第144話 河童のヤザワ


 僕は怪物がリュックから取り出したロープの端に手ごろな石をくくりつけると、流れの強い水面に忙しなく顔を出したり引っ込めたりしている河童の少し奥を目掛けて放り投げた。


「あばばばっばばばばげぼっあばばば!!」


「掴まれ!!」


 滅茶苦茶パニックになっている河童は声など聞こえていないようで手足をジタバタと足掻いていたが、その手が偶然にもロープに触れると本能的に掴んだ。


「引っ張るよ!!」


 それを確認次第皆と力を合わせて引っ張った。水を吸ったロープの冷たさに不快感を覚えながらも、頑張って力を込めた。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 僕達の元まで辿り着いた河童は、四つん這いになって息を整えている。一日の内に二度も活躍するとはロープ君も鼻が高いことだろう。


 エストさんは「肺呼吸なのに水生生物の特徴を備えている……興味深いですねぇ……」とブツブツ考察しているようだ。


「本物やぁ……!本物やぁ!」


 ジェニはやはりウキウキと目を輝かせて、まじまじと観察している。


「すいません助けてくれてありがとうございます。わざわざ皆さんの手を煩わせてしまってすいません。すいませんすいません」


 息の落ち着いた河童は両手を地面につけて土下座をした。


「腰ひっく地面やん!」


 滴る水が砂利に染みを作っていく。


「わいは、ヤザワと申します。あ、聞いてないですよねすいません」


 ジェニが反応した通りかなり腰が低いタイプの河童みたいだ。敵意もなさそうだし、危険性も感じない。言葉も通じるし、ジェニ同様警戒レベルを下げてもよさそうだ。


「なぁなぁ、なんで亀みたいな甲羅背負っとるん!?」


「はいすいません!脱ぎます!」


「脱げるの!?」


 河童の甲羅って着脱可能だったんだ!服みたいなシステムだったんだ!


「脱げません!すいません!」


「脱げないの!?」


「すいません、すいません!」


 謝るくらいなら最初から変なこと言わなければいいのに。よく分からない河童だ。


「うわぁねちょっとるぅ」


 そんな河童のヤザワをつんつんとつついていたジェニは、初めて両生類の体を触った都会者みたいなリアクションをしている。


「すいません!乾きます!」


「出来るの!?」


「死にます!」


「出来ないじゃん!」


「すいません!すいません!」


 ぺこぺこと謝るヤザワ。その度に水滴が飛び、その一つが頬にあたった。


「つめたっ」


「ああ!すいません!すいません!」


 無意識的に声に出した僕にヤザワは酷く動揺して何度も謝罪しだした。何だか僕がいじめているみたいだ。謎の罪悪感が芽生えてくる。


「そんな謝らなくてもいいよ」


 ジェニに皿をキュキュッと撫でられているヤザワはそれでも「すいませんすいません!」と謝っている。


「いやだから――」


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛人生疲れたわもぉぉぉおおおおおおおおお!!」


 突然の叫びに、体がびくっとはねる。びっくりしたぁマジで……


「やっとれんわこんなん!!何で人の機嫌窺ってぺこぺこしやなあかんねん!!品行方正求めてくんな!!まともなコミュニケーション取れる事前提な甘えた考えで価値観押し付けてくんな!!」


 ヤザワは子供が地団太を踏むようにまくし立てる。


「何でこっちが口調合わせなあかんねん!!怠いねん!!ほんでこっちが少しでもジャブ打とうもんなら右ストレート返してくんな!!疲れたって言っただけでマウント取ろうとしてくんな!!」


 誰に向けた叫びなのか、何なのか……八割以上八つ当たりのように感じるが……


「口ではどれだけいいこと言おうともマウント取った瞬間説教じみた思想押し付け合戦!!だからあなたはってこっちもお前みたいな奴に言われたないねん!!こんなんやからいつまでたっても世界良くならんねん!!

 あああああああああああああああ誰でもいいからおっぱい揉みたいぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいい!!」


 おかっぱの髪の毛をかきむしり、最後に吠えた。最低の叫びだ。


「謙り過ぎて頭おかしなっとるやん」


「最終形態みたいな奴だな」


 そのあまりの惨めさというか不憫さというか憐憫に、僕は「うわぁ」と呟くしかなかった。


「わいもモテたいぃぃぃ!!何で顔いい奴ばっかモテんねん!!皆平等とかほざいた神は目ん玉くり抜いてから百万回死ね!!アホな女は中身見ろ!!」


 恨みつらみをたれていたかと思えば妬み嫉みも交えられていた。


「ドブを煮詰めたような中身やけどな」


「己が不出来を女性のせいにしていてはな……」


 喚き散らすヤザワに対してさっきからジェニと怪物がわりと容赦ない。


「そもそも河童のわいが溺れるわけっ!!」


「溺れとったけどな、どう見ても」


「だ、騙されたな!!はっはっはっは!あれは溺れた振りや!!」


 冷静にツッコんだジェニを嘲るように言い放つ。


「ぇぇぇええええ!?マジでぇぇええええ!?」


「いや何の為に?」


 そんなバカな!と驚いているジェニだけど、僕はいたって冷静に聞く。


「魚騙しとったんやがな!!ゆうたら役者みたいなもんやがな!!溺れたふりして潜って油断さすんやがな!!」


潜漁役者せんりょうやくしゃじゃん!」


 それがもし本当だとしてもとても効率的だとは思えないけど。


「坊主……どえらい上手いこと言うなぁ!!尻子玉一個あげるわな!」


 甲羅の中に手を突っ込んでガサゴソ漁りだすヤザワ。


「いやいらないいらない!ソレアメダマチガウ!」


「おっといけねぇ!今日は大池の雌共ナンパするんやった!!早くしねぇと皿が渇く!!」


 ヤザワはもう行くようだ。思ったより下衆な理由だったけど。


「水つけたらええんちゃう?」


「ふっガキだなぁおめぇも……水じゃあ皿は潤せねぇんだぜ……」


 三流役者のように臭い芝居で言ったヤザワに、


「お前生き辛いやろ」


 ジェニの辛辣な一撃が放たれる。


「じゃあなおめぇら!間違っても河童が川で溺れてたなんて言いふらすんじゃねーぞぉ!!」


 カヌーに乗り込み、手を振って去り行くヤザワ。


「自分と人生にも溺れとるけどな!」

 

 その背中をジェニの切れ切れの一言が押したのだった。






「嵐のような河童でしたね」


「どっちかって言ったら荒らしやな」


 怪物の隠れ家目指して川沿いを下っていく。ごつごつとした大きめの砂利に、気を付けていないと足をとられてしまうことだろう。


 不思議なのは結構最低発言を連発していたヤザワに対して、エルエルがちっとも嫌な顔をしていなかったことだ。


 エルエルと書いて聖人と読むくらいに優しくて純粋なエルエルは嫌いそうなタイプだと思ったんだけど。そんなこと無かったらしい。


 そのことを聞くと、「個性は尊ぶべきよ。良し悪しは私が決める事じゃないわ」と言っていた。


 何故だかその時僕は、かわいいとか綺麗とか思っていたエルエルの事をカッコいいと思った。


 …………


「まさか一週間で帰って来る事になるとはな……」


 そんなこんなで色んなハプニングがありつつも僕達は隠れ家に到着した。






【余談】

ヤザワは河童の住む大池から離れた上流に住んでいる。その理由は可哀そうなので語らないでおこう。だがカヌーはヤザワの手造りだ。意外と器用らしい。

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