第92話 天使と悪魔と獣人史


 辺りをくまなく見渡してみたけど、キメラモンキーの追っ手はやはり無いらしい。それどころか魔物クリーチャーの気配も全くない。


 僕たちは特になんのトラブルに巻き込まれることも無く第6層へと続く階段へと歩いていた。


「アニマこれを見てくれ!」


 怪物は珍しくテンションが高い。目に付いた珍しい遺物を色々と見せてくる。エルエルに体を治してもらったことが余程嬉しかったのだろう。


 いやこれが彼の素の状態なのかもしれない。寡黙な面は、彼の姿がそうさせていたのかもしれない。元々の彼は明るい性格だったのかもしれない。


「ははは!」


 きっとそうだ。だってこんなにも楽しそうに笑うんだ。根っこから暗い人なわけがない。


「アニマー!ジェニこんなんもできんで!」


 ジェニはというと、体が完治して全力を出せることが相当嬉しいのかさっきから建物を使って飛び回っている。


「ひゃっほーい!!」


 パルクールって言うんだっけ?壁を蹴り窓枠を掴み縦横無尽に飛び跳ねるその様はまるでおとぎ話の忍者のようだった。


 エルエルは凄い。あの短時間で怪我を治すばかりか二人の心まで同時に救ってしまった。僕には出来なかったことだ。


 それを善意だけでやってくれた。対価などどれだけでも要求できるだろうに。当然のことのように助けてくれた。


 感謝してもしきれない。時間が許せばもっともっと一緒に居たかった。もっと色んな話をしたかった。もっと彼女の事を知りたかった。


 次にここに来る時はのんびり過ごしてみたいものだ。


 そう言えばエルエルについては結局謎だらけだった。細部まで話を聞く時間も無かったけど、それにしても意味不明だったと思う。


 一度きちんと整理してみようか……






 時は数千年前とも数万年前とも言われている。まだダンジョン、正確にはクリーチャーズマンションが建設される前。地上には獣人たちの王国が栄えていた。


 獣人たちは世界中に住み、自然を好み、平和に仲良く暮らしていた。


 そこに突如旧人類たちは星を渡ってやって来た。旧人類たちは尻尾も生えてなく、犬歯もそれ程尖っていなかったそうだ。


 旧人類たちは自分たちこそがこの星の原住民族だと主張し、獣人に対して戦争を仕掛けた。


 当時の獣人たちは不当な殺戮に怒り、必死に戦ったものの、旧人類の使う魔法の力は凄まじく、やがて彼らは地上の全てを支配するに至った。


 世界が旧人類によって統一された頃、降伏した獣人たちは身体的特徴の差異から虐げられていた。


 人権は保障されず、召使として奴隷のような扱いを受けた。言葉は通じるのに家畜のように殺されても文句すら言えなかったそうだ。


 絶対的な武力で更に支配を強めていく旧人類たちに対して、知恵と力のある勇敢な者たちが立ち上がった。


 彼らは虐げられる同族を憐れみ、逆境の中少しずつ仲間を束ねて反旗を翻した。


 これがかの有名な四英雄だ。四英雄の名の元に獣人たちは一致団結し、多くの犠牲を払いながらも旧人類を追い詰めることに成功した。


 追い詰められた旧人類たちはクリーチャーズマンションを作り、その中に立てこもった。奴らの邪悪な魔法により、中には魔物クリーチャーと呼ばれる危険な生物たちが潜むようになった。


 旧人類たちは完全に立てこもり、出てくることは無かった。それは事実上の獣人たちの勝利だった。


 だが手放しで喜べる状況ではなかった。長きに渡る戦争で星は疲弊し、大地は枯れ、海は毒を孕んでいた。


 四英雄たちは知恵を出し合って自分たちでこの星を守っていこうと決めた。大地に木を植えていって、少しずつ少しずつ星を綺麗にしていった。


 そして旧人類たちが出てきても直ぐに戦えるようにクリーチャーズマンションの周りに町を作った。


 それが僕たちが住むランジグであり、


 これがランジグに生まれたなら誰もが幼い頃に耳にタコが出来るほど聞かされる獣人史だ。


 ここで大切なことはこうだ。


『我ら獣人こそがこの星の先住民族であり、旧人類は邪悪な侵略者である』


 厄介なことに僕は旧人類と見た目がそっくりらしい。尻尾もないし犬歯も尖ってない。幼い頃、石を投げつけられることも多かった。


 道行く人からぞんざいな扱いを受けることもあった。時には殺すと言われたこともあった。見えないもの全てが僕の敵だったんだ。


 でも小さい頃は友達がいた。間違いなく楽しかった。泥だらけになって遊びまわったのを覚えている。


 まぁそれも長続きはしなかった。僕がオーラのようなものが見えると言うと、皆に気味悪がられるようになったからだ。


 それ以降僕は一回も口にはしなかった。


 でも迫害を受けるようなことは無かった…………なぜだろう?思えば時が経つにつれてそういう扱いを受けることが少なくなっていったように思う。


 ……


 …………いや考えが逸れた。今考える事じゃなかった。今はエルエルの事だ。


 エルエルはクリーチャーズマンション生まれだと言った。つまり旧人類だ。そして天使になったとも言った。


 これが分からない。


 そもそもエルエルが言うには魔法と呼ばれるものは全て科学らしい。つまりエルエルは科学的に天使になった?


 いや有り得ないだろう。そんなことできるわけがない。だってそんなことできたらそれはもう神の御業だ。


 エルエルの両親は教会の神父さんをしていたと言っていたし、なんにせよ神秘的な力が加わったに違いない。


 エルエルの天使化は神の所業だ。無宗教を貫く僕でも流石にそうとしか思えない。でもそれだと旧人類が滅んだ理由が分からない。


 これだけの都市を建設できるような高度な文明を持っていながらなぜ滅ぶことになったのか?


 考えられる線は疫病、内乱、食糧の枯渇とライフラインの断絶……は今こうして生きていられるからないか、そして魔物クリーチャー……


 いや、どうやってかは知らないけど魔物クリーチャーを作り出したのは旧人類だと言われている。作り出した本人が魔物クリーチャーに食われるなんてことは無いだろう。


 となると有力なのはやはり疫病と内乱か。


 というかエルエルはかつて僕に会ったことがあるようだ。それはいつの話なんだろう?


 ここで引っかかるのはエルエルのあの言葉だ。


『あれから私……天使になっちゃった……』


 “あれから私”という事は僕とエルエルが会ったのはエルエルが天使になる前。つまり旧人類たちが生きていた時代という事になる。


「いや何千年前の話だよ……」


 自分で考えておいて余りの荒唐無稽さに呆れ声が出た。


「……じぃ……」


 ずっとエルエルの事を考えていたせいだろうか?微かにエルエルの声が聞こえる気がする。


「お〜じぃ〜!」


 間違いない。エルエルの声だ。幻聴してしまう程に考え込んでしまっていたのか……


「王子!!!」


 ん!?幻聴じゃない!?


「ぐえっ!」


 次の瞬間空から巨大な鳥が僕の腹に突進してきた。勢いのままにゴロゴロと硬い地面を転がっていく。


「おうじぃ~ごめんねぇ~とまれなかったわぁ〜……」


 僕の胸の中で目をぐるぐると回しながら大きな鳥ではなく綺麗な天使が謝りつつも嬉しそうに抱き着いてくる。


「アニマ!?大丈夫!?」


 ご機嫌で走り回っていたジェニと怪物も僕の間抜けな声に反応して駆け寄ってきた。


「エルエル!追っかけてきたん!?」


 そしてエルエルの姿を見て驚愕の声を上げる。


「……そ、そうよ!皆に言い忘れていたことがあるの!」


 エルエルは僕の体に手のひらをかざして回復させてくれた後、ローブを払いながら立ち上がった。


6!」


「あ、悪魔?」


 確かブジンさんも同じようなことを言っていた。十字架がその魔よけだと。ジェニも何か訳知り顔だ。


「殺戮が生きがいのような恐ろしい奴よ!特に強い人間を殺すのが大好きで、冒険者が必ず通る第6層で気まぐれに殺しまわっているわ!」


「恐ろしい門番のことか」


「ええ、外ではそう呼ばれているのね。とにかく王子たちが帰れるかどうかは悪魔に見つからないかどうかよ!」


 僕はごくりとつばを飲み込んだ。


「そっか、それをわざわざ教えに来てくれたんだね!」


「……いいえ、私も王子について行くわ!誰にも知られていない隠し通路があるのよ!皆が無事に帰れるまで私が案内するわね!」


 エルエルは大きな胸を張ってどんと叩く。


「え!?本当!?」


「本当よ!」


「「やったぁぁああああ!!」」


 僕とジェニは同時にエルエルへと抱き着いた。エルエルは気恥ずかしそうに照れ臭そうに顔を真っ赤にして、


「少しの間だけど私も仲間に入れてね!」


 眩しいほどに可愛く笑った。






【余談】

獣人史は王政が発表し、子供に教えることを義務化している。

物乞いのような子供でも獣人史は暗記している。

また、秋には四日間に渡り大々的に行われる四英祭という収穫祭がある。

ゴールデンウィークのように一週間を丸々祝日にして執り行われるそれは、年間通して最大規模の祭りであり、ランジグの外からも沢山の来訪者で賑わう。

四英祭では伝説になぞらえた植樹の儀があり、ランジグ民が一丸となって植樹に興じる。

「友が為に戦い、星の健康にさえ寄り添う四英雄のなんと気高きことか。思いを受け継ぐ王族の、誠、誇り高きよ」

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