第139話 海は知っている


「何にせよ我々が今考えるべきは、どうやって第三層へ渡るのか?ということでしょうかね」


 思考の坩堝へ陥っていた面々のグルグルになった頭を、エストさんが問題提起することによって仕切り直した。


「エルエルの翼で飛んでこに!」


 白浜をサクサクと駆けながら、手を広げてひらひらさせるジェニ。


「そうね!私が皆を乗せて行ってあげるわ!」


 エルエルも私に任せてよねっと自信満々に胸を張っている。


「四人乗りか、凄いな……」


「何馬力あるんだろうね」


 怪物と僕が話し合っていると、


「皆さん真面目に考えてますか?」


 エストさんが珍しくジト目になってそう言った。しかし、僕達がただふざけていると思われるのも癪だ。


「名案ってのは時に悪ふざけの中から生まれるものですよ」


 僕は指を立てて、さも当然の事を言うかのように言った。


「貴方は優秀ですが、どうも教師には嫌われる性質たちのようだ」


 「はぁ」とため息をついて言うエストさん。


「え、そうなの!?」


 ババッと怪物とジェニの方を見ると、二人はふるふると首を振ったので、僕はもう一度エストさんに向き直るとゆっくりと首を傾げた。


 エストさんはクスッと笑うと、「そういう所です」と僕のおでこを指先でつんとした。


「冗談はさておいて……そういえば島の外周に幾つかボートがあったよね?ほらっ学者が置いて行ったんじゃないかって言ってた奴」


「そういやあったなぁ」


 ジェニは「あっちの方やっけ?」と指をさす。


「あれ使わせて貰うってのはどう?」


「確かにこの海は潮流も穏やかですからね。四キロ程度問題は無いでしょうけど……」


「使い捨てることになってしまうな」


 エストさんの言葉の続きを怪物が言う。


「……それは、かわいそうよね」


「それはそうだけど、現に他に手段が無いんだ。先へ進むには背に腹は代えられないよ」


 学者たちが調査の為にせっかく作った小舟だ。何度も来れる場所じゃないにしても、勝手に使ってしまってはかわいそうだ。


「アニマ君の言う通りでしょうね。それに元々ここに放置されていた、言わば公共の物です。一つくらい紛失したところで文句は言われないでしょう」


 汚れ役を買って出てくれたエストさんには後でお礼を言っておくとしよう。






 砂浜の上には数隻の小型のボートがあった。木製で、頻繁に使われるものではない為に緑の苔が生えている。


 座席は三列。簡単な木の板だけだ。真ん中の席の両隣りにオールを通す穴がある。それにしても……


「これ五人乗れる?」


 横幅は凄く狭い。本来は一列に一人なのだろう。一番力のある怪物に漕ぐのをお願いするとして、後は大人と子供でペアになって乗ってぎりぎりか。


「足をたためばなんとか……我慢するしかないね」


 皆で力を合わせて海に浮かべると、順番に乗り込んだ。僕の隣にはエストさん。真ん中の怪物を挟んで、ジェニの隣にはエルエルが乗っている。


「行くぞ」


 怪物が漕ぎ出すとボートが揺れ、少しずつ進みだした。


「凄い!僕船に乗ったの初めてだ!」


 感じたことも無い感覚。水の上に浮かぶと言うのがこうも不思議で楽しいとは。光を反射する波の一つ、頬に跳んだ水しぶきを乾かしていく潮風の一つにすら感動を覚える。


 ジェニはボートから身を乗り出して、小舟が作る波を触っては「わきゃきゃ」と無邪気に笑っている。


「凄いよ怪物!めっちゃ速いよ!」


 後ろを振り返ると、島からはもうかなりの距離が出来ていた。


 怪物は褒められたと嬉しくなったのか、「準備運動は終わりだ!」と更に速度を上げた。


「あはは!行けーーー!」


 無邪気な笑い声と共に小舟は大海原を進む。






「そういやこの辺やんな?」


 濡れた顔で唐突にジェニがそんなことを言い出した。さっきまで海に顔を突っ込んで「あばばばばば」と言うだけの謎の遊びをしていたと思いきやこれだ。


「学者から聞いた話によると、メガロドンはあの島と第三層への階段を挟んだ海域を縄張りとしているらしいですね」


「……ジェニはフラグを立てないと気が済まないの?いや単に感が冴えてるのか……?」


 最早何なのか分からなくなってきた。


「なぁメガロドンってどやってジェニ達見つけとんのやろな?」


「海中トンネルを歩く音を聞き分けたり、海ではない匂いを嗅ぎ分けているのではないでしょうか?」


「でも水の中から本当にそんなの分かるの?獣人とはいってもそこまで獣臭くは無いと思うんだけど」


 自分の匂いを嗅ぎながら隣のエストさんに尋ねる。エストさんも「さぁ。俺も学者ではないので何とも……」と肩を上げた後、


「心配せずともアニマ君はいい匂いですよ」


 と微笑んだ。その非の打ち所がない笑顔に何故か少しゾワッと寒気がした。


「じぇ、ジェニも臭無いよな?」


「私は大丈夫よね……?」


 と怪物の向こう側で女子達も匂いを気にしている。二人とも最高にいい匂いだよ!って言ったら怒られるかな……?変態っぽいし止めとこ……


「サメは音に敏感です。船の下には案外いるらしいですね。そして匂いで獲物を嗅ぎつけて襲ってくるそうです。特に血の匂いを。まぁ誰も怪我などしてないので関係ありませんが」


 エストさんは怪談話をするようなトーンで語る。


「そんな悠長な事言ってる場合じゃ……いや、待てよ!?」


 血の匂い……海ではない匂いを嗅ぎ分ける……それって僕たち以外の物にも適応されるんじゃ……


 ザバァーーーンンン!!


 絵本の中のシャチやクジラやイルカは海から飛びあがる姿が描かれていた。


 拝啓お父さんお母さん。海の魚は皆空も泳げるみたいです……


 眼前にメガロドンの大口が、水しぶきと涎をまき散らしながら、大迫力に迫っていた。


「サメだけは飛ぶなよぉぉおおおおお!!!」


「「ああああああああああああああああああああああああああ!!!」」


 ジェニとエルエルは互いに抱き合って叫ぶしかないようだ。


「怪物さん!!」


 エストさんは怪物を急かす。


 バッッッシャァァァンンン!!


 間一髪、ほんの数十センチメートルという距離に十メートルを超える禍々しい巨体が墜落し、物凄い水柱を立てる。膨れ上がった波にボートは思い切り揺られ、膝を何度もぶつける。


 何とかして振り切らなきゃ、こんな小舟丸ごと食べられる!


「怪物もっと速く!!」


「やってる!!」


 既に怪物は全身を使って全力で漕いでいる。これ以上の漕ぎ手の追加は怪物の邪魔にしかならない。皆もそれが分かっているから怪物を急かすしかない。


 泡で海面が白くなっている所から黒い背びれが生えてきた。それは徐々にこちらへ近づいてくる。


「なんでこんに執拗に襲ってくんの!?」


「知らん!!俺の時は影すら見なかった!!」


「王子~、もう終わりよぉ~、私達海の藻屑になるんだわぁ~」


 エルエルは恐怖に負けて半ベソかいている。


「エルエルは飛べるやん!?」


「長距離は無理よぉ~」


 しかし、やはり怪物は影すら見なかったんだ……!


「諦めるのはまだ早いかもよ……!」


「ふぇ?」


 僕の予想が正しければ……


「ジェニ!!ミミーアキャットの肉を思いっ切り遠くへ投げるんだ!!」


 食糧の入っている怪物のリュックを開けられるのはジェニとエルエル。だがエルエルはもはや戦力外だ。


「ぜえったい嫌や!!ジェニのランチなんやから!!」


 ジェニが残りのミミーアキャットの肉を心底楽しみにしているのは知っている。昨日、大本命は後にとっておくと言っていたからだ。


「言い争ってる暇はないぞ!!」


 後ろ向きに漕ぐ怪物には追ってくる黒い背びれがずっと見えている。焦る声に振り向くと、もうほとんど目の前まで来ていた。


「ジェニ!!このままじゃ僕達があいつのランチになっちゃうよ!!」


 最早なりふり構ってはいられない。叫び声には魂が籠る!


 ジェニは迫りくるメガロドンとミミーアキャットの肉が詰まった袋とを交互に見て「ん~!ん~!!」と呻った末、


「んがぁぁああああ!!」


 と獣の咆哮と共に全力で明後日の方向へ放り投げた。


 ぽちゃん……


 …………


 ……






「あいつの好物はミミーアキャットの肉だったんだ」


 第三層へと続く階段を登りながら、僕はそう答えていた。


「成程……」


「なんでわかったん?」


「ヒントは怪物がミミーアキャットの肉を食べたことが無いって言ってたこと。まぁ半分は賭けだったけどね」


「ほへぇー」


 この顔は多分理解してないな……まぁかわいいからいいけど。


「しかし海の生物がどうして味と匂いを知っていたのでしょうか?逆に人の肉は美味しくないんですかねぇ」


 エストさんの疑問に、


「あまり考えたくはないね……」


 何とか逃げ切れた安堵と次なる階層への期待を胸に、一歩一歩登っていく。


 MVPである怪物を皆で仲良く労りながら。


 ここは第二層、清き大海……


 海は全ての記憶を風に歌う……明日に届くことを願って……






【余談】

鼻が利くことで有名なサメだが、実は耳の方がいいらしい。

実際遠くの獲物を捉えるのは、鼻より耳が先とか。

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