第142話 龍狩りのエスト


 ドシン、ドシン、ドシン、ドシン、ドシン、ドシン――!


 巨大樹の間を抜けて、小さな木は意も返さずにへし折って、重低音の足音は迫ってくる。その迫力と振動から体重は六トン以上あるのではないかと思われる。


 幸いにも足はそこまで速くないようだ。精々時速二十キロメートル程度だろうか?それでも運動エネルギーは考えるまでもなく、有り得ない数値へと達している事だろう。


 しかし、奴の巨体に対して僕達は余りにも小さい。


「っつ」


 今もなお、身長程ある草木に引っかけて肌を軽く切った。とてもじゃないけど全速力で走る事は出来ない。


「奴はもっと上流の方を寝座ねぐらにしていたはずだ!まさかこんな所にまで現れるとはな!」


 第三層での暮らしの長い怪物が奴の事を知らないわけが無い。その動向には常に気を付けていた事だろう。


 なんせ……


「アニマやっばいな!!やっばいなあれ!!」


 隣を走るジェニは涙目のエルエルとは違ってその瞳を輝かせている。


「チョーカッコええな!!」


 その顔には僕のように恐怖の色は無く、寧ろウキウキとしている。バカと子供はデカけりゃ何でも喜ぶと!?


 木々も蔓も何もかもを関係ないとぶち壊して突き進むその暴君にチラッと視線を向ける。


 デカけりゃいいってもんじゃない!限度ってもんがあるだろ!


 ……だがしかし、デカすぎる恐龍にロマンを感じないかと言えば……それも嘘になる……小心者の僕としては恐怖が勝っているだけで……


「余計なことは考えるなよ……俺でも奴には勝てない……」


 そんなジェニに怪物が釘を刺した。


「そうよぉ~!逃げるのよぉ~!」


 エルエルも色んなものを揺らしながら頑張って走っている。


「皆さん。頭を使いましょう」


 決して声を張ったわけではない。けれどエストさんの言葉に自然と全員が耳を傾けた。


「あの巨体に持久力を期待するのはナンセンスです。明らかに息が荒くなっているのがわかりませんか?焦る程状況は悪くありませんよ。

 ……過分にもあの恐龍は爬虫類の特徴を備えている。排熱の器官が見当たらないので変温動物と見てまず間違いない。あの質量で体温を維持する為には日中の大半を日光浴に捧げなければならないはずです。

 恐らく周りに木が無い砂場や岩場で長い時間を過ごしている。

 そして、激しい運動は激しい熱を生みます。日光がささず、肌寒いこの森では徐々に体温を奪われるでしょうが、大質量が生み出す猛烈な熱を溶かし切れる訳が無い。

 熱暴走は目前、一体あと何秒間パフォーマンスを保てるのでしょうねぇ」


 えらく余裕ありげな解説だ。食物連鎖の頂点に追い掛け回されてなお冷静さを保っていられることについては素直に驚く他ない。


「生きとし生ける全てのものには必ず急所が存在している。観察し、分析し、対策を立てて、敵を倒す。簡単なことです」


 エストさんは不敵に微笑んでそう言うと、


「逃げる必要もありませんね」


 振り返って剣を抜いた。


「何をしているエスト!!挽き肉になりたいのか!!」


 怪物が怒号を飛ばす。


 エストさんはそんな怪物を意にも返さずに、威風堂々と立ち向かっていく。


「重心が左に傾いている。右足の古傷を庇っての事でしょう。これも走力の低下の一因でしょうね。現に俺たちに追いつけていないどころか、全くと言っていい程に切れが無い。だから――」


 迫りくる剛脚に対して、指でトントンとタイミングを計ったエストさんは刹那的に加速し、呆れるほどに寸分の狂いもない水平な剣筋でザシュッとその張り詰めたけんを斬った。


 片足首の制御を失った恐龍は、激しく腐葉土をぶちまけながら轟音と共に巨大樹に激突した。


「ガルワアアアアアアァァァァァァァァァ!!」


 思わぬことに怒りの咆哮を上げ、立ち上がろうとジタバタと地を暴れまわる。その荒れ狂う尻尾の一つ、爪の一つに小突かれただけでも簡単に死ぬと分かる程の迫力だ。


「目は大きく、顔の側面に近い所に位置していることから視界が広いと推測できます。鋭利な牙を見せる突出した口は狼などの特徴に類似し、恐らく鼻も利くでしょう」


 その土埃の中から、暴れ回る肢体の間合いのギリギリを歩いてくる影が舞台役者のように饒舌に語る。


「分厚い鱗に覆われた皮膚から触覚は鈍化していると思われるので、狩りの大部分を視覚と聴覚と嗅覚に頼っている」


 そんな不遜な影に立場を分からせるように睨もうとした恐龍の瞳に剣が刺しこまれる。間髪入れずにもう片方にも剣は刺しこまれ、「グアァァ!!」と声を漏らす。


 奪われた足と視界。頼りの嗅覚も今、ザシュッと無慈悲にも奪われた。


 恐龍はもう触覚と聴覚でしか碌に外界を知る術がない。理解も追いつかない短時間で奪われた感覚に混乱する頭を怒りに塗りつぶして力の限りに暴れ回る。


「愚かですねぇ……分厚い鱗に阻まれて尚、有効打に成り得るのは首と腹。無様に藻掻く懐に潜る程俺は甘くは無いですよ」


 四肢をジタバタさせるだけの恐龍に清々しい程の笑みを浮かべたエストさんは一刀の元、隙を晒したその極太の首に鮮やかな血の線を浮かび上がらせた。


 最後の抵抗にと我武者羅に嚙み砕こうとした瞬間、その線がぱっくりと開き、大量の血が飛び出して、恐龍は苦しそうにのたうち回った後、動かなくなった。


「弱点を突き、武器を奪い、楽をして勝ちましょう」


 それを見届けると、エストさんは笑顔で僕達の方を振り向いた。


「「……ぉ……ぉぉ……ぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!」」


 身を芯から震わす興奮に逆らう気を起こす暇もなく、僕とジェニは心の底から声を上げた。


「すっげぇぇぇぇええええええ!!」


「すっごぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!」


 そして血を払い剣を納めるエストさんの元へと駆け寄っていき、勢いそのままにどさっと飛び込んだ。


「激熱やん!!何で勝てんの!?強すぎやろ!!」


「単独撃破だよ!!ドラゴンスレイヤーだよ!!正真正銘の英雄だよ!!」


 更にまくし立てるようにジェニと感動を口にする。そんな僕達に「敵を知り己を知れば百戦危うからずですよ」と言うエストさん。


「カッコよ……!!」


 やや気取ったような仕草も、役者じみたその台詞も、エストさんの美貌でやられたら絵になってしまう。名画のように惹きつけられてしまう。


 これまでどこか気味が悪いと思っていたエストさんに対する警戒や疑心は完全に消失していた。爆上がりしたテンションのままに、抱き着いたまま何度も凄い凄いと言っていると。


「あぁ…………」


 エストさんは恍惚とした表情で、もう我慢できないとばかりに呟いた。


「え、食べれるの?」


 僕は横たわる恐龍の亡骸を見ながら怪物に尋ねる。


「恐らく毒はないだろうが、味の保証は出来んな……ははっ、ははは!凄いぞエスト……!猪肉を龍肉に変えてしまうとはな!」


 かつて戦った友として、怪物はエストさんの強さが誇らしいんだろう。あの時苦汁を舐めるだけだった若者が、時を経て大成したのだと。


「パッチテストでもしますか?俺得意なんですよ」


「得意とかあるんだ……」


「ほらっパッチエスト、なんつって」


「さっむ!しょーもな!温度差えぐすぎて風邪ひくわ!」


 得意げにボケたエストさんへ、肌をさする仕草をしたジェニの容赦ないツッコミが浴びせられる。つい今しがた恐龍を倒した英雄とはとても思えない、親父ギャグにすら満たない雑魚ボケだ。


「そういやアニマ泣いとったよな~?怖かったんやろ~?ちびっちゃったんやろ~?」


 そんなジェニはニマニマと僕をからかう。


「な、泣いてないよ!」


 僕はむきになって否定した。


「うっそや~!え?涙じゃ無かったらあれは何やったん?おめめからぽろぽろしとったでぇ~?」


 ジェニは勝利を確信しているのだろう。勝ち誇った笑みで煽ってくる。


「結露だよ」


「いや温度差えっぐぅ……」






【余談】

パッチテストとは。

皮膚の薄い箇所に食べたい物の断面を密着させて、かぶれたりはれたりしないかどうかで安全か見極める、サバイバルでは有名なテストです。

念入りに調べるなら実はかなり時間と手間がかかり、割と忍耐力が試されるテストとなっています。

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