第166話 ジェノサイド⑧


 さぁ、強敵だった兄将にも勝てた。僕もエストさんもジェニも怪物も怪我はしたけど大したことは無い。全部エルエルが治してくれた。エルエル様様だ。


 ただやはりかなり集中力を消耗するのか、疲れた顔を見せるエルエルに無理をしてないか尋ねると、


「私にできる事は少しでも多くやりたいの」


 と言った。


 僕達もサイモン達を追いかけよう。恐らく武官はこれでもういないだろうけどサイモン達にとっては文官ですら楽に勝てる相手じゃないだろうから。


 そして無事サッキュンとも合流出来たらこんな場所とっとと出よう。それに限る。


「我が夫も、姉も、兄も殺し…………どれだけの血を齎せば歩みを止めるというのですか……?」


 !?


 声を掛けられるまで気付かなかった!


 驚いて視線を向けた先には、兄将の妻より少しだけ若いスレンダーなキメラモンキーが刀を片手に音もなくしんしんと歩いてきていた。


 上質な着物と無骨な刀のコントラストにおどろおどろしい何かを感じる。


 その眼は兄将の亡骸とその妻と僕達をゆっくりと一つずつ見ていく。


「私がここであなたたちを殺せれば、我が子が清きその身に深き業を背負う事もない……その為なら……」


 刀をゆっくりと抜き放ち、鞘を捨てた。刀身が怪しく光る。


「修羅の道すら歩みましょう……」


 まただ…………


 またあの顔だ……


 倒しても倒しても敵は次から次へと現れる。倒せば倒すほど顔は恨みに染まり、黒き嚇怒がオーラと化す。


 いつから僕は終わらない復讐の連鎖に、怒りの螺旋に、呪いの坩堝に足を踏み入れてしまったのだろう……


 ただ仲間達を守ろうと……それだけなのに……


 ブシャァァァ


 ジェニの袈裟斬りに鮮血が飛び出し、一刀の元に膝を折り、力なく地面に倒れ伏した。血だまりが砂に沁み込むよりも早く広がっていく。


「………………」


 そのキメラモンキーは虚空に手を伸ばして掠れた声を出すと動かなくなった。


 数々の返り血に全身を赤く染めたジェニは、剣についた血を払って鞘にしまいつつそれを見下ろしていた。


 こいつもきっとそうなんだろうな……僕と同じで……守るものがあったんだ……


 戦争や争いがこの世界から無くならないわけだ。


 皆自分たちの暮らしや家族を守る為に戦っているんだから。愚かな行為だと、その先は地獄だと分かっていてもせざるを得ないんだ。


 英雄も相手からしたら呪うべき殺人鬼だ。誰の為に殺したかなど、殺された方にとっては何の関係も無いのだから。


「アニマ!!ジェニちゃーーーん!!」


「アニマーーー!!」


 サイモンとサッキュンとジャックが、駆け足でこちらに向かってきていた。いやサッキュンは全力疾走だ。


「サッキュごへっ!」


 小難しいことを考えて仏頂面になっていた僕は自然と口角が上がっていて。


「ホントに迎えに来てくれたんだね!!」


 勢いそのままに飛びついてきた。肉付きのいい少しポチャッとした体の柔らかい感触に包まれる。ああ、やっぱりサッキュンは魔性の女だ。


「すげぇ……兄将さ……あの兄将にも勝ったのか……!」


「かなり危なかったけどね」


 兄将の死体を見て驚きの声を出すサイモンにサッキュンの胸の間から顔を出して返事する。


 くんくん


「何か匂わない?」


 くんくん


 なんだこれ?嗅ぎ覚えしかないけど今は匂うはずのない匂いにその正体が分からない。


「ああ、サッキュンの奴ビビりすぎてちびっちまったんだぜぇ」


「えっマジ?」


「ちっちびってないし!!寝転がりながらおしっこしたかっただけだし!!」


 悪戯気に言うサイモンの説明に驚く僕に、サッキュンがまくし立てる。


「もっとヤバいやん」


 その言い訳にジェニがツッコみながら笑う。


 それにつられてサイモンも、サッキュンも、僕も。自然と笑い声が木霊していった。


「サイモン!」


 僕はそんな笑顔を見せるサイモンに拳を突き出した。


 それを見てサイモンも拳を突き出し……しかし直前で引っ込めた。


「わりぃな……家族全員でとはいかなかったぜ……」


 どこかバツが悪そうな顔をするサイモン。


「そっか……そうだね……でも僕はまた君に、君達に会えて嬉しいよ!」


 笑顔を向けてそう言うと、


「ははっ……俺もだ!」


 とサイモンも笑ったのだった。






 大社の前の広場にある井戸に移動し、サッキュンの汚れた体を洗い流した。キメラモンキーの死体をポチャした井戸だと言うのにサッキュンは気にしないらしい。


 もう綺麗に掃除されたから大丈夫と言っていた。例えそうだとしてもなんかこう嫌じゃない?


 ジェニも気にせず顔に着いた血を流していた。しかし元々白かった服に着いた返り血は沁み込んで、そう簡単に取れそうにない。僕の服についた血もまた然り。


 茜で何度も重ね染めしたかのような赤だ。元からそういう色だったと言っても不思議じゃない。


 サイモン達は初めて見るエルエルに驚き、内男二人はその美貌にうっとりとし、サッキュンもまたエストさんの美貌にうっとりとしていた。


 そして怪物の素顔にも驚きの声を上げていた事は言うまでもないだろう。


「そう言えばそっちに子供のキメラモンキーが逃げて行かなかった?」


 三人との再会も存分に喜び合ったところで、僕はふと気になってそう聞いた。


「ああ、来たな」


 どこか残念そうというか、悔しそうというかそんな感じの顔で言うサイモン。


「まさか……殺したの?」


「いや逃げられちまった」


 本当に残念そうに言う。そうまでして殺したかったという事だろうか?あの喧嘩も嫌いなサイモンが。


 手に携えた剣には血がこべり着いていた。


 そっか……


「追わなかったの?」


「追いたかったぜ?けど大人達に任せることにしたんだ。そんでアニマたちと合流することにした。俺達だけじゃ戦えねーからな」


 人は平和ボケと呼ぶかもしれないけど、僕はサイモンの生き方を割と気に入っていたんだ。暴力を嫌う姿をいいなと思ってたんだ。


 けれどそんなサイモンも変わってしまったようだ。環境がそうさせたのかな……


「……まだ戦うつもりなんだ」


「何だよ、何か言いたいことでもあんのか?」


 小さく零した僕の言葉がスルーされることは無かった。それを喜ぶ僕と煩う僕がいる。


 けれど思っているだけじゃ体に毒だ。口にして伝えないと何も変わらないし何も始まらない。


「もうよくない?だって、そうでしょ?サイモンもジャックも無事で、こうしてサッキュンも助けられた。危険な武官達ももういないし、もう戦わなくても、」


「本気で言ってんのか……?」


「……ここで終わりでいいでしょ?今終わればハッピーエンドだよ。それに戦うからには犠牲も出るんだ。死ぬのは君かもしれないんだよサイモン」


 この先は地獄なんだ。今以上の。サイモンも分かって無いわけじゃないんだろう?


「アニマ……お前……?」


 サイモンの一言が心に刺さる。


「俺たちは戦う覚悟をして武器を取った。そんで手を汚した。沢山死んだが文句は言えねぇ。でも楽園にはまだ、それでも戦いたくねぇって言った奴らや赤ん坊が残ってる!」


 サイモンの目は僕の眼を見ているようでどこか遠くを見つめている。


「こんな状況になってもまだ戦わないって引きこもってる!本当に優しくて……バカな奴らだ…………大切な……俺の家族だ!」


 揺るぎない覚悟に染まった顔で僕の肩を掴む。


「ここで猿どもを根絶やしにしなければ、ここに残った家族はまた支配されていいように食われちまう!そんなことは許せねぇ!……最後の一匹を駆逐するまで、この戦いは終われねぇ!!」


 サイモンは自分達が出て行った後の事も考えているのだろう。


「やろうサイモン!全部倒して全員救うんや!」


 その姿にジェニも賛同している。


「甘ぇこと言うのはサッキュンだけで充分だ!アニマ、戦わなきゃ勝てねぇ!勝てなきゃ守れねぇ!何だってしてやるぞ!何だって殺す!守る為だ!!」


…………か……」


 サイモンの言葉を呑み込み、消化する過程で呟いた。


 根本は僕と一緒だ。サイモンは家族を守りたいだけなんだ。


「一緒に戦ってくれるか?」


 その言葉に僕は頷いていた。


「決着をつけに行こう……!」


「本当に愚かな種族だな」


 その時、大社の入り口の階段の上にキメラモンキーが現れた。


 小太りの体を紺色のほうで包んだ、見るからに身分の高そうなキメラモンキーだ。


 その顔は、猿顔の人間と言われても違和感がないくらいに人間のおじさんに酷似していて。細い目と脂ぎったおでこと鼻、身長はそれほど高くはない。


「また会ったな小娘。余程私の顔が恋しかったようだな」


 そいつは見下ろすように腕を組み、偉そうに言ってのけた。






【余談】

兄将の息子は自分の手を握る妹の震える手を守る事を優先した。

ただ一度無理矢理抑えつけられた激情は、時と共に固定化していく。

もう彼が人を許すことは無くなっただろう。

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