第106話 母の日記①


 おもむろに日記を読んでみることにした。何冊にも及ぶ日記。特に最初の一冊は年季の入った表紙だ。日焼けして、所々小さな傷がある。それでもとても大事にされてきた物なんだという事は容易に分かった。




『今日私たちの元にとうとう新しい命が産まれました。どれだけこの日を待ち望んだ事か。忘れないように日記をつけるようにしました。』




 最初のページに書いてあったのはそれだけ。短くて硬い文章。初めて書いた日記に勝手がわからなくて、それでも頑張って書いたのだろう。




『今日は名付け大会です。その小さな体に宿との願いを込めて、名前はアニマ。アニマ・シナスタジア。私たちのアニマ。あの人ったら10ヶ月も悩んでいたのにこの子の玉のような寝顔を見たら急に思いついたらしいです。「魂で生きろ」が口癖だったから、あの人らしくて笑いました。』




 知らなかった……僕の名前はそういう意味だったんだ……



 

『アニマがあまり夜泣きしません。尻尾がまだ生えてきてないことに関係あるのかしら?お医者様に見ていただいたけど、特に異常は無いと、むしろ賢い子だと言われました。心配だけどちょっぴり嬉しい。』


『今日もアニマがお父さんの部屋に入っていたずらしてました。どうやら冒険道具で遊ぶのにはまっているようです。危険だからお父さんのように冒険家にはならないでほしいけど。』


『今日は家族三人でピクニックに行きました。アニマは行きも帰りもずっとお父さんに肩車してもらってそれは楽しそうでした。アニマはお父さんっ子みたいです。ちょっぴり悲しい。』




 そうだ、覚えてる。昔はよく家族で出かけて色んな所に行ったんだ。


 更にページをめくると、僕でも忘れていたような些細なことまで書いてあった。それを読んでいく内に懐かしいやら可笑しいやら、変な気持ちになってくる。これを感傷に浸るというのだろうか?




『今日はサデイラたちが泊まりに来てホームパーティーをしました。皆ちっとも変わって無くて、昔みたいにバカな話ばっかりで楽しかった。アニマは皆からも人気者です。だって世界一可愛いもの!でもこんなに可愛いと将来が心配です。サデイラにチューされて照れてたけど、女たらしにならないといいな。』


『皆でバーベキューをしました。お父さんが奮発して買ってきた鹿肉は大好評でした。お開きの前にサデイラにアニマの尻尾がまだ生えてきてないのは変と言われました。確かにアニマももう三歳になったのにおかしいです。どんなに成長が遅い子でももうとっくに生えているのに。』




 サデイラさんか、懐かしいなぁ。きつめの化粧が良く似合う明るい人だった。久しく会ってないなぁ。




『アニマも今日で四歳になりました。お父さんが「一年は365日あるんだぞ」って教えたら10秒もしないうちに「じゃあ1460日だね」って呟いたの!最初何のことか分からなかったけど、自分が産まれてからの日数だって気づいた時には二人そろって大声で驚いた!それにびっくりしてアニマが泣いちゃったのが可愛かった。とても賢い子。将来は学者さんになるのかしら?今から成長が楽しみ。プレゼントは本にしよう。』




 それだと閏年うるうどしが計算に入ってないから間違ってるけどね。




『アニマがもう一人で本を読めるようになった。何回か読み聞かせただけで全部覚えちゃった!凄いわ!天才よ!流石私たちの子供!大好き!大好き!大好き!超かわいい!』




 ……何だか顔が熱くなってきた。もう、こんなこと書いてたなんて、読んでるこっちが恥ずかしいよ……親バカなんじゃないの?


 まったく……もう……




『アニマと町へ買い物に行きました。アニマは吟遊詩人の歌物語に夢中になってたみたい。その歌の内容が気になったのか「悪魔って何?」って聞いてきたから、「。アニマも悪戯ばっかりしてると悪魔が来て食べちゃうんだから」と言ったら滅茶苦茶怖かったみたいでその日一日凄くいい子にしてた。今も私に抱き着いて眠ってるわ。これは夜中トイレにもついてかなきゃダメそうね。』




 一週間くらいはトイレに起こしたっけ。にしてもこれってあの悪魔と関係あるのかな?元ネタ?いや、悪魔って概念自体は超大昔からあるから一概に関係があるとは言い切れないか。




『アニマには尻尾は生えてこないらしい。ラーテル獣人として異常なくらい血が薄いから。お医者様もこんなケースは初めてだって言ってた。ごめんねアニマ。私がもっとちゃんとしていればこんなことにはならなかったのに。私がもっと、ちゃんと産んであげれていれば。』


『アニマは変わらずに笑いかけてくれる。それが嬉しくもあり、嫌でもある。無邪気な笑顔に見えても、アニマは凄く聡くて凄く優しい子。私の為に無理して笑っているように見える。いえきっと、アニマはそんな事考えてない。これは私の勝手な妄想。いくら賢くてもまだまだ四歳の子供なのよ。でもアニマなら――――――。』


『近所の人たちがアニマのことを気味悪がってる。何で?アニマはこんなにも可愛くて賢くて優しくて、こんなにも愛らしいのに。あの人たちは尻尾が無いだけで旧人類の生まれ変わりだとか、悪魔憑きだとか酷い言葉を浴びせてくる。私だって旧人類がどれだけ悪逆非道をしてきたかは知ってる。けどアニマは何の関係もないわ!私とお父さんの子供なのよ!そうであるはずがない!』


『アニマが石を投げられて頭を切った。どうしてアニマがこんな目に!この子が何をしたって言うのよ!どうしてこの子がこんな辛い目に――――――。』


『いつもはお父さんとお風呂に入るアニマと久しぶりにお風呂に入った。アニマの体には沢山の青あざが出来ていた。アニマは何も言わなかったけど、私の知らない所でも沢山酷いことをされていたみたい。もう許せない!アニマに酷いことをした人全員を同じ目にあわせてやる!絶対に許さない!』


『近頃の私はどうかしてたみたい。気が付けば包丁を手に持った私をお父さんが止めてくれていた。「因果応報だ。アニマを傷つける奴にはいつか必ず罰が当たる。同様に今激情に任せてその包丁を使えば、それはクローナに帰ってくる。そんな悲しいことは嫌だ!だから俺たちは誠実に、そして謙虚に、丁寧にお願いしよう。こっちが誠意を尽くせば皆もきっと分かってくれるさ。」それはとても辛くて難しい事。でも、私は改めてお父さんを好きになって良かったと思った。何よりアニマが一人で静かに耐えているのに、私がそれを壊すようなことをするところだった。私が復讐に取りつかれれば、アニマもきっと復讐者になってしまう。。』



 そんなこと、考えてたんだ……決して怒らず、穏やかに、何を言われても粛々と頭を下げて、丁寧に菓子折りを配る。


 あの時の僕は、どうして酷い人たちに、にこやかにへりくだるようにして頭を下げているのかが分からなかった。


 きっと内心は煮えたぎるような怒りに燃えていたんだろう。今にもやり返してやりたかったんだろう。理不尽を許すことなど出来なかっただろう。


 けれど実際に僕は石を投げられたり、露骨に酷いことをされることは無くなった。


 。たったそれだけの理由で全てを飲み込んで一切表に出すことなく、少なくない時をかけてそれを成し遂げてしまった。


 どれだけ辛かったかなんて分からない。分からないけど、日記からは母親の後悔と覚悟、そして……愛が……伝わって来た。


 深い愛が……伝わって来たんだ。






【余談】

アニマの父アレンと母クローナは若い頃から二人そろって人気者だった。

明るく笑い上戸でリーダーシップに溢れるアレンは数多くの女性にモテ、明るく人当たりが良くおっとりとしていて誰もが目を釘付けにされる程の美人であるクローナもまた男女問わずモテモテだった。

二人の結婚は大々的に祝福され、誰もが幸せな二人を羨んだ。

そんな二人の元に産まれたアニマも物凄い人気だったが、尻尾が無いという事実がアニマやアレン、クローナから人を遠ざけた。

ランジグにおいて尻尾が無いと言うのはそれ程の事なのだ。

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