第79話 怪物と呼ばれた男①


 その男は、ランジグからは遠く離れた東の田舎に生まれた。


 山と竹と森に囲まれたのどかな土地で、そこに暮らす人々は狩りと林業とささやかな農業で生計を立てていた。


 と言っても金など殆ど稼ぐことは出来ず、毎日狩りに出なくては生活していけない程に厳しい環境だった。


「おぎゃぁぁあああ!おぎゃぁぁあああ!」


 村一番の狩人であるマルメロと、その妻であるバーバラのもとに、5000グラム近い体重で生まれたその子は、更に大きく天をも穿うがつ勢いで立派に育つようにウガチと名付けられた。


 そんな両親の願いもあってか、ウガチは半年も経たぬうちに立ち上がれるようになり、1歳になるころにはジャンプまでできるようになっていた。


 その後もすくすくと育ったウガチは、周りの子供たちより三回りほど体が大きかった。


 子供ながらにして大人とそう変わらない体躯を持つウガチに、周囲の子供たちは好奇と差別の視線を向けた。


 自らの力が周りの子と比べて圧倒的に強く、喧嘩をしてしまえば相手を傷つけてしまうと分かっていたウガチは、元来の穏やかな性格も相まってか、どんなにからかわれようとも特に言い返すこともなかった。


 だが体は大きくとも心はまだまだ普通の少年だ。長きにわたる孤独感に、ウガチの心は次第に行き場のないモヤモヤを抱えるようになっていた。


「父さん。俺は体が大きいから皆と一緒に遊ぶことも出来ない。怪物はあっちに行けって言われる。子供は遊ぶのが仕事だっておじさんたちは言ってた…………遊び相手のいない俺は、何をして生きればいい?」


 ある夜。家族三人で夕飯を囲んでいる時に、すっかり無口となっていたウガチは重い口を開いた。


「ウガチ…………明日父さんが一緒に遊んでやろうか……?」


 立派な赤髭をたずさえた男は、やや同情するように言う。


「マルメロ!貴方が狩りに行かなければ誰が明日の食料を調達してくるの?」


 経産婦とはいえまだまだうるわしい赤毛の女性は、わんにイノシシの干し肉を水に溶かしたスープをよそりながら夫を叱る。


「それはそうだが……でもバーバラ……そんなことを言ったってなぁ」


「どうして俺は皆よりも大きいんだ?もっと体が小さければ…………母さんがもっと俺を小さく生んでくれれば良かったのに…………」


「ウガチ…………」


 バーバラは酷く落ち込んだ顔でウガチを見る。


「良し!明日は父さんと狩りへ行くぞ!狩りの楽しさを教えてやる!」


 暗くなってしまった空気をなんとか明るくしようと、マルメロは元気よく言った。


「いいの!?でも狩りは危ないからもっと大きくなるまでダメだってベノおじさんが!」


「大丈夫さ!お前はもう十分デカいだろ?」


「……うん!」


 普段暗く大人しいウガチが、年相応の反応を見せたことにマルメロとバーバラは内心ほっとしたのだった。






 狩りはウガチにとって未知の体験だった。


 森は決して優しい所ではなく、大自然が悠々と猛威を振るう。


 落ち葉や木の根は易々やすやすと体力を持っていき、獲物となるウサギやイノシシはウガチが気付くよりも早く逃げて行ってしまう。


 ウガチがその難易度の高さに辟易へきえきとしていると、顔の隣をブンッと風が通った。


 その風はメスイノシシのどてっぱらを、大きな槍で一突きにして仕留めていた。


「すごい……」


「どうだ!この森に比べたら、ウガチなんてちっぽけもいいところだろう?」


「うん……俺、小さいな…………ほんと小さい…………」


 不思議と涙が溢れ出してきていた。


 その時のマルメロの背中は何よりも大きかった。


「俺も狩人になる!いつか俺も父さんみたいに大きくなるんだ!」


「……そうか……」


 ウガチの決意のこもった言葉に、マルメロは背を向けると袖でそっと目元を拭った。






 数年の時が経った頃には、ウガチの名声は隣村まで轟くようになっていた。


「またウガチがやったらしいぞ!」


「おいおい、今度は何をしたんだ!?」


「誰も倒せなかった主熊を倒したんだとよ!」


「嘘だろ!?去年まで毎年何人も犠牲になって来たんだぞ!?本当なのかよ!?それにあいつはまだ13にもなってねぇんだぞ!?ありえねぇって!」


 そんな会話が至る所で繰り返されていた。


 だが名声とは裏腹に、ウガチには未だに友と呼べる存在は居なかった。


 成長と共に身長ばかりか筋肉までもりもりとついていき、もとより濃かった赤茶色の毛も相まって、周囲の目は尊敬と共にウガチをどこか畏怖いふするようになっていたからだ。


「父さん……俺、大きくなったよな……?」


 とある夜。家族で鍋を囲んでいる時、ウガチは悩みを話し出した。


「ああ、大きくなったとも!俺なんてすぐに抜いちまいやがってよ!今じゃ俺の知る限り一番の狩人だ!」


 目の端にしわの増えてきたマルメロは、更にしわを深めるとわしゃわしゃとウガチの頭を撫でた。


「成人もまだまだなのにね。……ウガチは私たちの自慢の息子よ!」


 バーバラもウガチを温かく包み込む。


「でも俺には一人も友がいない……分かってる……みんな俺が怖いんだ……俺のことをどこか熊やイノシシを見る目で見てる……」


 小さくそう言いながら晩御飯を飲み込んでいくウガチに、


「「ウガチ…………」」


 両親は上手く言葉をかけてやれなかった。


「俺が何をしたって言うんだ!!?俺は皆の為に毎日頑張って来た!!なのになんで俺を怖がる!!?!!?」


 ウガチは椀を激しく床に置くと、その感情を剝き出しにして吠えた。


「なんで誰も……分かってくれないんだよ……」


 涙は流さない。その強がりがより自分を苦しめている事をウガチはまだ知らない。


 どれだけ体が大きくなろうとも、どれだけ屈強な筋肉に覆われようとも、その心は一人の孤独な少年なのだ。


「ウガチは凄く強くなったわ……それはもう誰よりも……今じゃ天穹てんきゅうのウガチの名は広く轟くようになった……」


 法令線が薄く出てきたバーバラは、優しい瞳でウガチを抱きしめる。


「でもね…………危なっかしくて恐ろしいもの……だから、生き物を殺すばかりじゃなくて、皆を助けてあげなさい……ウガチの力は人を守るために授かった力なのよ……」


 バーバラの言葉はウガチの心にストンと落ちた。


「守り……助ける力……」


「ええ……そうすればきっと、皆貴方を分かってくれるわ……」






 その日からウガチは積極的に人助けをするようになった。


 老人には力を貸し、小さな子には自身の体を滑り台にした。


 同じ狩人たちはピンチから身を挺して守り、村の守護を進んで務めた。


「ウガチの奴医学を勉強しているらしいぞ?」


「へぇ~。この村には医者がいないから助かるな」


 ウガチは狩りの暇を見繕みつくろっては、僅かに溜めてきた金で買った本で医学の勉強を始めた。


 元から物覚えの良かったウガチは、小さな傷から大きな外傷に至るまで数々の怪我や病気を治せるまでになった。


「もっと助けよう……もっと人の力になろう……」


 ウガチは決して努力を怠らなかった。自分を応援してくれる両親の為、皆に自分を認めさせるんだと息巻いていた。






 更に数年の時が経った頃。


「花梨のウガチ…………?」


「ああ、いつからかお前の通り名がそう変わっていた!」


「この赤茶色の毛のせいか……?」


 いつものように家族三人で囲んだ晩餐ばんさん。マルメロの言葉に、逞しい青年へと成長したウガチは自身の体をまじまじと見て呟いた。


「それもあるだろうが、それだけじゃない!花梨は昔から薬として使われてきた!!」


「俺が……?」


 ウガチは自分の両手を信じられないものを見るように見る。


 マルメロはその大きな右手を両手で力強く握ると、


「よく頑張ったな!!今じゃ誰もがお前を尊敬の目で見るようになった!!とうとうお前は成し遂げたんだ!!!!」


「ああ……ああああああ……」


 右手から伝わってくるマルメロの温かい体温。後ろから抱きしめてくれるバーバラの優しさ。


 残った左手で、溢れ出してくる大粒の涙を何度も拭う。


 “自慢の息子”落ち込むウガチにこれまで何度もかけられてきたその言葉は、今までは励ましの言葉でしか無かった。


 それが初めて本当の意味を持った。


 この時初めてウガチは自他ともに認める“自慢の息子”になったのだった。






【余談】

花梨の木は赤茶色で、バラ科に属される。

本来の名前はマルメロという。

昔から薬用として中国で使われていた花梨。

蜂蜜漬けにしたりお酒に漬けたりと、様々な形に加工された物を冬の喉の乾燥や風邪の際の薬として重宝されていたそうだ。

しかし花梨の実には「アミグダリン」と言う成分があり、多用すると体に良くないなので、過剰摂取には気を付けるべきだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る