第88話 天使②


「エルエル?大丈夫?」


 暗い表情をするエルエルに心配の声をかける。


「ううん。大丈夫よ……そうね……


 エルエルは顔をブンブンと横に振ると、見る者全てを虜にしてしまうような顔で笑った。


「てかエルエルっていつからここに住んどるん?」


「数千年前からよ。その時計には時間しか表示されないし、正しい年月なんて忘れてしまったわ……」


 ジェニの疑問に答えたエルエルは困ったように笑い、「覚えておくには余りにも長い時間だったのよ……」と言った。


「「「数千年!!?」」」


 当然のように言い放ったエルエルだったが、僕たちは三人揃って驚きの声を上げた。


「じゃあ何!?エルエルはずっと昔からここで暮らしてきたっていうの!?独りで!?」


「ええ」


「不老……不死……」


 さも当然と答えたエルエルに、怪物が小さく呟いた。その言葉はどこか震えているように感じる。


「いいえ。不老ではあるけれど不死ではないわよ?心臓を刺されでもしたら流石に死ぬわ」


「でも凄いよ!!僕たちの常識では考えられない!!」


「大きな翼……目が眩むほどの美貌……そうか……君が……君が……俺たちの探し求めたフェニックスだったのか……!」


 大きな腕をエルエルに伸ばし、触れる直前で胸の前に抱いた。


「アイシャ……アンドリュー……ピーター……ジョナサン……あったぞ……!俺たちの冒険は……無駄なんかじゃなかったぞ……!」


「怪物……」


 静かに喜びに震える怪物の姿に、僕まで何か熱いものが込み上がってくる。


「それよりも皆凄い怪我よ!?全身傷だらけじゃない!ちょっと見せて!」


 今まで失念していたとばかりにエルエルは近くにいたジェニから怪我の具合を見だした。


「浅い切り傷はまだ新しいわね……このお腹の傷!せっかくの綺麗な肌なのに跡が残ってしまっているわね……それに腕も……」


 エルエルは傷口に手をかざすと、目を閉じて集中し始めた。


 ん!?なんだあれ!?


 その手のひらからオーラの波動のようなものが放たれている。


 その波動はジェニの傷口に浸透していき――――――


 みるみる傷が塞がりだした。


「……うっそぉ……」


「あったかい……なんなんなんなんなんなんこれ!?……あったかい……なんなんこれ!?……あったかい……」


 ジェニは穏やかな表情をしていたかと思うと、びっくりしだして、また穏やかになる。


 やがてそれはジェニの全身に浸透していき、お腹の古傷すらも綺麗に治ってしまった。


「どう?これで綺麗に治ったと思うけど―――」


 よっぽど集中していたのだろう。額に浮かび上がった汗を拭うと、エルエルはジェニにそう尋ね、


「おおおおおおお!!体ぽかぽかしてあったかい!!痛いとこも無くなった!!おおおおおおおお!!腕も!!腕の痺れも無くなった!!」


 ジェニも余程嬉しかったのか腕をブンブン振り回したかと思うと、そこらじゅうを飛び跳ね回った。


「ふふふっ。良かったわ」


 全身を使って感動を表すジェニを見て、エルエルは微笑む。


「エルエルありがとう!!大好き!!……!!」


 ジェニはその勢いのままエルエルに抱き着き、太陽のように笑う。陽だまりのような笑い声の中には僅かにうれし涙も混ざっていた。






「あなたは……酷いわね……全身の皮膚が焼けただれてしまっているわ……強力な酸でも浴びたの?」


「少しきついやつをな……それと俺は怪物だ。そう呼んでくれると嬉しい」


「そう……じっとしててね。怪物は体が大きいから少し時間がかかりそうなの」


 エルエルはそう言うと、ジェニと同様に怪物にも手をかざして集中し始めた。


 手のひらから出た白いオーラの波動が徐々に浸透していく。


「確かに……温かい……」


 やがてその全身を柔らかな光が包み込んでいった後。


「ふぅ……これで治ったはずよ!」


 汗を拭いながら達成感と共に怪物に具合を尋ねるエルエル。


 包帯の上からではどうなっているのか分からなかったが、怪物が包帯を解いて行くと……


 きりっとした眉。ほりの深い鋭い黄色の眼光。線の通った鼻筋。顎を覆う男らしい赤茶色の髭。


「……ありがとう……ありがとう……」


 現れた精悍せいかんな顔を自分でペタペタと触りながら、せっかくの男前をくしゃっと潰して涙と共に何度も感謝を口にした。






「最後になっちゃったわね王子……酷い怪我……刃物で切り付けられたのね……今治してあげるからね……」


 エルエルは僕の傷口にそっと触れると、手のひらに意識を集中していく。


「エルエル、疲れてるんだったら僕はいいよ?」


 これには相当な集中力がいるのだろう。エルエルはもう額から流れ落ちる汗を拭おうともしない。


「大丈夫よ……!苦しむ人を放ってなんておけないわ……!」


 その青い綺麗な瞳には、覚悟とでも言うべき深い芯の籠った色がある。


「あたたかい……」


 確かに二人が言うように温かい感覚に包まれていく。


 不思議な感覚だ。傷口は風邪をひいた時のように発熱し、みるみるうちに塞がっていく。


 だが不快感や拒絶反応はなく、ただただ温かい感覚がこの身を包む。


「凄い……凄いよエルエル!!もうどこも痛くないよ!!ありがとう!!」


「おかしいわ……王子だけ手から感じる魂の感覚が違う……まるで昔の……まさかっ!いやでも、有り得ないわ……!」


 僕の傷が完全に塞がり、集中を解いたエルエルは何か気にかかることがあるのか、悩ましそうにしている。


「どうしたの?」


「私が疲れているだけかもしれない……でもこの感覚を忘れるなんてことは有り得ないわ……沢山救って来たんだもの……だとしたら王子は……」


 下を向いて一人で考え込むエルエルを心配してその顔を覗き込む。


「「いたっ!」」


 はっと顔を上げたエルエルの頭と僕の鼻がゴツッとぶつかる。


「ああごめんね王子!」


 エルエルはすぐさま手をかざして痛みから解放してくれる。


「……間違いないわ!やっぱりそうよ!!!」


 信じられないとばかりに自分の手を見ながらエルエルの言った言葉は、瞬時に理解するには余りにもぶっ飛んだ内容だった。


「え?………………僕が……?ちょっと待ってどういうこと……?僕はラーテル獣人じゃ無いってことなの!?」


「そうよ!王子はジェニちゃんや怪物と違って、かつて私が治療してきた人たちと同じ純粋な人間なのよ!!いいえ、更にもっと純粋な!!」


「ん!?まってまってどういうことなん!?」


 ジェニを含め、疑問に包まれる僕たちにエルエルは長々と説明してくれた。


「順を追って説明していくしかなさそうね……

 そうすることで人がもつ自己治癒能力を活性化させて治しているのよ。だからかなりの倦怠感けんたいかんがあるでしょう?それは皆の体が頑張った証よ。

 本来人間には微弱ながら波動を出す力があるの。ほら、お腹が痛い時とかに手のひらをかざすと痛みが和らぐでしょう?皆気が付いてないだけで、人間には数々の不思議な力が備わってる。

 私は生まれた時からこの波動を人よりも上手く操ることが出来たの。苦しんでいる人を治していく内に更に上手くなっていったわ。

 天使になってからは波動の出力自体が跳ね上がって物凄い力を出せるようになったわ。だから開いた傷口でもあっという間に治せるの。

 ……話が逸れたわね。要するに王子から感じる感覚がね、当時の人たちと似ていたのよ!これは有り得ない事だわ!」


 確かに有り得ない……色々と引っかかるところもあったがエルエルの話を全面的に信用するならば、僕はここに暮らしていた旧人類と同じという事になる。


 それは僕がラーテル獣人ではなく、魔法が使えたと言われる旧人類たちの生き残りだという事だ。かつてラーテル獣人たちを迫害した奴らの生き残りだという事だ。


「いや、有り得ないよ……僕両親ともにラーテル獣人だし……確かに尻尾が無いのはおかしいと思ってたけど、でも……何かの間違いだって……」


 頭では有り得ない事だと分かっている。


 なのにさっきから心臓がやけにバクついて呼吸が荒い。まるで僕の体がそれが真実であると知っているかのようだ。


「出自ははっきりしているの?両親の髪の色は?目の色は?何かおかしいところは無い?」


「髪の色は……両親の中間の色だよ……目は……父さんと一緒だ……」


 必死に記憶を漁る……大丈夫だ……何もおかしい所なんかない……大丈夫だ……何も間違ってなんかない……


?」


 エルエルが僕の顔を覗き込んでくる。


 あれだけ感謝したその瞳が今はなんだか恐ろしく感じる。


 ああ……でも……誰か嘘だと言ってくれ……


………………」






【余談】

傷が完全に治った怪物は、ボロボロになった包帯を解いて、深く被っていたフードも取っている。

約3年ぶりに堂々と素肌を晒すことが出来たのだった。

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