第116話 情けは人の為ならず④


「おい、俺様は別に世話してくれなんて一言も頼んでねぇぞ!?」


「うっさいわねぇ、怪我人は黙って早く治すことだけ考えてればいいの!これはうちが勝手にやってるだけだから!」


 ジャンはアンとは皮肉なんかを言い合う仲で、こういう時どうしても素直に言葉が出てこない。


 ありがとうと気軽に本心を晒せる性格だったなら、ここまで彼女いない歴を更新し続けることも無かったのだ。


「そっそういや一目惚れしたって言ったよな!?そのジェニちゃんが、これがもうほんとに可愛くてよー!」


 だからジャンは雰囲気を変えようと咄嗟に話題をチェンジした。


「歳は下なんだけどよ?発育は良くて、結構胸もあんだぜ!万年ぺちゃぱいのアンとは大違いだな!がはははは!」


 絶望的に話題選びのセンスがないのはご愛嬌だ。普段行動を共にしている取り巻きの二人も、アンも、勿論それは承知の上。


「うっさい!うちにだって胸くらいあるわっ!」


 デリカシーのない発言にむきになってアンが言い返したことに、ジャンは安心して更におちょくる。


「え?どこにあんだよ!知ってっか?胸ってのは膨らんでんだぜ?」


「~~~!!ジャンだって胸ないじゃん!!」


「は?俺様は男だぜ!?お前ホントバカだな、そんな見分けもつかねーの?まぁお前も男か女か分かんねーけどな!」


 しかし今日ばかりは、愛嬌や冗談として流されることは無かった。


 カシャン!


 その時、アンが洗っていた皿が手から落ちて大きな音と共に砕け散った。


「うわっ!おい何やってんだったくよぉ!」


 大きな音に驚き、ソファーから飛びあがると、左手で頭をかきながらアンの方へ目を向ける。


「ごにょごにょ……」


「あーあー。俺様ん家皿あんまねぇんだぞ?怪我ぁ無かったかぁ?」


「ごにょごにょ……」


 台所に歩いていく間、アンはずっと俯き、小声で何かを言っている。


「は?何言ってんのか聞こえねーよ……」


 ジャンが手を伸ばすと同時に、俯いていたアンがキレた。


「じゃあ愛しのジェニちゃんに世話してもらえばいいじゃん!!」


 キッとジャンを睨む瞳の端には薄っすらと涙が浮かんでいる。


「は?何言って、」


「ジェニちゃんは女の子らしくて可愛くて胸も大きいんでしょ!?うちなんてどーせガサツで意地っ張りで可愛くないし女気ないし、貧乳だし!!」


「何もそこまで、」


「言ってんじゃん!!急に家来られてさぁ、迷惑なら迷惑って、そう言ったらいいじゃん!!」


「むかっ、聞けよ!!」


「何よ!!うちの気持ちなんて何も知らないくせに!!」


「だーかーらー!!そんなこと一言も言ってねぇだろ!?」


「うるさいうるさいうるさい!!もうほっといて!!」


 アンは一方的にまくしたてると、邪魔なジャンを押しのけ「二度と来るかボケ!!」、玄関のドアを力任せにガンッと開け放ち「アホ!!」、締まり行く扉から最後に「……バカジャン!!」と言い放って出ていった。


 独り部屋の中に取り残されたジャンは、一方的に話も聞かずに文句を投げつけられたことに苛立ちを覚えていた。


「なんなんだよ、あいつ……」


 いつものようにじゃれ合うように口喧嘩するだけのつもりだったのに、予想外に発展してしまって気持ちがざわついている。


 そんなジャンに追い打ちをかけるかのように、窓の外の遠くの方から「アホ」「バカ」「最低」「大っ嫌い!」などの罵倒が聞こえてくる。


「うっせぇバーカ!!俺様も大っ嫌いだバーカ!!とっととどっか行けバーカ!!」


 流石に言い過ぎたかなと芽生えてきた罪悪感に除草剤をまかれたので、ジャンは苛立ちのまま売り言葉に買い言葉で叫んでいた。


 そんな罵倒も聞こえなくなって暫くすると、


「はぁぁぁぁぁ…………」


 深いため息と共にソファーに沈み込んだ。


「なんなんだよ……いつもみてぇにちょっとからかっただけじゃねぇかよ……」


 カチッカチッカチッカチッ……


 普段は大して気にもならない時計の音がやけに耳障りに感じる。


 カチッカチッカチッカチッ……


 カチッカチッカチッカチッ……


 カチッカチッカチッカチッ……


「だぁああ!!」


 カッとなったジャンは部屋の隅に置かれた古い置時計に右腕を振り上げ、インパクトの瞬前でピタッと止めた。そして包帯に少し血の滲んだ右手を見る。


 そしてアンが来てくれなかったらどうなっていたのだろうかと思いを馳せた。


 料理もまともにできなくて、慣れない手で食べようとして、零して火傷する。そんな自分に苛立って物に当たってまた後悔する。そんな姿が容易に想像できてしまった。


 いくら憎まれ口を叩かれようが、真っ先に駆けつけてくれたのだ。こんな自分を心配して、世話まで焼いてくれたのだ。


 調子に乗りやすいバカな自分の隣にずっといてくれたのだ。


 失って初めて気が付いたのだ。ただ隣にいてくれるだけで幸せだったのだと。


「あぁくそっ!!」


 誰に向けた言葉なのか、それは誰もいなくなった部屋に吐き捨てられたのだった。






「アン!!」


 はぁはぁと息を切らしたジャンの声が、アンの背中に投げつけられた。だがアンは聞こえていたかどうかはともかく、足を止めずにそのまま歩いていく。


「っっっ!アン!!」


 ならばとジャンは更に声を張り上げるが、アンはより早足になってしまう。


「おい待てって!!……おい!!」


 しびれを切らしたジャンは左手でアンの腕をつかんだ。だがアンは決して振り向かず止まろうともせずに踏ん張る足に更に力を込める。


「聞けよ!!なぁ……アン!!」


「いやっ!!離して!!」


 頑なに話を聞かない態度に対して語気を荒げるジャンに捕まれた腕を振り払おうとアンはもがく。ブンブン振り回し、引っ張り、抵抗する。それでもジャンは掴んだ腕を離さない。


「……なぁ、」


「はーなーしーて!!ジャンなんかもう知らないんだからー!!」


 アンが感情任せに振り払ったことで、ジャンはその手を離してしまう。ジャンが手を離したことを確認した瞬間走り出そうとしたアンの腕を間髪入れずにもう一度左手で捕まえる。


「俺様が悪かったって!!」


「っっっいやっ!!」


 勢いの謝罪などが聞きたい訳じゃない。アンは強く振りほどくと、今度こそは本当に走り出した。


 どさっ


 ジャンは往生際悪くアンを後ろからがっしりと抱きしめた。


「イッ……!」


 右手から強烈な痛覚が脳に伝わってくる。


「っ離して!!」


「テェェェェエエエエエエエ!!!」


 嫌々と暴れるアンはそこでジャンが右手も使っていることに気が付いた。


「はっ離してジャン!!」


 心配の方が大きくなったアンは直ぐにジャンに離してくれと言う。だがジャンはまだ逃げるつもりかと腕に込めた力を解こうとはしない。


「ねぇジャン!!いいから離して!!ねぇ!!……もう逃げないから!!」


「ぜってぇ離さねぇよ!!」


 顔をしかめて脂汗をかきながら、それでも頑なに腕を解かない。


「何で!?ねぇ痛いんでしょ!?……ねぇ……ねぇってば!」


「……いてぇ」


「ほらっ!だったら!」


「でも、お前を失う方がもっといてぇ……!!」


「っっっ!」


「気づいたんだよ……………………時計の針って、うるさかったんだぜ?」


「ねぇ……何で、時計……?」


 パニックになった感情。そして期待していた言葉からの唐突な裏切りにアンは泣き出してしまった。


「いや、ちげぇんだ!これはその………………だぁ!うまいこと言えねぇ!!」


 左手で頭をかきむしる。


「……好きだ!そのっなんだ、えっと……好きです!あの……照れ臭せぇな……」


 しどろもどろになりながら、「ぁあ……!」かく左手を投げやりに放り捨て、


「好きだったんだ!!!ずっと前から!!!」


 恥ずかしさを紛らわすよう酷く不格好に叫ぶだけだったが、それがジャンの本音だった。


「ふ…………ふえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん」


 たがの外れた感情に理性を押しのけられたアンは、腰が抜けて地面にへたり込んでより一層泣きじゃくる。


 さっきから大きな声で言い合いを続けていたので、「なんだなんだ?」と周囲に人が集まって来た。


「何事だぁ?」


「女の子泣いてるぞ?」


「これヤバいんじゃねーか?」


「誰か衛兵呼んできた方が……」


 騒めきが段々と大きくなっていく。


「おらっ行くぞ」


 えんえんと泣きじゃくるアンに、やれやれと左手で頭をかいていたジャンは右腕を差し出した。


「ふぇ?」


「俺様の右腕になってくれんだろ?」


「っっっ!!……もう……しょうがないなぁ……」


 アンはハッとし、納得し、涙を拭って、鼻水を啜ると、最後にクスッと笑ってジャンの右腕を取って立ち上がった。


 そして勢いのまま……


 ちゅっ


「何が悪かったよ……ちゃんと一から十まで謝ってもらうから……」


 赤面したまま上機嫌にこう呟いた。


「……バカジャン」






【余談】

「なんだ痴話喧嘩かよー!」

というやじの中家に向かって手を繋いで歩くアンとジャンの顔は、どうしようもなく真っ赤にゆで上がっていたという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る