第115話 情けは人の為ならず③


 アニキがその子を言いくるめようとしていた時、後ろから誰かが叫んだ。どこかで何回も聞いたことがあるような声に振り向こうとした俺様だったが、その瞬間その子から目が離せなくなった。


 目にも止まらぬ早業で自分より圧倒的に大きな相手をいとも容易くボコしていく。その女の子の類まれな容姿と踊るような華麗な動きに、気づいた頃には魅了されていた。


 まぁその後俺様のこともチンピラだと勘違いしたその子に気絶させられちまったんだが……


 目が覚めてからも、その少女のことが頭から離れなくなっていた。幻想的な容姿。それに、エストの野郎とは気色が違う、どこか憧れのブジン・シャルマンの面影があるような神がかり的な戦闘技術。


 何故かはわからねぇがその時俺様は人生で初めて一目惚れってもんをしちまったんだ。


 そっから痛む顎をさすりながらブジン・シャルマンのスピーチに並んでたら、偶然尾無しくんとばったり会った。


 そん時は関係者用の通路を通って順番抜かししようとしている尾無しくんに注意してやったんだが、後から知ったが尾無しくんは立派な関係者だった。


 そしてこれまた偶然、尾無しくんの後ろから昨日の女の子が現れたんだよな。


 俺様は酷く動揺して、多分しっちゃかめっちゃかなこと言ってたんだと思う。


 スピーチが始まるとそれに惹きつけられた。つい先ほどまで精神状態ぐちゃぐちゃだったのに我ながら単純なもんだ。生で見る憧れのブジン・シャルマンはやっぱかっこいい男だった。多忙で滅多に来ない上に違うクラスの担当だったから会う事はほとんどなかったしな。


 そこに尾無しくんとジェニちゃんが登壇した。尾無しくんはブジン・シャルマンと面識があったようだし、ジェニちゃんに至っては実の娘だった。


 その強さと美しさの秘訣に納得すると同時に、大きく膨らんだお腹に目がいった。


 マジでびっくりしたぜ。どんくらいびっくりしたかって言うと、その後勢いのままに尾無しくんにキレちまったくらいだ。


 みっともねぇ。話を聞いたら全部俺様の勘違いだった。めちゃくちゃ恥ずかしくて逆に爆笑しちまったぜ……


 テンパりながらその場を後にしたんだが、ジェニちゃんが俺様に軽蔑の視線を向けた瞬間が何度かあった。


 それは俺様が気持ち悪い事を言った時じゃねぇ。尾無しくんを尾無しくんと呼んだ時だった。


 俺様は考えた。もしかしたら、俺様はあだ名だと思ってる尾無しくんって呼び方が、本人は嫌なんじゃないのか?ってな。


 仲良くなりたかった相手にこれまで酷いことを言っていたのかもしれない。だとしたら俺様は残念な勘違い男だ。


 だから俺様は次の日から恋のライバルって呼ぶことにした。考えてみればこっちの方が断然親しみがある気がした。


 その恋のライバルはどこかで喧嘩でもしたのか、沢山痣作って陰気くせぇ顔してやがった。


 いつか、仲良くなる為にはお互いに共通して好きなものの話をするといいと聞いたことがある。だから俺様はジョーク混じりにジェニちゃんの事を話した。


 するとあいつもちっとは元気が出たみたいだった。


 次の日、恋のライバルが仕事中に変な踊りを踊ってやがった。からかってやると、足さばきの練習だ、冒険者になるんだって言ってその後もずーっと練習してやがった。


 きっとジェニちゃんやブジン・シャルマンを見て憧れたんだろう。だが、俺様の目から見ても恋のライバルには全くと言っていいほどセンスが無かった。


 俺様がそれを強く言っても聞かねぇだろうから、毎日様子を見ながらやめとけって諭すことにした。こういうのは自分で気が付いて自然と諦めがつくまで、あまり強く否定しないほうがいいんだ。


 だが驚いたことに、一週間二週間三週間と経つにつれて一端に出来るようになっていった。相変わらずセンスは感じなかったが、それを補って余りある練習量であっという間に見違えていった。


 感覚でなんとなくやっちまってる俺様と違って、理論立てて一つ一つ丁寧に再現してる感じだった。


 この時にはもう、俺様のこいつを見る目は変わっていた。


 不憫で可哀そうな奴から、ひたむきな芯のある奴へ。


 気にかける対象から、尊敬すべき対象へ。


 そんなある時だ。事件が起こったのは。仕事中に崩れた資材の下敷きなっちまって運悪く右手が潰されちまった。


 冒険者志望として修行中に怪我することも度々あったが、それでも眩暈がするほどの激痛で、辛うじて気を保つので精一杯だった。


 自分の手がぐちゃぐちゃになっちまってる。ついさっきまで当たり前に動いていた手が、見るも無残に血まみれに。


 その痛みとショックで吐きそうだった。


 更に追い打ちをかけるように現場には綺麗な布が無かった。もし菌が入り込んだら病気になるかもしれない。傷口が膿んだら切り落とすことになるかもしれない。


 激痛の中そんな不安でいっぱいだった。


 そこに「僕のハンカチを使ってくれ!新品だから一番綺麗なはずだ!」ってあいつの声が響いた。


 手に巻かれたそのハンカチは、さっきあいつが引く程大事そうにしてたジェニちゃんから貰ったハンカチだった。


 だから俺様は聞いたんだ。俺様のことを嫌ってたはずなのになんでだって。


 するとあいつは「別に嫌いなままだ」って言いやがった。


 でもその後に、「でもあの時前を向けたのは、ジャンのお陰だから……」って言ったんだ。


 俺様のおせっかいは無駄じゃなかったんだ。こいつの心にはしっかりと届いてたんだ。俺様の知らないうちに助けになってたんだ。


 そう思ったらなんか、堪えるのも馬鹿らしくなる程柄にもなく泣けてきちまってよ。


 あいつはそんな俺様に「治ったらハンカチ返してよね」ってぶっきらぼうに言って去っていったんだ。俺様でも照れ隠しだって分かる不器用さだったぜ。






「あいつは……アニマはすげぇ良い奴なんだ。尊敬してる……」


 ジャンは自分の部屋のソファーの背の上に両腕を預けて、ぼろっちい天井を眺めながらそう話を締めくくった。


「へぇ。アニマ君にはお礼しなくちゃ……」


 ジャンの話をBGMにして台所からトントントンと小気味のいいリズムを奏でていたアンは、ポニーテールにくくった髪をサラッと後ろに流すと、完成したスープの入った鍋を持ってソファーの前の机に置いた。


 ジャンの横に腰かけたアンはスープをスプーンに掬って「はい」と当然のようにジャンの口に運ぶ。


「左手でも頑張れば食えるんだぜ?」


 医者に包帯やらなんやらでグルグルに固められた右手を、心臓より高い位置をキープするように顔の横らへんに上げながら、ジャンは左手を不器用に動かす。


「まぁまぁ、零したら熱いから」


 ニッコニコのアンに呆れたジャンは抵抗しても無駄だと悟り、ままごとのつもりかよという気持ちと共にそれを飲み込んだ。


「……うめぇな」


「でしょ!?」


 アンは嬉しそうに食材や調理法について語っていく。


 だがジャンはどこか感謝しきれずにいた。右手の痛みに気を取られているのもあるが、何度考えても納得できない。


「で、何でいんだよ?」


「何でって、右手使えないと大変でしょ?」


 「うちの優しさに感謝しな!」と言うアン。ジャンの怪我を心配して駆けつけてくれた幼馴染。成程確かにありがたい。でも、


「なんで俺様より先に家に居て、怪我したことも知ってて、料理作ってて、泊まりの用意までしてあんだよ!!」


 疑問に耐えられなくなったジャンは、大きな荷物を指さしながらそう叫んでいた。何泊居座るつもりだろうかと。


「たまたま聞いて、助けがいると思って急いで来たの。途中で追い越しちゃったみたいね」


 しれっと当然のことのように言うものだから、ジャンも「お、おぅ」と納得してしまう。


 そしてまたジャンの口へスプーンを運んでいくアン。その口元には小さな笑みが浮かべられていたことにジャンは気が付いていない。


 そう、嘘である。


 たまたま聞いていることなど有り得ないのだ。アンはいつものようにジャンの職場を覗いていたから知っているのだ。


 何故そんなことをしていたのか?始まりは遠い昔の事。


 子供の頃からジャンとは馬が合ったアンは、次第にジャンのことを異性として意識するようになっていった。


 元来のキツイ性格も相まって、自分と対等に接してくれるジャンはかけがえのない存在だった。だがその頃にはジャンは口を開けば冒険者冒険者とまるで興味がない様子だった。


 そしてジャンの入学から程無くして遊べなくなり、アンの中には寂しい気持ちが募っていった。


 一年程経ってから再び遊ぶようになると、アンの恋心は再燃した。一年のお預けがあった分より激しく、それは会うたびに更に激しく燃え盛り、限度など軽々しく超えた。


 ジャンのことをもっと知りたい。もっと一緒に居たい。自分だけのものにしたい。


 その思いからアンはジャンの生活を遠巻きに監視するようになり、職場もちょくちょく覗いていたのだ。


 かくして立派なストーカーへと変貌を遂げたアンは、騒ぎからジャンの怪我を知ると、千載一遇のチャンスだと神に感謝を捧げてからジャンの家へ急行したのだった。






【余談】

恋する乙女はとても論理的とは思えない言動をとる。

近くで見るとおかしく、遠くで見ると可笑しいものだ。

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