第141話 沼とドラゴン


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「これは……」


 巨大樹と草木に囲まれた大森林。正規ルートのけもの道から少し左に逸れた怪物は土に紛れた何かを指で確かめる。


いのししの糞だな……凄い量だ……大物だな……まだ乾ききってない……そう遠くは無いはずだ…………お前達、今夜は猪肉が食えそうだぞ!」


 怪物の言葉にジェニが「ウェーイ!」と乗っかる。どこか怪物も楽しそうだ。


「凄いね、糞一個でそこまで分かるんだ」


「あぁ」


 ぶっきらぼうに答えた怪物は、「あの木を見ろ、皮に体を引っかけた際の体毛が残っているだろう。……それに蹄が地面に食い込んでる……やはりかなり大きいな……足跡の形と大きさを見るに、肉もよくついてる……」と更に詳しく語ってくれた。


 なんだかんだ言ってやはり怪物は狩りが大好きなんだな。プロとして僕達仲間にその腕を見せられるのが嬉しいんだろうきっと。


「こっちだ、ついてこい」


 僕には鬱蒼とした危険な森だけど、怪物には長年の経験から培われた何かが見えているようだ。迷いなく痕跡を辿っていく。


 ぬぷぷ……


「うわっ」


 そうして歩いていると、靴底が嫌にねっとりとした沼に練り込んだ。先頭を歩いていたはずの怪物を見ると、手を横にして制止してくれていたようだけど、僕とは身長差があり過ぎて見えてなかった。


「ヤバそうな沼だ……」


 一点を見つめて呟く怪物に、泥を草に擦りつけながら「別界隈の闇を見たオタクかよ」と小さくツッコんだ。


「この沼……深いわ!」


 中々取れない泥に若干イラつきを覚えていると、いつの間にかエルエルが膝まではまっていた。


「ちょっ、何でハマってんの!?」


「沼というのは……手遅れになってからその深さに気付くものね……」


 つぷつぷとゆっくり沈みながら遠い目で語る。


「悟らないで!今助けるから!」


「泥が荒れている……泥浴びの為の沼田場ぬたばか……抜け毛がある……間違いない……」


「怪物も冷静に分析してないで!早くロープ出して!」


 毛を手に取って分析している怪物のリュックを無理矢理開ける。


「あああああ!王子ぃ~!どんどん沈んでいくわぁ~!」


「エルエルはじっとしてて!」


 その間に青い顔してジタバタ暴れているエルエルにぎょっとする。よく見ると膝上まで沈んでからはそれ以上沈んでないように見えるけど、本人からしたら恐怖でしかない。


「無様にハマり、藻掻く程自らの首を絞めていくのですね」


「エストさんはニヒルにカッコつけてないで!」


 唯一の頼りだと思っていたエストさんは中二的なポーズでカッコつけている。


「あ~ああ~!!」


 その時、大人しいと思っていたジェニが木に巻き付いたつるに捕まって、ターザンのように雄叫びを上げ、


 どぷっ


「助けてアニマ~!」


 沼に落ちて動けないと悟ると、涙目になって助けを求めだした。


「何がしたいの!?もぉぉおおお!!」


 僕は取り出したロープを怪物と手分けして木にくくりつけ、ジェニとエルエルの頭上にピンと張った。二人はそれを伝って何とか這い上がって来た。


「ありがとな、ホルスタイン」


「え?もっかいハマっとく?」


「ほんとまいったわね……」


 ジェニと取っ組み合っていると、トホホと泥がへばりついた腿から下を見ながら、思わぬ災難と無駄に消費した体力にエルエルが呟く。


「こっちだ、近いぞ」


 そんな僕達に怪物が手招きするので、「参ろうぞ」と言ってそれに続く。


「マイロード?」


「マイロード……」


 そんな僕にジェニが聞き返し、エルエルが両手を胸の前で組んで祈るように言うので、「いや崇めるな」と笑いながら怪物を追いかけた。






「ひっ」


 茂みの中に身を潜めた僕達。あまりに衝撃的なその光景に漏れ出る悲鳴を、何とか手で押さえて堪えた。


 目の前では、さっきまで後をつけていた立派と言うには立派過ぎる大猪の、頭から前脚にかけてを失い、後ろ脚二本では支えきれなくなった胴が血と臓物を地面に撒き散らしている。


 そしてその頭上からは頭と上半身から漏れ出た血が滴り、バリボリと骨をも砕く咀嚼音が聞こえてくる。


 僕がゴクリと唾を飲み込むと同時に、そいつは残った方の下半身も一口に喰らう。


 巨大な樹木に囲まれて尚、圧倒的な存在感を放つその巨体は何メートルあるのだろうか?長く凶悪な尻尾まで含めたら十三メートル程ありそうだ。


 その全身は大きな鱗に包まれ、発達した後ろ脚と尻尾で体を支え、比較的小さな前脚は補助的に使っているようだ。


 一見すると大きな蜥蜴とかげと言えなくもないが、蜥蜴とかげと呼ぶには些か巨大すぎる図体と、今もなお骨を砕く凶悪な鋭い牙が恐怖を掻き立てる。


「だから止めようって言ったんだ!」


 声を殺して抗議する。巨大なオーラが見えた時点で近づくべきじゃなかったんだ!有り得ないデカさに上手く言語化出来なかった僕も悪いけど、ジェニと怪物が止まらないからこうなったんだ!


 幸いにしてまだ僕達の存在には気づいていないようだけど、奴の鼻が飾りではないのならいつ気付かれてもおかしくはない。


 冷や汗がつぅっと額を伝い膝が震えだす。奴こそがそうなのだろう。魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする第三層の絶対王者にして食物連鎖の頂点。


 


「とにかく気づかれないうちにここは一旦離れよう!」


 あんなものは御伽噺おとぎばなしの存在だ!人間如きが関わっていい類のものじゃない!


「待て……動くな……」


 恐怖に、直ぐにでもこの場を離れたい僕を怪物が制止した。大猪を食べきった恐龍がゆっくりと首をこちらへ向けたからだ。


 口を両手で押さえて不規則な呼吸すらも隠す。ただ涙だけが代わりに零れる。恐龍は匂いを確かめるようにゆっくりと鼻を近づけてくる。


「はっはっはっはっ……」


 必死に抑えているのに、声にならない悲鳴が漏れる。


 間近で見ると、重低音の唸り声が心臓を揺らし、口からは血の混ざった臭気が漂う。瞬膜しゅんまくが瞬くのすら分かる程に近づいたその顔は、僕なんて簡単に飲み込んでしまえる程に大きく凶悪だ。


 茂みの間から目と目が合ったような気がした。


 ごくっ


 誰かが唾を飲み込んだ。


「グルルルゥゥアアアアア!!」


 その瞬間恐龍が大きく呻り、その大口を目一杯に開いた。


「逃げろ!!!」


 怪物の声が聞こえるのと共に、僕達は脱兎の如く逃げだした。






【余談】

モチーフは皆大好きティラノサウルスです。

大猪のサイズは、おっことぬしの仲間の戦士たちくらいです。

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