第91話 依存


 スピー……スピー……


 膝からは安心感を伴う温もりが伝わってくる。親鳥に温められるひな鳥のような感覚だ。人よりも少し高い体温とふさふさの翼が僕にそんな印象を抱かせる。


 後ろを振り返るとマイエンジェルがすやすやと寝息をたてている。いや本物のエンジェルがいるのにこの例えはややこしいか。


 それに僕はジェニの事をヴィーナスや女神と例える事の方が多かった気がする。


「女神と天使……ぷぷっ……」


 謎の繋がり……変な感じ。


「ふあぁ」


 相変わらず頭はぐるぐるとしているけれど、穏やかに眠る二人を見ていたら何だか眠気がやって来た。


 思えば僕も疲れていたのだろう。


 そっとジェニの頭を撫でる。


「ふふっ」


 気持ちよさそうに眠るジェニを見ているだけで幸せが湧きあがってくる。


「アニマ」


 それまで静かにワインを堪能していた怪物が、唐突に語りかけてきた。


「なに?」


 ジェニを撫でて破顔していた僕は声だけで返事した。


「アニマ、ジェニと距離を置け」


 ピクリと手が止まる。


「聞き間違いかな……僕も酔っ払ってるみたいだよ」


「そうか。ならもう一度言う」


「うん」



「なんで!?」


 僕は勢いよく怪物の方を振り向いて立ち上がり叫んでいた。


「あぅ」


 膝から転げ落ちたエルエルが柔らかいベッドに落ちて小さな声を漏らす。


 聞き間違いではなかった……ならなぜだ?なぜ怪物はこんなことを言うんだ?


 眠気は一瞬で吹き飛んだ。だがその代わり得体のしれない感情が湧き上がってくる。これは怒りか……?


 なんで僕は大好きな怪物を睨んでる?……ダメだ……落ち着け……直情的になるな……


「今のお前たちの関係はなんだ?友達か?家族か?恋人か?」


「と、友達さ」


「ならば尚更距離を置け」


「なんでだよ!なんでそんなこと言うんだよ!」


 語気が荒くなっていた。


「急になんなんだよ!」


 ムカつく……


「酔っぱらってんのか!?」


 ムカつく……自分の感情を抑えられない……


「なんとか言えよ無口野郎!」


 言ってはいけないと分かりながら言わずには気が治まらない。嫌だ……言いたくない……でも――


「この――!」


「ジェニはお前を第一に考えている。それは信頼あってのものだろうが、ジェニは常にアニマならどうするかと考えてしまっている。お前の意見を中心に物事を見ている。それが正しいと思うか?」


 口を開いた怪物は酷く冷静だった。それが謎の怒りを抑えることも出来ない僕の滑稽さを否応にも浮き彫りにしていて……


「そ、それは……」


 口ごもった。言葉の内容も瞬時に上手く答えることが出来るものではなかった。


「お前もそうだ。ジェニに何かあれば直ぐに冷静さを失う。そればかりか、ジェニ無しでは一切物事を考えてないだろう?」


 鋭い眼光。まるで全てが見透かされているかのような気がする。


「そ、」


 目が泳ぐ。なんでもいいから否定したい。けど咄嗟に言葉が出てこない。


「もしジェニが死ねばどうする?お前はそのことから目を逸らし続けているだろう?」


「……」


「当ててやろうか。ジェニが死ねばお前は直ぐに後を追って死ぬ」


「っ……」


 第3層でサーベルタイガーと怪物に遭遇した時のことがフラッシュバックする。


「思い当たる節があるだろう?これが正しい関係だと思うか?あえて厳しい言い方をするが、」


 怪物は手に持っていたワイングラスをテーブルの上に置くと、小さな椅子に腰かけたまま両手を組んで、


。今の関係に甘えていたらこの先もっと厳しい状況になった時、或いはお前一人で戦わなきゃいけない時、正しい判断を下せなくなる」


 突き刺さるような視線。放たれるプレッシャー。口調は穏やかなのに圧を感じて止まない。


 なぜかは分かってる……負い目があるからだ……


「友の為に死ぬこと。これ以上の友情は無いと言う。だが、端から自分の命を軽んじているのは生に対する冒涜だ」


「なんでそんなキツイ事言うんだよ……」


 僕は知らず知らずのうちに服の裾をこれでもかというほどに握りしめていた。


 やっとこさひねり出した言葉は僅かながらの反抗。怪物の言葉の意味を理解してしまったが為の僅かな反抗。


 少しでも逸らさないと受け止められなかった、弱い心がそうさせたんだ。


「なんで……」


「そんな理由で仲間を失いたくはないからだ」


 そんな僕の眼を怪物の眼が有り得ない程に真っ直ぐ射抜いた。


…………」


 静かで穏やか……それでもこの言葉は本物だった……辛いことだ……でも……目を逸らすべきじゃない……


「分かった……もう少しきちんと考えるよ……」


 ぐるぐると回る頭では分かっていても、言葉にすると心は正直だった。


 そのままそこに居てもダメな方にばかり考えてしまう。僕は外の空気を吸ってくると言って星を眺めた。この星も魔法ではなく作り物なんだと言う。


 作り物でもなんでもいい。ざわついた心が落ち着く限り、この星は本物だ。






 なんだかいい匂いがする……それに温かい……というか両腕に圧迫感を感じる……


 スヤァ


 左を見るとエルエルが僕の腕を枕にしながら眠っていた。窓から差し込む朝日に照らされて黄金の髪が眩く光る。


 右を見るとジェニと目が合った。


「夢やなかった……」


 みるみるうちにジェニの顔が赤くなっていく。


 とてもかわいい。めっちゃ好き。


 でも有り得ないくらいに頭が痛い。謎の気怠さと気持ち悪さもある。そもそもなんで僕は女の子二人とベッドに寝てるんだろう?


「いや夢だよ」


 まぁいいや、考えるの面倒くさい。起き上がるのも億劫になった僕はそのままもう一度目を閉じた。一人用のベッドに三人で寝ると言うのはかなり窮屈だけどそんなことを気にしている余裕は無かった。


 意識が混濁こんだくとしていく中、「夢!?え?寝んの?え?」とジェニの声が薄っすらと聞こえてくる。


「夢ならえっか」


 睡魔に抱かれる寸前にそう聞こえたかと思えば、右腕が柔らかい感触に包まれた。






「王子!ジェニちゃん!ご飯よ!起きて!」


「あれ?エルエル……うっ頭痛い……」


「……やっぱり夢やなかった……うっ頭痛い……!なんこれ!?」


 ジェニの大きな声が頭に響く、心なしかいつもよりは小さくて助かったけど。


 頭を押さえながら体を起こして右を見ると、ジェニが僕の腕に抱き着いたまま頭を押さえていた。


「それは二日酔いよ。お酒に慣れてないとそうなるのよ」


 「今治してあげるからね」と言ったエルエルは僕とジェニの頭に同時に手のひらをかざした。


 痛みが引いていく。


「ありがとうエルエル」


「ありがとう!」


 礼を言いながらにっこりと笑うと、エルエルも「うん!」とにっこり笑った。


 右腕には幸せな感触がある。


 ジェニと距離を置け――――――


 僕は素っ気なくジェニを振りほどいた。


「そう言えばエルエル。僕の腕を枕にして寝てなかった?」


 ぼふっ


「ゆ、夢でも見てたみたいね」


「そう?」


 疑問に包まれる僕を残してエルエルはテーブルに着いた。


 そのテーブルにはワインボトルを抱きかかえた怪物が突っ伏して眠っていた。その周りを囲むように朝食が並べられている。


「起きて怪物!」


「うっ頭が……」


「もう……じっとしててね」


「ああ、ありがとう」


「どういたしまして!さぁ早くご飯を食べましょう!」


 エルエルはどこか忙しなく両手を合わせると「いただきます!」と言った。


 僕たちもそれに続き、席について並べられたサラダやスープを口に入れていく。


 エルエルが作ってくれたのだろうか?厳しいサバイバルが要求されるクリーチャーズマンションの中だとはとても思えない家庭的な料理の数々は、なんだかとても美味しかった。






「もう……行ってしまうの……?」


 皆で仲良く話しながら朝ご飯を食べ終えた僕たちは、後片付けを済ますと、リュックサックを背負って立ち上がった。


 聞けば昨日外で寝落ちした僕を、狭くても硬い床で寝るよりはましだろうと怪物がベッドまで運んでくれたそうだ。


 やはり怪物は優しい。昨日のことも僕のことを思って言ってくれたんだ。わだかまりなんかない。


 腕を振りほどいた時のジェニの顔は正直見ていられるようなものではなかったけど……


 それより今はエルエルの事だ。僕たちの恩人であり、友人。でも彼女は外には行けないらしいからここでお別れだ。


「エルエルのお陰で暑苦しい包帯を取ることが出来た。心から礼を言う」


 怪物はエルエルの手を両手で握りこむ。小さな手を大きな両手で。それだけでこっちまで感謝が伝わってくる。


「ありがとうエルエル!大好き!」


 次はジェニが飛びついた。大きな翼も一緒くたに苦しいくらいに抱きしめる。それをエルエルも優しく抱きしめる。


「エルエルのことは絶対に忘れないよ!」


 いざ別れの言葉を言おうとすると体が小さく震えた。たった一日だったけど、彼女と過ごしてた時間は余りにも濃厚で忘れがたく、僕にとって大切なものになっていた。


 どさっ


「私もぉ……!私も王子のことぉ……皆のことぉ絶対に忘れないからぁ!絶対にぃ!絶対に忘れないからぁ!!ひぐっ……」


 僕に力強く抱き着いたエルエルは子供のように泣いてしまった。


「……まだいづでもぉ……遊びにぎでねぇ!!」


 腕に込められた力強さが離れたくないと物語る。その姿にこっちまで目頭に熱いものがこみ上げてくる。


「絶対また来るよ!!いつになるかは分からないけどいつか必ずここに来る!!」


「ほんとぉ?」


 エルエルはぽろぽろと涙を流したまま僕を上目遣いで見る。身長はエルエルの方が高いせいでその破壊力は抜群だった。


「うん!約束だ!!」


 なんとか泣かないように無理矢理に笑顔を作った。でも目の端には涙が溜まっていた。


「……約束よ!」


 またいつか会えるんだ。別れの言葉は言わないほうがいい。それよりもこの言葉で終わらせたい。


「ありがとう!」


 大きく手を振りながら、僕たちは何度も何度も感謝の言葉を叫んだのだった。






**********






「あーあ……行っちゃった……」


 アニマたちの背中はとうとう見えなくなってしまった。


 過ぎてみれば嵐のように一瞬の出来事だったなとエルエルは思う。


「王子に会えて、皆と会えて……楽しかったなぁ……」


 皆の一挙手一投足を鮮明に覚えている。絶対に忘れたりしない。


 エルエルはふと、そう言えばなんでついていけないんだったっけ?と思った。


 考えてもみれば外には行けずとも第6層の転移紋まではついて行けたんじゃないかと。


「あっ!」


 みるみる冷や汗が出てくる。その瞬間にはもう背中の翼で大きく羽ばたいていた。


「私のバカ!!」


 エルエルは更に翼に力を込めてアニマたちを追いかけた。






【余談】

エルエルの頭の上の天輪は実はただのアホ毛。

奇跡的な癖の付き方で輪っかのように見えているだけ。

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