第163話 ジェノサイド⑥
「ぐっ」
兄将がエストさんの鋭い剣技に対応せざるを得なくなっていた所へ、怪物の大槍がその肩を貫いた。肩を覆う防具の上からだ。
うちの怪物はただの脳筋じゃ無いんだ!経験則に基づいた戦況判断もさることながら、テクニックだって超一流だ!
いくら頑強な鎧に身を包んでいても、一度傷を負ってしまえば逆に足枷のように重くなってしまうんじゃないか?
更にエストさんの攻撃をその身に受けた兄将の姿を見てそう思う。かと言って外せないだろうけど。
「父ちゃん!!」
「ダメ!!戻りなさい!!」
まだ幼い声に視線を向けると、着物を着たキメラモンキーの子供と、その母親らしき妙齢のキメラモンキーが物陰から飛び出してきたところだった。
「先に行けと言っただろう!!」
その声を聴いた瞬間兄将が声を荒げた。子供のキメラモンキーは一瞬びくっと肩を弾ませたが、直ぐに言い返した。
「でも父ちゃん負けそうじゃんかよ!!」
背中から溢れた血が鎧の隙間からポタポタと落ち、肩や膝にも同様に傷を負った姿に、演劇でヒーローが負けそうな時のように必死な声を出す。
「負けるものか!!いいから先に行っているんだ!!」
エストさんの追撃を意地で弾いた兄将は、一度距離を取り体をこちらに向けたまま息子たちと合流した。
「嫌だ!!……卑怯だぞお前ら!!五対一で恥ずかしくねーのかよ!!」
その背中へ、そして僕達へ息子は叫ぶ。
「こいつらがおじちゃんの仇なんでしょ!?こいつらがおじちゃんを殺したんでしょ!?」
その問いかけに、息を整えながらも「……あぁ」と頷く。
「なら俺も一緒に戦う……!!」
「何を言うか!!お前はまだ餓鬼だ!!右も左もわからん餓鬼だ!!」
バカな息子をしかりつけるように言う。
「父ちゃんの息子だ!!」
その時、兄将は初めてエストさんや怪物から視線を外して息子の方を見た。
「戦うんだ……!!」
その手には武官が一般的に使う刀を構えている。しかし剣先は震え、汗をかき、構えているのでやっとの筋力だと察することが出来た。
「ダメよ!!」
母親が息子を後ろから抱きかかえるようにして何とか引っ張って行こうとする。
「やめろ母ちゃん!!俺が殺さないとこの先誰がこいつらを殺すんだよ!!おじちゃんや皆の仇は誰がとるんだよ!!」
その腕を振りほどこうと必死に藻掻く。
「憎しみに支配されてはいけないと教えたでしょ?争いは消費なの!あなたたちが居なければ、若い命が次に繋がなければ、一族は滅んでしまうのよ!」
母親は聞き分けのない息子に対し、切実に説得を試みる。
「あいつら相手に尻尾撒いて逃げんのか!?俺は父ちゃんの息子だ!!誇りを持って戦うぞ!!」
「敵を前に長話とは余裕ですねぇ」
その前に、今まさに剣を振り下ろそうとしているエストさんの影があった。思わぬ家族の乱入に目を離してしまった兄将は「しまった」と声を上げるも、最早どうすることも出来ない。
敵が複数いる時は弱い相手から倒していく。定石通りにして無慈悲の一刀が今、ブシャアと血しぶきを撒き散らした。
「ぬおぉぉおおおおお!!!」
激しい声と共に兄将の薙刀がエストさんを捉え、その体を吹き飛ばす。エストさんは剣とバックラーを両方使って直撃は避けていたけど、その吹き飛ばされ様に「まだこれ程の力が……」と呟く。
「……母ちゃん?」
体の正面に深紅の深い傷を負った妙齢のキメラモンキーが、体を支えられずに息子の前に倒れていた。その下の地面には傷口と同じ色の液体が広がっていく。
「意地を張らないで…………お兄ちゃんでしょ……?妹を守ってあげるのよ……」
その体を信じられないとばかりに抱え、「そんな……どうして……」と震えた声を漏らす。
「母ちゃんは憎くないのかよ!!」
それら全ての感情を怒りに変える事で息子は心を保とうとした。
母親は全てお見通しだとばかりにふっと笑うと、
「……
と当然の事のように言った。
「さぁ……
息子は袖で一粒の涙を拭うと、立ち上がった。
「分かった……行くよ」
静かにそう言って走り去る息子は、決して振り向かなかった。
「逝くなよ……絶対逝くな……!!」
その背中が物陰に消えていくまで、血が滴る程に唇を噛み締めて薙刀を振り回して牽制し続けていた兄将が声をかける。
「祝言の日を覚えてますか……?今日のように……空の綺麗な日でした……貴方は朝から稽古に励んでた……おめかしもしなきゃいけないのに……」
「こんな時に何の話だ!!」
怪物の槍とジェニの剣を受け止める兄将は叫ぶ。その姿に兄将の妻は小さく笑い。何かを察した兄将は二人を再び吹き飛ばして倒れる妻に駆け寄る。
手放された薙刀が地面を転がる。
「……誓い通り最後まで側に居ますとも……」
兄将の腕の中で、その言葉を最後に動かなくなった。
「おい……おい……」
どれだけ揺さぶろうとも「やめてください」と笑う事もない。ただ、その懐からはコロッと何かの燻製肉が転がり出てきた。
「嘘はつかないはずだろう……」
ガキンッ
そう零した兄将はエストさんの振り下ろした剣を籠手で防ぎながら、その乾いた肉を握り締める。剣は籠手に半分ほど沈み、また兄将が横向きの力を加えているせいでなかなか抜けない。
「その悲しみが分かるなら、どうして人間を食べたりするんだ!!」
それを見て僕は自分を抑えられなくなった。そんな僕を治療中のエルエルが引っ張る。
治療が必要な程の怪我を負う捨て身の策など愚策以外の何物でもない。それは僕もわかっていたから継戦困難になる程の怪我は負わないだろうと計算しての策だった。
実際体は打ったり擦りむいたりしたけど直ぐに戦線復帰できた。それをエルエルが治療すると言って引き留めていたのだ。
確かに直ぐ戻っても何の策も思いついてなかったし何か出来た訳じゃないけど、どうも過保護な所がある。
「……何?」
兄将のその瞳がギロリと僕を捉える。
「人間だって同じ命なんだ!!それを自分達が上に立って支配している気になってるから、胡坐をかいたその喉元に刃を突き付けられたんじゃないか!!」
僕は睨まれた瞳を睨み返して、エルエルを引きずりながら更に一歩足を前に出す。
「別に人間を食べなくても他にいくらでも食糧はあったはずだ!!自分達の益の為に騙して管理して抑えつけて、流された涙の数々を無視してきた!!」
大人達の涙が、少女の涙が、脳裏に浮かぶ。そんなもの氷山の一角でしかないのだろう。僕が見ていない所でどれだけの涙が流されたのか、想像もつかない。
「身内が死んだ時だけ怒んのか!?我が身の時だけ嘆くのか!?こんな争いバカげてるってのに!!手を取り合う道は本当に無かったのかよ!!」
冷たくなっていく妻にそんな顔が出来るなら、その気持ちを何故人間にも分けてやれなかったんだ。
「お前らのどこに正義があるんだ!!」
「……
その後ろ首に籠手から剣を抜いたエストさんが、丸太を割るように振り下ろした。
兄将はやっと口を開いたと思ったら、その一撃を籠手で横に弾き、続けざまにエストさんの鳩尾に拳をぶち込んだ。
「
零されたその言葉には幾千の想いが重なり、声量からは考えられない程僕の胸に深く沈み込んだ。
「この先に、通しはせんぞ……」
その肉を齧りながら零された言葉に、
「サイモン達はいいのかよ」
僕は剣を構えながら言い返す。
「あんな小僧ども恐るるに足らぬ」
そう言いながら兄将の体がバキバキと音を立てて変化していく。
「だが貴様らは駄目だ!!」
体が更に大きくなり、それに耐えきれなくなった鎧が外れていく。全身を覆う毛が更に濃くなり、その毛先が白くなっていく。
骨格すらも変わり、牙が鋭く、爪も立派になっていく。
発達した前腕、肩、胸筋、それらの重みに耐えかねて腕をついた。
「ここで屠れるなら誇りなど要らぬ……!!」
元より二足歩行のゴリラのようだった兄将は、今四足歩行の獣へと変わった。
分厚い毛皮に、猿の尻尾。極太の前腕に、肉球の間から飛び出した鋭利な爪。丸太のような首に熊の顔。
「グルォォォオオオオオオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
唾を撒き散らして発せられたその雄叫びに理性の色は無く。殺意だけが凄まじい濃度で存在し、僕を竦み上がらせた。
自分から出た血で白い毛を染めていくそれは……
「狂戦士だ……」
【余談】
ジェニから紅熊の肉を得た兄将は価値の高さからそれを保存していた。
その肉を非常時だからと何かあった時の為に妻に持たせていたのだ。
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