第74話 かくれ鬼祭り②


「始まったな」


 次々と猿の楽園を飛び出していく子供たちを見て、怪物は呟いた。


「うん。もう後戻りはできないね。絶対見つからないようにしないと……」


 多分これ以上のチャンスはこの先二度と訪れない。


 ここで失敗してしまったら、数年後には皆仲良く猿どものお腹の中だ。


「私たちに任せてよね!アニマたちが見つかりそうになったら、私たちが上手く注意を引くからさ!」


 サッキュンと3人の女の子たちが得意げにそう言った。


「俺のことも忘れて貰っちゃ困るぜ!」


 サイモンと3人の男の子たちも、得意げに言う。


 壁際を目立たないように移動する僕たちが万が一見つかりそうになった時の保険として、サッキュンとサイモンたちが囮をしてくれる算段になっている。


 一定間隔をあけて隠密行動をするのだが、ピンチの時はそのうちの一人がわざと見つかって明後日の方向へ全力疾走するのだ。


「うん!ありがとう!よろしく頼むよ!」


「「「おう!!」」」


「「「うん!!」」」


 僕が礼を言うと、皆前歯を見せて返事した。


 ほんの少し会っただけなのに。僕に関してはサイモンを殴ったのに。なんていい奴らなんだろう。


 皆の裏表のない真っ直ぐな姿が心に沁みる。


「万が一の時は俺を置いていけ」


 そのやり取りを見ていた怪物が、静かにそう言った。


「……万が一なんて事は僕が許さない」


 怪物の方を向き直り、覚悟を決めて言葉にする。


 これ以上仲間を危険にさらすわけにはいかない。今までの僕はずっとどこかに油断があった。


 ジェニと一緒だから大丈夫だろう。怪物と一緒だから大丈夫だろう。これだけ修行したんだからなんとかなるだろう。これだけ考えたんだから上手くいくだろう。


 子供たちに偉そうにああだこうだ言っておいて、自分が出来てないんじゃしょうもない。


 どうしようもない状況、絶体絶命のピンチ、その時に問われるのは揺るぎない覚悟だ。


 勿論そんな状況にならないように万全の対策を取っていくのが大事なわけだけど、ピンチはいつも僕たちを待っていてはくれないわけで、


 だからこそ僕はよりいっそう気を引き締めていかなくちゃならないんだ。


「……そうか」


 数秒間目が合っていた。


 ゆっくりとまぶたを閉じて、静かにそう言った怪物の言葉には、三文字では表せない程の想いが詰まっているようだった。






「行くよ!皆!」


 僕の号令に、皆一斉に返事をする。士気は上々。猿の楽園の皆に関してはめっちゃ楽しんでいる。


 猿の楽園を出た瞬間、肌がひりつくような緊張感が襲い来る。


 既にこの近くいたキメラモンキーたちは、先陣を切って飛び出していった子供たちが遥か遠くまで引き連れていってくれている。


 僕たちは膝まで生い茂る草をカサカサと揺らしながら壁際まで急いで移動した。


 この辺りは見通しのいい草原と田畑が続いている。残念ながら背の高い植物はあまり存在しない為、本当に匍匐前進ほふくぜんしんでもしなけりゃ見つかってしまう。


 逆に中途半端に見晴らしが良いのが今回の作戦の肝になっている。立ち上がった瞬間に嫌でも目立つからおとりとしては最高だ。


 それにかくれんぼにおいて、隠れにくいところを注意深く探すことはない。基本的には隠れやすいところを重点的に探すだろう。


 現に目に付くところにキメラモンキーの姿はほとんどない。果樹園や麦畑や背の高い植物の方を探しているようだ。


 だが安心は出来ない。見晴らしがいいというのはやはりそれだけで大きなリスクとなるのだ。特に怪物の巨体は、本当に隠れきれているのか怪しいものだ。


 そんな緊張に冷や汗を流しながらも、ゆっくりと、だが確実に進んでいく。


 草や土の匂いが鼻を鈍らせる。ラーテルの血が薄い僕は元からそこまで鼻は良くないけど。






 これはかなりきついな……


 後ろにはまだまだ猿の楽園が見えている。


 階段までの距離は8キロメートルくらいはあるとして、今はまだ1キロメートル弱進んだといったところか……


 いくら鍛えているとはいえ、この特殊な動きは普段使わないような筋肉を酷使こくしする。腕だけじゃなく、腹や肩や背中といったところにも疲労がたまっていく。


 それに牛歩ぎゅうほのような速度でしか進めないから、いつ見つかるやもしれないという緊張感が延々と続く事による疲労も重なる。


 長距離の匍匐前進ほふくぜんしんというものをなめていた。


 サッキュンやサイモンたちはかなりきつそうだ。ジェニも腕を気にしている。


 それに比べて怪物はまだまだ余裕そうだ。体がデカいという事は体重も重いはずなのに、凄いな……流石怪物だ。


 その時、僕はキメラモンキーの気配を感じ取った。


「近くに4匹!まだこっちには気づいてない!」


 小さく皆にそう伝えると、9歳の前髪の長い少年が、サイモンの「行けるか?」という問いに「うん!」と答えて、匍匐前進のまま草の中を明後日の向きに少し進んだ後ちょっこりと顔を出して、


「やべっ!お猿様だ!!」


 若干わざとらしくそう言うと、果樹園の方に向かって全力で駆けて行った。


「楽園のガキだ!」


「どうしてここにいる!?」


「脱走しやがったのか!」


「アニマとかいうガキの捜索は後回しだ!追うぞ!!」


 手に金槌かなづち焼鏝やきごてをもった気性の荒そうな毛深いキメラモンキーたちは、走るには無駄に筋肉のついた鈍重そうな体で少年の後を追いかけていく。


 ふぅ……上手くいって良かった……内心ヒヤヒヤが止まらなかったよ……


 それにしても、ここまで進んできて今が初めての接近か……どうやら囮作戦は思ったよりもうまく機能しているようだ。






 と思っていたのも束の間の事で、その後進むにつれてキメラモンキーの数が増えていったため、一人また一人と囮になっていき、今はもうサイモンとサッキュンしか残っていない。


 猿の楽園から離れるにつれて数が増しているように思う。


 恐らくここまで辿り着ける子供が少ないのが原因だろう。だが、こと遊びに関してはやはり目を見張るものがある。


 既に子供たちの脱走は第4層全域に知れ渡っていて、遠くまで探しに来ていたキメラモンキーたちも猿の楽園の近くへと引き返していっている。


 見事にキメラモンキーたちは混乱状態におちいっているようだ。子供たちの素晴らしい働きに敬意を払うべきだろう。


「アニマ…………!」


「うん。!」


 もう直ぐにお別れの時間が来ることを悟っていたのだろう。最後にサッキュンはそう言うと、囮として全力で走り去っていった。


 その後を4匹の下っ端キメラモンキーたちが追いかけていく。初めてサッキュンを見た時と同じ光景だ。


 一つ違う所を上げるとするならば、今のサッキュンの顔は希望に満ち満ちているという所かな。


 その後姿は、まるで自由の翼が付いているかのように軽やかだった。






「なぁアニマ…………!」


 かなり階段が近づいてきた頃。最後の一人となったサイモンは真剣にそう言うと、いたずらっ子のような笑顔でキシシと笑った。


「うん……僕はバカだから……また同じことを繰り返すかもしれない。その時は…………」


 サイモンとのこれまでを思い出し、この先の彼の苦労を想像する。


……だからサイモン……!」


「ああ……約束だ……!」


 二人こつんと拳を合わせる。


「なんでお前が泣くんだよ。それじゃ俺がいじめてるみたいじゃねぇか」


 サイモンは笑いながらもそっと僕の背中に手を置いた。


「なんでもないよ……なんでもない……」


 この想いは言葉には出来ない……この涙は説明なんて出来ない……ただ一つだけ、彼に重荷を背負わせてしまうことを承知で、それでも希望を言っていいのなら……


 願いを託してもいいのなら……


…………」


!!!!」


 即答だった。一瞬の迷いも躊躇ためらいもなく。サイモンは力強く答えた。


 そして、最後の囮として武官たちを引き連れて走り去っていった。


 「任せとけ」か、カッコいいなぁ。


 僕も胸を張ってそう言えるように、ジェニを守らなくちゃな。






 階段がもう目の前にまで迫り、いよいよゴールというところで、僕は背筋の凍るような気配を感じ取っていた。


 1、2、3、4……強い……その中でも二回りほど大きな奴は、サーベルタイガーに並ぶかそれ以上の強さだ……


 階段前は開けた平原になっていて隠れるところが一切ない。今いるこの茂みの中から出たらその瞬間見つかってしまうだろう。


 長距離をずっと匍匐前進で進んできたことで、かなり疲れがたまっている。正直ボロボロだ。


 やっとこの緊張感から解放されると思ったところで、最後にこれか……


 ここで戦うには分が悪すぎる。なんとか奴らをやり過ごす方法を考えないと。


 いやっ、第4層全体に騒ぎが広がっている以上、こいつらが猿の楽園に戻っていくのも時間の問題か……


 焦らずじっくり様子を見よう……怪物たちにもアイコンタクトで意思を伝える。


「文官長は賢猿けんえんとして知られ、非常に老獪ろうかいで、長らく楽園に貢献こうけんしてきたことを誰よりも誇りに思っている。だがそれ故におごっている節がある」


 その時、他の個体よりも二回りほど大きな体と大きな槍を持って豪奢ごうしゃな赤い当世具足とうせいぐそくを着こみ、赤い立派なかぶとを被ったキメラモンキーが急に喋りだした。


「更なる力を望む傲慢ごうまんな心は亀裂を生みだす。小さな亀裂は徐々に広がっていき、気づいた時には取り返しのつかないことになっている」


 切れ長の目には力を宿し、口調からは堅実な性格が伺える。


「崩壊する前に誰かがそれを食い止めなければならない。だから私がここにいるのだ。万が一があってはならないのだから」


 言い終えると、その眼は確かにこっちを見つめていた。


 ちっ!見つかってたのか!


「やってくれたな!猿の楽園はかつてないほどの大混乱だ!」


 大槍というより薙刀なぎなたのようなそれを、怒気と共に横に払う。


 ブンッ!と風を斬り裂く轟音が耳を触る。


「来ると思っていたぞ、外来種よ!!」


 戦闘体勢に入り、切れ長のきつい目でこちらを睨む。


「ああもう……最悪だよ!!」






【余談】

猿の楽園の歴史の中でこれまでの規模の大脱走が起こったことは無い。

それほどまでに洗脳教育は根強い物だった。

それが僅か3人の異分子、主にジェニとアニマの存在によってイレギュラーが起こった。

小さな波紋はバタフライエフェクトのように広がり、弟将が危惧した大混乱が起こってしまったのだ。

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