第164話 正義を曲げてでも➃
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「きゃっ」
とある小屋の中。干し草の山の上に放られたサッキュンは思わず幼気な少女のような声を出した。
ぼふっと柔らかい草たちは体を支えてくれたが、サッキュンの体を包むぼろ切れは捲れあがって大事な所が見えそうになってしまっている。
それを気にするサッキュンではなかったが、両手を後ろで縛られたままでは正すこともままならない。
「そうだ……そうそう……いいぞぉこれ……けへへ、最高だぁ……この時を待ってたんだ俺はけひゃひゃひゃひゃ!ひゃひゃいひゃひゃふふふへへはひゃひゃひゃははげらはははははひゃひゃひゃひゃ!」
壁に吊るされた蝋燭が灯され、浮かび上がった文官の顔は弧に歪む。
「何する気なの……?」
薄暗闇に狂ったように笑う文官を見るサッキュンは明らかに怯えていた。文官は他のキメラモンキーと比べかなり細く、常に屋内で生活していたような血色の悪さだ。
「ぁあ……いぃいいいい!!顔は怯える美少女のなりかけた大人にひゃひゃひゃ最高だぁ!」
論理的思考力が壊滅しているのか、言葉の組み立て方が狂っている。
「ほぅらほほぉらほほほぉらほらっあひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
手をくねくねと曲げ、腰を前後左右に振り、奇妙なステップを踏んで、壊れたマリオネットのように踊りながらその視線はサッキュンから離さない。
「何!?なっ何!?」
突如として奇行に及んだ文官に、サッキュンはパニックになる。壁には不可解な動き方をする蝋燭に照らされた影。
「あそれっそらさっそいやっさっ!」
前後左右に行ったり来たりしながら、サッキュンの頬を素早く撫でるのを繰り返す。
「え?え?え?」
ぺろっ
乱数軌道をとるブランコのように読めない動きで近づいたり離れたりを繰り返す最中、すべすべとしたサッキュンの耳を舐めあげた。
「ひぅっ」
「ごばばばばぎゃくささあさっさっささひゃひゃふうへあはぁーーーー!!」
その反応に脳内麻薬でトリップし、逆立ち歩きをしながら壁に背中を打ちつけると、笑いながらその壁を殴るわ蹴るわ。
戦い慣れていない薄い皮膚は案の定捲れて血が出ている。
「いたいいたぁーーーいよぉあはははあああぁぁぁぁん!」
サッキュンの胸に顔を埋めて泣きわめくと、スゥゥゥと息を吸い、
「ぐへへへぁひゃ」
気色悪く顔を歪めた。
「しゅっしゅしゅしゅっ」
次の瞬間にはサッキュンに跨った状態でシャドーボクシングを始め、拘りがあるのか三~四回に一度は首を曲げて避ける。
その拳が顔の前を通り、血が頬に飛んできた段階で、サッキュンは碌に声も出せない程に混乱していた。
「はっ……はっ……はっ……はっ……」
ただ呼吸ばかりが浅くなり、ボスボスボスボスッとその拳が顔の横の干し草を打ちだすと、
「ひぃ……ひぃ……」
と声にならない悲鳴が僅かな音となって喉を通っていた。
目には涙が浮かび、近づけられた歪んだ顔から出来るだけ距離を取ろうと、全力で干し草に後頭部を押し付ける。
「たったす……たすけ……て……たすたっ……だれ、誰かたすけて……だれか……」
自力ではどうすることも出来ないと、誰かの助けを願う。その脳裏には大人達よりも神よりも最初に幼馴染のやんちゃな少年の顔が浮かんだ。
「助けてぇえええ!!サイモーーーン!!」
バン!!
勢いよく扉が開け放たれ光が差し込む。
そこに立っていたシルエットは……
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「サッキュン!!!」
小屋の中からサッキュンの声が聞こえてきたので後先など何も考えずに全力で扉を開けたら、中には干し草の上にサッキュンらしき少女の足とその上に跨るキメラモンキーの背中があった。
「シー……」
ガリガリの文官はそう言うと、サッキュンに強引にキスをした。いや違う。キスではなく頭を、髪の毛を食み、舐めまわしている。
「んーーー!!んーーーー!!」
顔を右に左に背けて何とか逃れようと頑張るサッキュン。しかし既にその可愛らしい顔は猿の涎まみれだ。
「糞野郎が!!」
サイモンは駆け寄ると文官を両手でどかし、壁に叩きつけた。そのまま無視してサッキュンを抱きかかえて小屋の中に立たせた。
「大丈夫かサッキュン!?」
肩を掴んで無事か確認すると、
「あいつヤバすぎるって!」
涙を浮かべながら答えた。サッキュンの頭の中は自分の事より、壁に頭を打ち付けて痛そうにしている文官のヤバさでいっぱいだった。
サイモンは文官の方へ向き直ると、
「殺してやる!!」
剣を肩に構えて仰向けに転がる文官に横薙ぎに振り抜いた。
ドッ
文官はそれをゴキブリのような動きで躱すと、壁に刺さった剣を抜いて今まさに自分を殺そうとしているサイモンには目もくれずにサッキュンへ這いよった。
「ひぃいい!いやああああ!!」
その勢いのままサッキュンを押し倒すと、上に跨り首筋の生え際を舐めあげ、髪を食む。
その理解不能な光景に、サイモンと行動を共にしていたジャックはあっけに取られていた。
ザクッ
「うっ」
サッキュンを舐めまわす文官の後ろ首に、サイモンが剣を振り下ろした。
「あひゃひゃひゃひゃひゃけひえいひひひひひひひへへあぁぁぁ!」
間接的に衝撃を受けたサッキュンが小さく声を上げた。剣は一撃で首を斬り落とす事は出来ずに、精々一二割食い込んだ所で止まっていたが、文官はそれでもサッキュンの髪を舐め続けていた。
ならばとサイモンはもう一度剣を振り下ろす。
ザクッ
「ひぅ!」
サッキュンは疑似的に自分が攻撃されているような恐怖に悲鳴を上げる。
斬りつけられた衝撃に体がビクンと動くのに、文官は不気味な笑い声を上げながらサッキュンの髪を手に巻き付けたり舐めたりするばかりだ。
「こんの!!」
ザクッ
コロン……
その姿に激昂したサイモンの振り下ろした剣がとうとう文官の首を斬り落とした。
力を失った体が重くサッキュンの体にのしかかる。さっきまで自分の髪や顔を舐めまわしていた顔が転がっている。
「あ……首が取れたら死ぬんだ……」
ジョロロロロロロロロロ……
虚ろにそう呟いたサッキュンは、余りの恐怖に失禁してしまったようだ。
地面は血と涙と尿でぐちゃぐちゃに汚れていた。
「サイモン……サイモン……!!」
サイモンの胸に顔を埋めて泣きじゃくるサッキュン。
よしよしとその頭を撫でるサイモンだったが、涎と涙と血と鼻水でぐちゃぐちゃになる自分の服に内心「うわぁ」と思う。
しかし惚れた女の前でそんなカッコ悪い姿を見せれる訳もなく。包容力包容力と自分に言い聞かせていた。
「ありがどう゛!!」
まぁいいかと思ったサイモンだった。
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三匹のキメラモンキーの姿がある。一匹は兄将の息子。もう一匹は更に幼く不安に身を震わせている。弟将の娘だ。
その母親である妙齢の、兄将の妻より少しスレンダーなキメラモンキーは立ち止まると、二匹の方を振り向いた。
「先に行きなさい」
突然の事に二匹の幼いキメラモンキー達は動揺の色を見せる。
「私はここに残るわ」
その表情をどう形容しようか。あらゆる想いが一斉に詰まっているのだけは確かだろう。
「なんで!」
なるべく早くここから逃げないといけないのに!と言外に訴える。
「いつか分かるわよ」
弟将の妻は屈むと、その幼い命たちをぎゅっと抱きしめて静かだが芯のある声でそう言った。
その腰には夫の遺品である刀が。慣れていないのか柄が娘に当たり、少し痛そうにしているがそんなことには気づいていない。
娘も何かを察したのか、痛みを告げるよりも抱き合う事を優先していた。
…………
……
「強く……生きるのよ」
二匹の額に口づけをすると、最後にそう言って弟将の妻は来た道を引き返していった。
兄将の息子はただただ進む。決して振り向かず。妹分の手をしっかりと引いて。瞬くと、瞼の裏には力なく倒れる母の最期がその度に現れ、ぎゅっと拳を握り締める。
「サイモン……サイモン……!!」
誰かの声に希望を見た息子は、まだ自分と同じような子供がいたのかと声のした方へ向かって行った。
「ありがどう゛!!」
そこに居たのは人間の子供達だった。いや、抱き着かれている方の男は成人か?
その人間達は無残に首を落とされた同胞の死体の前で抱き合っており、しかも嬉しそうな顔をしている。
「何がありがとうなんだよ」
呟いたその眼は激しい怒りにしわを寄せ、その頬には涙が流れていた。
「見ろ!」
その時、スレンダーな少年が声を上げ、三人の視線が一斉に自分たちの方を向いた。同時に握られた手に込められた力が増した。
【余談】
この分官は普段は大人ハウスで過ごしていた。
そこで大人達の行為を監視し続ける内に人間に対する情欲を募らせていったが、同時に大人達には飽きていた。
そんな濁った眼にサッキュンは一際輝いて見えた。その姿を見かける度に妄想は膨らみ、彼の頭の中のサッキュンの比重が増えていった。
しかしサッキュンはまだ子供である為大人ハウスに来ることは無い。
彼は十五歳になったその日に自分のものにしてやろうと計画を練っていた。
何年も待ち続け後少しとなった明朝、偶然にも反乱と脱走を知ってしまった。
一早くこのことを報告しなければ猿の楽園は大混乱になる。しかし、そうこうしている内にサッキュンが脱走してしまうかもしれない。
それにどの道十五歳になっても五十パーセントの確率で誰かの食事となっていたのだ。ならばこの混乱に乗じて自分だけのものにしてやろう。
そうしてサッキュンは攫われることになった。
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