第169話 剣聖の話


**********






 昔々、今はもう三四半世紀以上も昔の話。アニマもジェニも、ブジンの父、すなわちジェニの祖父すらも生まれる前の話だ。


 正式名称をクリーチャーズマンション、人々にはダンジョンと呼ばれる黒き超巨大建築物を囲むように存在するランジグには、いつも通りの平穏な時が流れていた。


 と言ってもこの町の基準では、喧騒絶えない大通りでのストリートファイトも井戸端のキャットファイトも平穏という二字熟語の有効範囲内であった。


 今日も今日とてギルドでは冒険者達がこぞって昼から酒を呷り、赤くなった顔を突き合わせては下らない話を喧嘩のような熱量とデカい声で話していた。


 バンッ


 そのギルドの扉が勢いよく開けられた。だがそんな程度の事では冒険者達は見向きもしない。


「大変だ!!!」


 続く言葉でようやっとチラホラ視線が向いたくらいだった。


「クリーチャーズマンションに人斬りが出た!!!それもただの人斬りじゃねぇ真っ二つだ!!!縦でも横でも斜めでもな!!!」


 切迫した表情で唾を飛ばしながら叫ぶ青年を、だが冒険者達は小ばかにしたかのように笑い声が上がる。


「おいおいおせーよ!下痢か便秘か?きばるとケツが切れちまうぞー!カミさんみてぇに切れやすいんだ!」


「あの乳くせぇ顔を見ろ!あらぁもうとっくに痔だろーさ!」


「ちげぇねぇ」


「「ぎゃはははは!!」」


 青年は下世話な野次たちに中指を立てる。


「今その話で盛り上がってたところだ!ソバルト、おめぇもそんなとこ突っ立ってねぇでこっちこいや!」


 ソバルト青年は五歳程年上の男によって肩に腕を回されると、強引に席に引っ張って行かれる。


「なんだぁ先客かぁー?後で俺の相手も頼むぜぇー?」


 そんな酔っぱらいの野次を一睨みすると、ソバルトは席に着いた。次の瞬間には皆の興味はもう目の前の酒と肴に移っていた。


「そんで、人斬りが何だって?レアなマジックアイテムの奪い合い、パーティー内の痴話喧嘩、強姦、報酬の取り分、怪我や失敗の責任転嫁、クリーチャーズマンション内の殺しなんて特に珍しい話でもねぇ。

 まぁ一刀両断ともなりゃあ物騒な話だよな。騒ぎ立てたくなる気持ちもわかる。物騒といやぁ近頃キメラモンキーも強くなってるって聞くしよぉ」


 その先輩冒険者はテーブルの上に置いてあった麦酒で髭に泡を絡ませながら語る。


「……物騒?」


「いくら冒険者でも骨を断つにはそれなりの技術がいるんだ。まず女じゃ無理だな、野菜を切れたら上出来さ。犯人は大男か、名の知られてねぇ剣豪か」


「そんなんじゃねーよ!!そんな程度の話じゃねぇ!!パーティーが壊滅したんだぞ!?全部一刀両断だ!!恨みつらみなら拷問みてぇな傷が残るし、殺しだけなら急所を狙えば済む話だぜ!!」


「ちっ耳元で叫ぶな……だが確かに妙な話だな……」


 先輩冒険者は耳を押さえながら考えをめぐらす。


「見てきたように言うじゃねーかぁ!」


 席に着いていた他の冒険者が茶々を入れる。


「連れのパーティーなんだ!!メンバーとも酒を飲んだ!!」


 ソバルトは立ち上がりながらテーブルに手を勢いよくバンッと叩きつける。塩キャベツを摘まんでいた男から「落ち着けよ」と声がかかる。


「一度や二度じゃないぜ!?皆気のいい奴らだった!!仲間割れするような奴らじゃねー!!」


 ぎゅっと拳を握り締める。


「マジかよ……そいつぁ気の毒な話だな……すまなかった」


 噂話だと面白がっていた男たちはバツが悪そうな顔をする。


 先輩冒険者は木製のジョッキをテーブルに置くと「詳しく話してくれ」と言った。ソバルトは昂る感情を爆発させないように抑えながらゆっくりと席に座った。


「連れはたった一人の生き残りだったんだ……攻略も順調に第四層へと差し掛かり、パーティー内は明るい雰囲気に包まれていたらしい。

 キメラモンキーは確かに厄介な魔物クリーチャーだが、二十人規模のパーティーに向こうから襲い掛かってくる事も無い。その日は第四層で沢山採れた果実やら小動物の肉やらで贅沢な食事だったようだ。

 俺の連れは果実を食べ過ぎたらしくてな……焚火を囲む皆の輪から抜けて独り、遠く離れた茂みまで糞しに行っていた。

 惚れた女に自分の間抜けな下痢姿を見せたくなかったらしい。絶対に音も聞こえないくらい離れたと言っていた。

 帰って来た時にはさっき言った通りの光景だ。仲間たちが一人残らず真っ二つになってたんだとよ。武器は抜かれていたから何かと戦ったんだろうが、それ以上は分からなかった。

 連れは怖くなって一目散に逃げだした。宵闇の中を何度も転がりながら。第五層、六層とも一度も足を止めなかった。

 幸いにして魔物クリーチャーには出くわさずに転移紋に辿り着けた。そんで、いの一番に仲の良かった俺の所に来たって訳だ……」


 静かに語り終えたソバルトは水で喉を潤す。


「俺の知ってる噂話だと、被害者は最大でも五人パーティーだった。お前の連れの話が本当なら、そりゃ一大事って奴だぜ?同一犯なら猶更だ……歴史的大事件……って可能性も無くはない」


 先輩冒険者は神妙な顔で呟くように口に出す。以前からちょくちょく話題になっていた事件と同一犯かもしれない。それが意味することを思ってだ。


「でもよぉ、何者なんだその犯人とやらは?今までの噂話だって全部第四層での出来事だ。奇妙にも程がある。同一犯だとしたら、そいつはおっかねぇキメラモンキーがうろうろしてる階層に潜んで冒険者達を襲ってる訳だろ?

 相当に猟奇的で執念深い奴だぜそりゃあ……おまけに二十人規模のパーティーまでやっちまうたぁ正気の沙汰じゃねぇな……」


 話を聞いていた他の冒険者達も真剣な顔で食いいるように考え込んでいる。


「まだ作り話だって言われた方が納得できるってなもんだぜ……おい、その連れとやらはどこ居んだ?今から行って直接話聞かせろよ」


 その中の一人がソバルトの目を見ながら言う。周りの冒険者達も名案だとそれに乗っかる。


「どこにもいやしねぇよ……しいて言うならあの世さ……あいつは……あいつはなぁ……!全部俺に話した後、自分の手で死んじまったよ……

 何度も何度も自分の腹にナイフを刺してよぉ……ごめんごめんってよぉ…………止めらんなかった!!誰かに影を踏まれてるんじゃないかって思っちまうくれぇ何も出来なかった……!!」


 悔し涙を流すソバルト。その後は彼を慰める会に変わったことは言うまでもない。






 ソバルトの涙と共に時も流れ、人々は暦を捲った。毎日のようにギルドで話していた甲斐もあってソバルトの話は広く知られるようになっていた。


 しかし人斬りの報告は留まる事を知らず、その切り口などが一致することなどからほぼほぼ同一犯の仕業で間違いないだろうと言われていた。


「聞いたか?キメラモンキーが高度な武術を使い始めたらしい。冒険者達の武具も剥ぎ取って扱うようだぞ」


「ああ。人斬りの話もあるし、いよいよもって第四層は魔境だな」


 今日もギルドでは噂が飛び交う。


「人斬りなんだけどよぉ、キメラモンキーの仕業に見せかけてるにしちゃあちと強すぎやしないか?こんだけ腕が立つなら人斬りなんかしなくても剣士として食ってけるだろうに」


「案外名の知れた剣豪の成れの果てとかな。どう思うソバルト?」


 積極的に人斬り事件を広め、またそれに関する情報を手当たり次第に集めているソバルトは、今ではそれなりの注目を集めていた。


「おかしいよな……これだけ冒険者達に注目されて警戒されているのに未だに被害が出る……そもそもキメラモンキーがいる層に長期間潜伏できるか……?

 誰も犯人らしきものは見ちゃいない……本当に人の仕業か……?もしこれがキメラモンキーによる組織的な犯行だとしたら……?」


「潜伏の謎は解けるな」


「確かに奴らも武器を使う」


「人じゃないなら見つからないわけだ」


「いや待て!奴らは人を食べるんだぞ!死体が残ってるのは有り得ないって結論になったじゃねぇか!」


「そうなんだよなぁ……」


 冒険者達は再び頭を抱える。


「…………っっっ!!単独犯だとしたらどうだ!?そいつは人を喰わねぇ!!」


 ソバルトが何かに衝撃を受けたようにいう。


「人を喰わねぇキメラモンキーなんて聞いたことねぇが……それだと辻褄は合うな」


「特殊個体ってか?……異常な強さだ……有り得なくはない……のか?」


「喰うより殺すことを優先してるとかな。とんだ戦闘狂だ」


 一人が冗談めかして言う。


「そいつが他のキメラモンキーに武術を教えてたら、最近のキメラモンキーの強化にも説明がつくな」


 何の気なしに言われたその一言に、周囲は一段と静まり返った。


「おいおい、いよいよ真実味が出てきちまったじゃねぇか……!」


「だとしたらどうだ?早い内に手を打たねーとこれ、まずいんじゃねーのか?」


 更に場の空気が重くなる。最早誰も冗談だと笑い飛ばせなくなっていたのだ。


「一度話し合う必要があるな」


 このソバルトの一言によって事態は動く事になる。






【余談】

キメラモンキーは個体別に姿が大きく異なる為、組織的な行動はあまり見せてこなかった。個としての強さを追求したような魔物クリーチャーだったのだ。

故に我が強く、数匹で力を合わせる事は合っても今のように組織だって行動することは無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る