第3層 多様性

第140話 恋敵


 パシャ……パシャパシャ……


 背の高さを軽々しく超える草花に囲まれ、樹高百メートルを超える巨大樹に光すらも大半が遮られた鬱蒼とした大森林。


 重たいとさえ感じる程濃い空気に鳥獣の声が反響し、木々と腐葉土の匂いに包まれる。地面を覆いつくす草や根に足元を取られないように気をつけながら、小さな羽虫の一匹にまで警戒心を研ぎ澄ませる。


 草の葉の裏や、木の皮の間、枝の間の蜘蛛の巣、小川の水草の裏、どこに毒虫がいてもおかしくない。ここは人の領域ではないと、今も肌に止まった虫を払いながらに考えつつ、木の上の方へ目を凝らす。


 「今度こそ登りきったるわ!」と腕をまくったジェニを送り出したのが数分前。僅かな突起を上手く利用して登っていく姿を、僕には無理だと感心しながら眺めていた。


 大自然に目を輝かせたエルエルは、目に付いたものを片っ端からカメラに収めている。エストさんは怪物に森について色々と聞きまくっているようだ。元狩人だからきっと面白い話を一杯聞いているに違いない。


 僕も混ざろっかなぁー。


「王子~!」


 と、思っていた所へエルエルの呼ぶ声が。


「ん?」


 振り向くと同時に、ニコニコとカメラを向けられている事に気が付いた。どんなポーズにしようか僅かに迷っていると、


「イェーイ!」


 パシャ……


 後ろからジェニがすっごいテンションで飛びついてきた。


「びっくしたぁ……」


 二つの意味でドキドキと脈打つ心臓を押さえながらエルエルから写真を見せて貰うと、そこには満面の笑みでピースを掲げるジェニと、酷く不細工に半開きの目で驚いている僕が写っていた。


「あははははは!」


 それを見たジェニとエルエルがケラケラ笑っている。大爆笑だ。余程壺にハマったらしい。


「これオトンとオカンにも見せたろ!」


「いいえ、この写真はランジグで公開するのよ!きっと博物館とかで丁寧に飾られるわ!」


「斬新なイジメじゃん!」


 そんな冗談を言いながら、僕のツッコミに更に爆笑する二人。


 ま、まぁ?二人が笑ってくれるなら、僕はそれで満足さっ。と目の端に雫を浮かべながらに心の中では強がる僕だった。






「そんでな!いっちゃん上まで行ったんやけどな!周りの木のが高くてな!なんかいまいち達成感無かった!」


 ジェニ隊長はそう言いながら、丁度いい長さと形の木の棒をブンブンと振り回して先頭を歩く。


「へぇー」


 僕達は森を突っ切る直線ルートを通っている。理由は単純計算で直線ルート約十キロメートルに対して外周ルートは十六キロメートル弱と一・五倍以上の差があるというのと、今回は森のスペシャリストである怪物が最初からいるというものだ。


「あっ、人面ナメクジや!」


 それに一歩引いた目線から的確な指示と案を出してくれるエストさんの存在も大きい……のだが……


「うひゃひゃひゃひゃ!なぁ皆見てこれ!」


 ジェニが大爆笑しながら棒の先端に乗せた人面ナメクジを皆の真ん中に持ってきた。何がそんなに面白いんだか、と思いながらそいつを見る。


「エストや!!」


 ジェニが指さしながら笑うそいつは、以前第三層に来た時に見つけた黒髪ホストのような人面ナメクジだった。


 そして言われてみれば確かにエストさんにそっくりだった。


「ぷっ」


 まず最初に怪物が堪えられなくなり、続いてエルエルと同時に僕もふき出した。


「あはははははははっはははははははははは!!」


 髪型から目つきから鼻筋に至るまで、見れば見るほど本人にしか見えなくなってくる。


「きゃははははは!……なめっ、ナメクジエスト……」


 もうジェニも笑い過ぎてさっきから棒が小刻みに揺れまくってて、その度にナメクジエストの黒髪がふさふさと揺れるものだから余計に可笑しくなる。


 散々笑われて怒ってもおかしく無いエストさんも、ジェニから棒をひょいっととると顔の近くに並べて、「エルエルさん撮ってください」と自分から顔を似せにいくのだから最早卑怯だ。


 そのせいで僕達は腹がよじれるまで笑う羽目になったのだった。






「ふぅーふぅー……はいあ~ん!」


 ジェニが口元まで持ってきた湯気の立つストロベリスの肉を、イチゴのように頬を染めながらにパクッと頬張る。


 パチパチと音を立てる焚火からは煙が立ち上り、僕達はそれを囲むように倒れた木を椅子にしている。


「おいしい?おいしい?」


 ウキウキと目を輝かせながら見つめてくるジェニ。


「お、おいひぃよ……ふごく」


 熱々の肉にはイチゴの香りと甘さがあり、肉汁と共に口内にバッと広がる。


 僕が頷くと「やったやった」と嬉しそうに飛び跳ねる。「またか……」と呟く怪物たちの視線が超恥ずかしいんだけど……そんなことジェニはお構いなしだ。


 ジェニが自分で獲ったストロベリスを、自分で焼いて、更にあーんまでしてくれるなんて滅茶苦茶嬉しいんだ。喜ぶ姿も凄く可愛いんだ。


 今すぐ抱きしめてキスしたいくらいなんだ。だけど小心者の僕は恥ずかしさから素直になれないんだ。


「ねぇ王子……もしかして……ジェニちゃんと何かあった……?」


 食べる手の止まっていたエルエルは、恐る恐るといった感じに聞いてきた。エストさんと怪物は敢えて何も言わないようにしているように見える。


 ぼふっ


 その瞬間昨日のキスを思い出してしまった。


 ジェニを見ると、ジェニもシュゥゥと聞こえてきそうなほど顔を赤くしている。


「う、うん……」


 目を泳がせながらやや下向きに肯定する。恥ずかしいけど、恥ずかしいけど、恥ずかしいけど!


「昨日ジェニと交際を始めたんだ!」


 僕は堂々と胸を張って答えた。そうだ、誰にはばかる事でもないんだ!否定も謙遜もしない!だってジェニはずっと想い続けてきた最高の彼女だから!


 怪物とエストさんが「おめでとう」と祝福してくれる。超誇らしいことなんだ!顔が赤くなっているのはご愛嬌だ。


「そう……なんだ…………あ、私ちょっとお花を摘みに……バラの木を伐採しに行ってくるわね……」


 エルエルは少し震えながらそう言った。かなり近いみたいだ。食事中だからと我慢していたのだろうか?何にせよ我慢は体によくない。


「あ、うん。速く帰ってきてね。魔物クリーチャーもいるし、ご飯も冷めちゃうから」


「ええ。あでも、結構時間かかるかも……その……百本くらい伐採してくるから」


「業者?」


 そそくさと消えていくエルエルに「気を付けてね」と声をかけた。






**********






 草木をかき分けて進むエルエル。アニマたちの声が聞こえなくなるまで進んだ頃には我慢は限界へと達し、その青い瞳からぽろぽろと涙を零していた。


「うぐっ……ああああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁああああああああああ……」


 震える声で一度泣き出してしまえば、もう抑えられなかった。


「王子……王子ぃぃ……」


 どうしようもなく地面にへたり込み、空を仰ぐように大口を開けて泣く。空を遮るように生い茂った葉が、更にエルエルを惨めな気持ちにさせた。


 やがてアニマたちが帰りの遅いエルエルを心配しだした頃、エルエルはひっそりと戻って来た。


「もう、遅いよエルエル。ちょっと待っててね温めるから」


 そう言いながらアニマはわざわざ皿に取り分けていたエルエルの分の肉の入ってない料理をまた火にかけようとした。


 その小さな優しさ一つに胸を締め付けられながらも、エルエルは精一杯の笑顔を浮かべて断りつつ受け取った。


 するとジェニがアニマにちょっかいをかけ、二人は仲睦まじく談笑を始めた。その姿に膝に皿を乗せたエルエルは第五層で出会った時の事を思い出していた。


 「!」耳打ちされたその一言。


 そう、泣いてばかりもいられない。ここで負けるわけにはいかないんだ。何千年も夢見てきた王子の隣を、私は絶対に諦めない!!






【余談】

深い森というものは様々な危険と困難を孕んでいる。

張り巡らされた木の根は天然のトラップと化し、草葉が悪戯に隠したてる。飛び出した小枝で肌を切り裂かれ、頭上への注意を怠ればたん瘤や失明の原因となるだろう。

更に、毛虫、百足、蜘蛛、蛇、蜂、蟻、ダニ等の小さくとも毒を持った生き物が至る所に潜み、獰猛な肉食獣が我が物顔で闊歩する様は人外魔境というに相応しい。

豊富な知識、入念な準備、上質な装備、それらを欠けば人の命など一日と持たないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る