第165話 ジェノサイド⑦


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「グルルォォォォオオオオオオオオオオオオォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」


 苦しそうに鳩尾を押さえるエストさんへ、身の毛もよだつけたたましい雄叫びと共に極太の腕が振るわれた。


「かはっ!」


 咄嗟のバックラーではその衝撃を受け止めきれず、巨大な丸太でホームランされたように吹っ飛ばされて受け身も取れずに転がる。


 あのエストさんがだ。僕の知る限り、いやランジグ、いや世界でも上から数えた方が速いくらいの実力者が見るも無残に転がるなんてあり得ない。


 恐々きょうきょうと戦慄し、剣を持ったまま銅像のように固まる僕。奴の可視化されたどす黒いオーラと殺意に呼吸すらも忘れる。


「お、王子……」


 袖を引くエルエルを見ると、涙目に震えていた。


 今すぐに逃げたいはずなのに、兄将の前に転がるエストさんを助けに行きたくて、でも出来なくて、その先の言葉を口にできないのだろう。


 僕が……守るんだ……


?」


 隣に並んだジェニがそう聞いてきた。以前とは違う心配げな声だ。


「ここで死ぬように見える?」


 そんな僕だけの女神に元気を出してもらおうと、僕は気丈に振舞ってそう言った。


「ふっ愚問やった……」


 ジェニは仲間達を見回してニヤッと笑った。


!!」


 その気合に満ちた笑顔を見ていると、自然と本当に勝てる気がしてくるから不思議だ。やっぱり勝利の女神には笑顔でいてもらわないとね。


「行くよ怪物!!」


「おう!」


 まずは前に出てエストさんを庇わないといけない。彼が起き上がる時間を稼ぐんだ。


 見るからに奴は先程よりも力が増している。ギリギリ大丈夫だったさっきとは違い、今度こそ正面から攻撃を受けたら終わりだ。


 弾いたり受け流したりすることも厳しいだろう。


 ならば敵の攻撃を引きつけ、促し、誘導し、その上で躱し続ける。所謂回避盾と言うやつだ。防御して無効化するのではなく回避して無効化するのだ。


 ただ避けるだけでは敵に隙を与えてしまい、仲間に攻撃が向いてしまう恐れがある。だから限界まで引き付けた上で回避しなければならない。


 ブゥンと振り下ろされた爪を躱すジェニは薄皮一枚を見切るような神業的回避を見せる。


 そのお陰で僕も逆側の側面に回り込むことが出来た。


 理性を失っていると言っても身体的ポテンシャルはずば抜けている。ジェニに攻撃しながらすかさず僕にも爪を振り払う。


 来た!


 まだだ!まだ避けるな!防御もするな!まだ奴は体重を乗せていない!もっと引き付けて奴にいけると思わせるんだ!一撃で殺したいと欲を出させるんだ!


 加速した思考。スローモーションになる動き。血走った目のぎらつきや毛皮のうねりや尻尾の向きまで全て見える。


 まだだぞ!まだだ!


 その爪が、長く尖った爪が、命を刈り取る形をした爪が、僕の顔面数十センチ前まで迫る。


 もう少し!今だ!!


 確実に決まると判断した兄将がジェニに対する警戒よりも僕への攻撃を優先し重心を傾けた瞬間、僕は勢いよくしゃがみ込む。


 チッと帽子を掠り、鋭い爪が空を切る。


 姿勢の崩れたそこに怪物の大槍が天を割るように叩きつけられた。奴の攻撃の外側から攻撃できるのは怪物しかいない。それに僕の剣じゃあの分厚い皮膚には大した傷をつけられない。


 凄まじい威力だ。肩にぱっくりと傷が開く。


「グオオォォォォ!!!」


 何!!?


 しかし奴は一時も怯まずにその首をぐるっと僕に向け、大口を開けて全ての牙を露出した。その間を糸が引く。


 怪物に合わせて追撃を仕掛けようと攻撃に移っていた僕は、勢いのついてしまった体の向きを急には変えられない。


「しまっ!」


 やはりジェニのような神業的回避を前提とした立ち回りは難しかったか!リスクは承知の上だったけど、一つの想定外でここまでピンチになるなんて!


 ぐいっ


 っ!?背中を誰かに引っ張られた!


 ガチン!と激しく嚙み合った牙が目の前で音を立てる。


「のけ者にしないで下さい。貴方の妻を殺した男ですよ」


 その顔を斬りつけながら僕を引っ張ったのはエストさんだ。兄将は片目を失明しながらもう一方の目で射殺さんばかりに睨んでいる。


 凄い!僕が引く時間を稼ぐために一瞬で自分に怒りを向けさせた!しかも視力から奪おうとするあたり、効率を重視するエストさんらしさが出ている。


 兄将からヘイトを買うという一点にかけては確かにエストさんの右に出る者はいない。付け焼刃の僕の回避盾より遥かに効果的だ。


 エストさんは自分を最強の囮として使うつもりなんだ!なんて頭の回転だ!あの一瞬でここまで出来るのか!


 ザクッ


 そこへ怪物の大槍が再び振り下ろされる。肩の傷口を抉り、更に血を吐き出させる。


 しかし狂戦士と化した兄将はそれでも怯まない。雄叫びを上げつつエストさんへ猛攻を繰り出す。


 何で!?


 走りながら考える。いやそうか!余りにもどす黒いオーラで分からなかったけど、今までの強敵たちのように兄将も魂を燃やしているんだ!よく見れば確かに燃えている。


「くっ」


 猛攻を躱し続けていたエストさんが短く苦痛の声を漏らした。さっきのダメージが残ってたんだ!僕を前に気丈に振舞っていただけだったのか!


 最早ジェニは全くと言っていい程ヘイトを買っていない。


 何とか自分へ標的を変えさせようと腕や腹を斬りつけるが、どれだけ血を流そうともその眼はエストさんだけを射抜いている。


「見上げた根性ですね」


 エストさんがそう言った瞬間、その体に腕を起点とし両足を揃えたドロップキックが炸裂し凄まじい勢いでゴロゴロと地面を転がっていく。


 無理だ……いくらエストさんでもあのダメージじゃ直ぐには復帰できない。


 ダッ


 兄将はそのまま僕達を無視してエストさんを追いかけた。


 やっぱ追うよな……!


 何故だかは分からないけど、魂を燃やした奴はどれだけ怪我を負っても止まらない。普通なら全身を自分の血で染めるあいつはもう戦える体ではないのに。


 闇雲に攻撃してもきっと止められない。ならば、物理的に動けなくするまでだ。


 ザシュ


 僕は奴の左足の腱を斬った。ガクッと体が崩れる。


「グオオォォォォオオオオオ!!」


「止まれよ!!」


 確かに腱は斬った……なっ!!足首はプラプラと制御を失って、それを無視して膝全体を使って走っている!バランスを崩そうと捻挫しようと構わないと根性だけで走ってるんだ!!


 四足歩行とはいえ何たる捨て身!足の一本じゃ止まらない!


 傷だらけの体を何とか起こそうと震える腕に力を込めるエストさんの前に、その巨体が迫る。


 畜生!!


 ザザッ


 その前に大槍を構えた怪物が立ちはだかった。


 相手はその巨体に加え既に加速しきっている。衝突のエネルギーは計り知れない。いくら怪物でも無理だ。防げっこない。


「ダメだ!!正面から受けたら!!」


 怪物までやられてしまう!


「猿だろうが熊だろうが!!!」


 インパクト!!


 叫ぶと同時に大槍を両手で構える怪物に兄将がぶつかり、凄まじい衝撃に空気が揺れる。


 ズズズゥ……と砂を滑っていく怪物の太い足には完全に浮き出るほど血管が膨張し、音が漏れるほど激しく息を吐く。


 腕は余りの力みように地震のように揺れ、食いしばる歯は欠けてしまいそうだ。


「ぬおらぁっしゃぁああ!!!」


 訳の分からない掛け声と共に大槍を振り抜き、ドシーンと音を立てながら兄将が倒れ「グォォ」と呻る。


!!!」


「うそー」


 その光景にあのジェニですらあっけに取られている。


 僕は倒れるその体に飛び乗ると、その首に剣を突き立て、ズプリと差し込み、柄に足をかけてレバーを倒すように体重を乗せた。


 即席のお粗末なギロチンは、だが役目を全うし、首亡き体がまだ動くんじゃないかと不安だったけど流石にもう動くことは無かった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 その体から飛び降りると、剣についた血を振り払ってから鞘に納める。


「勝った……!!よっしゃぁぁぁああああああ!!勝った勝った!!」


 そこにジェニが嬉しそうに飛びついてきた。


「怪物マジ凄いな!!ヤバいな!!凄すぎやな!!」


 更に怪物の元に駆け寄ると、語彙力を消失させながらぴょこぴょこと飛び跳ねる。


「ナイス囮!!ナイス過ぎ!!マジナイス!!」


 エルエルに治療を受けるエストさんにも興奮を隠さずに。その姿にエストさんも思わず破顔する。


 僕は遠巻きにそれを眺めていた。


 凄まじい強敵だった……それに兄将にも兄将の人生があった……過去があって……未来もあった……家族もいた……


「勝った……」


 自分の手を見て、ぎゅっと握る。


 その全てを背負った兄将に、僕達は勝ったんだ……勝てたんだ……


 静かに振り向くと、そこには力なく転がる首。


「僕達が正義ってことになっちゃったね」


 僕は小さく呟いていた。






【余談】

おとぎ話の中では、狼に変身できる人間を人狼と呼んだように、熊に変身できる人間を狂戦士と呼んだ。

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