。


 怪物一人では戦闘スタイルの相性もあって抑え込むのは難しい。


「ジェニが心配じゃないのか!?」


 僕を良く知る怪物は、ジェニの元に駆けつけなかった僕に驚きが勝ったようだ。


「……ジェニは大丈夫だよ……」


 冷や汗が流れるも、振り向きたい欲を抑えつける。


……!」


 怪物に向けた笑顔は酷くひきつった不格好なものだっただろう。剣を握る手には一層力がこもる。手汗でグローブの中が蒸れる。


 そんな僕の代わりにエルエルとそれを追いかけてサイモン達が駆けつけていくのを気配で感じ取った。


「やはり衰えたわい……たった一度で随分堪えるのぅ」


 そう言いながら構え直した白狼の立ち姿は相も変わらず一切のブレが無く、本当に堪えているのか疑わしい。


 技の性質上爆発的な瞬発力を必要とし、筋肉を過剰に酷使するだろうと容易に想像はつくが、存在自体が嘘みたいな剣聖であるのでそれもどこまでかはわからない。


「すいません。抜かりました……」


 僕に並んだエストさんは申し訳なさそうに口にした。僕も直前までは同じことを考えていたんだ。責められるわけもない。


 そして妙な硬直状態へと陥っていた。


 白狼にあの技がある以上、こちらは隙を作るような大技は迂闊に放つことができない。ジェニが居てやっと戦いになっていたのに、そのジェニを欠いた状態では分が悪い。


 かと言って白狼が直ぐに攻勢に出なかったのも、本当に消耗の激しい技であるからなのだろう。


 ただ立ち姿から察することは出来ず、それが分かったのは白狼が有利を活かそうと次の攻撃に移った後でのことだった。


鷲爪裂じゅそうざき」


 猛禽類を思わせる獰猛な一撃を今度はしかとエストさんが受け止め、その横から怪物が大槍を突き、僕も斬りかかる。


 白狼は薄皮一枚を見極めた微小なモーションで突きを躱し、僕の袈裟斬りを児戯のように弾く。


 一撃に重きを置く技では決めかねると判断したのか、白狼は連撃技を繰り出してきた。


輪禍円炎りんかえんえん


 刀を振り抜くのではなく、振った後に回すことで次の攻撃に繋げ、まるで車輪が回転するかのように、炎が下から絶えず燃え上がっていくように、終わらない延々の剣技。


 くっ……


 斬撃が飛んでくる度に回転速度が上昇していく。このままではまずい!何とかして弾くとかしてあの攻撃を止めなくては!


 怪物もエストさんも同じ焦燥を覚えているはずだが、円舞のような独特の足さばきのせいで攻撃が読み辛く捉え辛い。


「……っつはぁああ!!はぁはぁ……かはっ!!はぁはぁ……」


 チラッと振り向くとジェニが唾を垂らしながら苦しそうに呼吸していた。恐らく衝撃で一時的な呼吸困難になっていたのだろう。


「……ぁぁぁあああああくっそ!!いなせやんかったぁぁああああ!!!」


 その苦しさを振り払うように強引に叫ぶと、近くに転がった宝剣を手に立ち上がった。そしてエルエル達を置き去りに、凄まじい速度で走ってくると、


 キン!!


 僕達の苦戦が何だったのか、鮮やかに弾いてみせた。


「……三回や!!」


 そして悔しさをおくびも出さず、なんて事はせず前面に押し出して啖呵を切るように声を上げた。


!!!」






【余談】

抜刀術では鞘に剣を当ててデコピンの要領で爆発的な加速を生んでいるという説が唱えられることもあるがこれは間違いであり、寧ろ威力が減衰する他鞘も痛む原因となるとして、原則音を立てないように抜き、鞘に納める時も同様に音を立ててはいけないとされた。

静→動→静と展開するこの技は完成された美を持つとして、刀ではない武器を扱う者にも愛され続けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る