第143話 道標と川流れ


 怪物とジェニに称賛されながら解体を進めるエストさんを眺めつつ、僕は完全に手を止めてボーッと物思いに耽っていた。恐龍が流した血の鉄っぽい匂いに鼻も麻痺してきたところだった。


 ブジンさんと怪物が認める人だ。最初から凄い人なんだろうとは思っていた。今までは行動の突飛さと変わった性格のせいでいまいち本質が見えていなかったのだろう。


 蓋を開けてみればこれだ。


 伝説的栄光を汗一つかかずに涼しい顔して成し遂げてしまった。まるで赤子の手を捻るように、圧倒的実力に裏付けられた余裕すら感じさせて。


 その技術は極まっていた。呆れ返る程合理的かつ効率的に繰り出される攻撃は、美しいと形容する他ないくらいに狂いなく高精度で、ついでに解説までやってのけた。


 本当に凄い人だ。あの若さで既に剣の極みに半歩踏み込んでいるとすら感じさせる。


 『弱点を突き、武器を奪い、楽をして勝ちましょう』


 しかし、理不尽なセンスと身体能力でアクロバティックな戦闘を行うジェニや、恵体をフル活用して岩をも貫く剛槍を繰り出す怪物のようなものとは違って、エストさんの剣技は努力次第で届き得るものだと思う。


 だからあの戦いを見て、僕は震えたんだ。


 確かに僕は特別だ。それは認めよう。物覚えのいい頭と抜群の視力に恵まれている。ジェニは羨ましいとすら言ってくれる。


 でも、それだけだ。


 ジェニやブジンさんやエストさんのような飛びぬけた天才でも無ければ、怪物のように恵まれた体格でもないし、エルエルのように人を癒せるわけでもない。強靭なラーテル獣人と比べれば、筋力や運動能力に大きなハンデも持つ。


 僕なんて真の天才達から見れば凡人と同じだ。それ以下かもしれない。


 でも……でも僕は……そんな不条理な程の天才たちと肩を並べたいんだ!隣で誇らしく笑い合いたいんだ!


 エストさんの剣技はそんな僕に射した一筋の光明なんだ。派手さは無くとも何よりも美しい無駄も迷いもない剣は、今、目指すべき目標になったんだ。


 日々の素振り、二人の師匠との稽古、仲間たちの戦闘……その度に自分には才能が無いと、劣等感とままならない自己嫌悪を抱えながら、我武者羅にしがみついてきた。


 剣を振れば振る程、思い描く光景には追いつかない技術に腹を立てた。見れば見る程遠のいていく背中に焦燥した。気持ちに反して上がらなくなっていく細い腕に嫌気がさした。


 そんなゴールの見えない無謀ともとれる抗いに道標が見えたんだ。朧げな背中が見えたんだ。


 ならばもう迷わない!


 この道が地獄だと知っているけど、僕はもう振り返らない!この身尽き果てるまで進んでやる!


 ……






「ありがとう」


 解体を進める中、恐龍の屍へ祈りを捧げたエルエルは僕達の小さなひっかき傷を治してくれていた。「えぇ!」と返す笑顔はとても魅力的だ。


「本当に凄いのは師ですよ。傷ついた仲間を庇いながら万全の状態の恐龍の足に消えない程の傷を負わせたのですから」


 ジェニと怪物と会話に花を咲かせるエストさんの語った言葉に僕は食いついた。


「え?じゃああの傷はブジンさんが!?」


「おや、ご存知なかったとは。失礼、余りにも有名な逸話でしたのでてっきり知っているものだと」


 本当に煽り抜きで驚いているエストさん。どうやらかなり有名らしい。


「当時剣鬼の活躍をまぐれだと言い張る者達を黙らせた程の逸話だぞ?冒険者でなくとも常識だろう」


「へ、へぇー……そうなんだ……てことはエストさんは間接的にも師匠を超えたってことだよね!?凄いね!?」


 何やら呆れられたので、急いで思いついたままに話題を変えた。


「いえ、残念ながら一概にそうとは言い切れませんね。百と九十の差は十ではない」


「ん?どゆこと?」


 牙の一つをナイフで丁寧に切り取ったエストさんは語る。


「最大値が九十のものに勝利したのです。仮にこれが百なら勝率は極薄でしたね。戦闘において十の戦力差を埋める事の難しさを、修行で最大値を十伸ばす事の途方の無さを、貴方なら知っているはずですよ」


 牙の大小を比べながら、すらすらと饒舌に説明してくれる。


「つまり手負いの恐龍にとどめを刺したエストさんより、全力の恐龍を無傷で退けたブジンさんの方がヤバいかもしれないってことだね」


「流石理解が速いですね」


 纏めるようにそう言うと、エストさんはニッコリと笑って褒めてくれた。


……


 だが、続けてそう言ったその顔は笑ってはいなかった。百パーセント自分の手柄とは言えない事が悔しいんだろう。その眼はギラついていた。


「そうだ。剣鬼と言えば……」


 かと思えば、何かを思い出したように手を叩いてこう続けた。


?」






 討伐証明の牙や爪、それと食用のもも肉や胸肉を剝ぎ取った僕達は、夕方に差し掛かりつつある為に、今日これ以上進むのは危険だと、怪物の隠れ家を目指して歩いていた。


 逃げ回ったお陰で今は正規ルートの少し上、川の上流の方を進んでいるらしい。僕には分からないけど、怪物は迷いなく進んでいく。


「学者たちは今も喉から手が出るほど第四層を研究したがってますが、碌に進んでいないのはこの敗北が原因だと言われていますね。ですが何十年も昔の話です。脅威は去ったと見ていいでしょう」


「へぇー、凄い影響力だ……未だに第四層は皆避けたがるんだから……」


 長い話に興味を失ったのか、ジェニはエルエルにじゃれついている。最後まで聞き終えた僕はスケールの大きい話に聞き入っていた。


 怪物の背中を大いに頼りに、警戒心を研ぎ澄ませながらもどこか安心しつつ歩いていると、やがて川に出た。


 第三層は一番高い場所と一番低い場所では二百メートルを超えるほどに高低差があり、そんな地形に沿うように大きな川が流れている。


 この川は数多に枝分かれして第三層全体に広がっているのだが、本流は真ん中付近を通り、怪物の隠れ家のある滝を経て、下流の大池まで続いている。


「わぁ」


 鬱蒼とした森からやっとこさ変わった景色に、気持ちがさっぱりと洗われるようだ。目には見えない水の粒子を孕んだひんやりとした風が肌を湿らせていく。


「ひゃっほー!!」


 その時、川の上流からそんな楽しそうな声が聞こえてきた。


 どうしてこんな場所で?と疑問に思うのと同時にその声の主を確かめた。


「河童や!!」


「カヌーだ!!」


 かえるのような緑の肌。頭の上には白い皿。おかっぱ頭の黒い髪。黄色いくちばしに、瞬膜のついた眼。


 カヌーと呼ぶべき小さな一人用の小舟に乗り、オールを持つ手には水かきがある。


 そいつはやけにハイテンションで川を下っていた。


「イェーイ!!フッフーーー!!」


 岩などで乱雑とした急流を乗りこなす度にアドレナリンが暴走したような声を出す。怪物は「珍しいな」と呟いている。


「河童が川下っとる!!」


「流れろよ!!」


 やや危険な脳の痺れ方をした河童は、僕達というギャラリーに気が付くと、ファンサービスするかのように手を大きく振り上げ、その勢いのままにバランスを崩して転覆した。


「あ、こけた」


「多分あいつバカだ……」


 レアな魔物クリーチャーであり、名高い河童を見つけたという興奮があっという間に冷めて呆れが顔を覗かせる。


「なんか溺れとらん?」


 ジェニが指をさす通り、河童は両手をせわしなく振り回して藻掻いているように見える。顔は必死で藁にも縋るようだ。


「あばばばばば」


「河童の川流れ!?」


 まさかことわざをそのまんまの状態で目にする日が来るとは思わなかった。ことわざって言うのは、的を射た言い回しにしては意外と目にしない事で有名なのに。


 ともかく、危険な魔物クリーチャーには見えないし、目の前で溺れ死なれるのも気分が悪い。


「助けよう!」






【余談】

エルエルが選ぶ被写体には、彼女の中だけのルールが存在しているらしい。

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