第86話 怪物ウガチ


 火はとうにその勢いを弱め、今では薄暗闇に燻る灰が仄かに僕らの顔を映し出すだけとなっていた。


「激痛の中、無我夢中で大槍を振り回し、気が付くと辺り一面には死体の山が築かれていた。もう指一本動かす力も残ってなかった俺は、ここで死ぬんだと、そっと目を閉じて地面に倒れ込んだ」


 静かに語られた怪物の話は、僕のちっぽけな想像を遥かに超えるものだった。


「だが俺の前に少年が現れた。そいつは俺に死んじゃダメだと言うと、俺を水場まで導いた。そこで体から毒を洗い流して包帯を巻いてくれた。そいつはいつの間にか姿を消していた。どれだけ探しても見つからなかった。毒でやられてぼんやりとしか見えてなかったが、どこかアニマに似ている少年だった」


「え?」


「いや、きっと俺の勘違いだ。毒のせいで何かの幻を見てたのかもしれない……正真正銘の怪物となった俺は、もうこの姿ではランジグで生活することは出来ないと、あの滝の隠れ家で生活するようになったんだ」


「そうだったんだ……」


 今までの不可解な怪物の言動……それが一本の線で繋がった気がする。


 でも、だからといって何を言ったらいい?


 怪物の過去は……怪物が抱えていたものは……あまりにも重すぎる……


「この灰は怪物を裏切った人たちやったんやな……」


 火は既にその人たちを僅かな骨と灰に変えていた。


 その灰を見て、ジェニが小さく呟いた。


 そうかあの時、怪物は自分を裏切った人たちの為に涙を流してたんだ……


 それはかつての友達をほんの少しでさえも恨んではいないという事だ。


「優しい……」


 友の為に、全ての罪を受け入れ、許す。


 死んだ魂が少しでも楽になれるように。


 自分を裏切った友たちの事を考えて、その夢を叶えてあげる為に。


 この世には三つの不老不死があると言う。


 なんらかの方法により朽ちない体を手に入れた、肉体的な不老不死。


 なんらかの方法により体を捨てて生き続ける、精神的な不老不死。


 そして、未来永劫その名が語り継がれる、概念的な不老不死。


 怪物がその名を語り継げば、彼らは誰かの中で生き続けることになる。


 夢半ばで終わってしまった彼らの人生が無駄ではなくなる。


 姿無きフェニックス。不老不死を求めた彼らの夢を怪物自らの手で叶えてあげるんだ。


「カッコいいなぁ……」


 優しい。優しいというのがこれほどまでにカッコいいものだという事を僕は知らなかった。


「カッコよくなどない……仲間一人守ることも出来なかった……ちっぽけな男さ……」


 思わずそう呟いていた僕に、怪物が自嘲気味に言った。


「ちっぽけなんかじゃない!でかくて、優しくて、頼りになる、最強の怪物だよ!!」


 かつての仲間の亡骸を見つけてから、怪物はずっと暗い顔をしている。僕は怪物に元気を出してもらいたくて、大声を出していた。


「そうやで!怪物はカッコええで!」


 ジェニも僕と同じように怪物を励ます。


「お前たちはまた俺にそう言ってくれるのか……」


 そうだ!怪物と呼べとは言われたけど、それは怪物が自分のことを卑下していたからそう言ったんだきっと!


 本当は呼ばれて嬉しいような名前じゃなかったはずだ!


「あっごめん!僕たちもこれからは花梨のウガチってよんだ方がいい?」


 今まで傷つけてきてしまったんじゃなかろうかと、僕は心配になった。


「いや、怪物のままでいい」


 だが怪物はなぜかそう言った。


「いいの?嫌な呼び方なんじゃないの?」


 疑問を隠せない僕。隣を見ると、ジェニも同じようにしている。


「確かに今までは自虐やいましめ、そういったものも込めてこの名を名乗っていた。だがアニマ、お前に怪物と言う名は意味を変えられたんだ」


 怪物はじっと僕の眼を見つめる。


「僕が?」


 何か言ってたっけ?


「ああ、いつかお前は言った……と……人の身でそんな名前をつけられるのは俺くらいだ!カッコよくていいじゃないか!」


 怪物は自分の胸を親指で指し、明るい声で言う。


「そっか……最強の怪物……カッコイイね!」


 吹っ切れたような怪物に、僕はニカッと笑った。


「世界中に轟かすなら、花梨のウガチなんて言うこじゃれた名前よりインパクトがあっていいだろう?」


 怪物の顔にはもう陰りの色は無い。


「俺にぴったりの名だ!」


 


 


 暗がりで、顔のほとんどは包帯で隠されている。


 それでも僕は、ニシシと笑った怪物の顔を忘れることは無いだろう。


 ……






「そうだお前たち。アイシャという冒険者を知らないか?無事にここを攻略できたなら、それなりに有名になっているはずだが……」


「さぁ、聞いたことないなぁ……」


「僕も……」


 そんな名前の冒険者は聞いたことがない。ジェニも聞いたことが無かったという事は、単に名が売れていないだけか或いは……


「そうか……」


 彼らのようにどこかで白骨死体になってしまっているのか……


 少なくとも、たった一人でクリーチャーズマンションを攻略できたとは考えにくい。


 怪物もそれが分かっているのだろう。


「そんな落ち込まないでよ!ほらっ怪物みたいにまだクリーチャーズマンションのどこかで生き延びてるかもしれないよ?」


 再び暗い影を落とした怪物を励ますように、冗談交じりにそう言う。


「そうだ……な…………いや、きっとそうだ」


 怪物は深く考え込んだ後、


「ありがとう」


 僕とジェニの頭を、その大きな手で優しく撫でた。






**********






 時はほんの少しだけ遡り。


 アニマたちが火を焚きだして少し時が経った頃――――――


「あの煙は……」


 とある建物の中から、それを覗く瞳があった。


「行ってみよう……」


 その独り言は、うら若き女性の声をしていた。






【余談】

実はアニマとジェニは冒険者ではない。

正式な冒険者登録をしないままに飛び出してきたからだ。

冒険者登録に年齢制限はないが、成人してからというのが常識だ。その為周りの大人たちが必ず一度は止めに入るだろう。

誰も進んで子供が死ぬ様など見たくはないのだから。

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