第32話 夜明けと英雄


 今日でブジンさんがクリーチャーズマンション攻略に旅立ってから丁度一か月が過ぎた。


 今日の町はいつもとは雰囲気が違う。


 僕の職場もそうだ。皆が皆一つの話題で持ち切りだ。


 誰も仕事がはかどっていない。


 もちろんジャンがいないことでは無い。その話題は割とあっさりと鎮火した。


 だがそれはジャンが嫌われていたということではなく、ジャンなら必ず帰ってくるという信頼からなのだろうと僕は思ったのだが。


 本当に遅々ちちとして作業が進まない。


 それだけこの話題は衝撃的だと言うことだ。


 あまりのことに見かねた棟梁が、「今日はもうおしまいだ。喋り足りねぇやつはこれから酒場で気が済むまで喋りゃいい」と言い今日の業務を終わらせた。


 それほどまでにこの話題はヤバかった。


 ………………


 というこの話題は……






 という事でいつもより早いがジェニの家に向かうことにした。


 というよりは居ても立っても居られなかった。ジェニは多分まだ学校だろう……でも家に一人でいる事なんて出来そうにない。


 ジェニの家に着いた。中に入るといつものように出迎えてくれる人は誰もいなかったので取り敢えずカナリアさんがいるであろうリビングへと向かう。


 だがいつものソファーにその姿は無かった。


 僕が館中を探し回っていると、使用人の一人が庭園で花を見ていると教えてくれた。


 庭園に行くといつもの上品でグラマーな貴婦人の姿はなく、そこにいたのは涙で目をらし、髪も服もくしゃくしゃで、手に持った花の花びらをぶつぶつと言いながら一枚一枚千切っていく、不安と悲しみに暮れる一人の女性だった。


「なんでなん……?なんで……まだ帰ってこやんの……?なんで……」


 暗い表情で花びらを千切るその姿は普段のカナリアさんとはあまりにもかけ離れていて、なんとも声を掛け辛い。


「カナリアさん……」


 名前を呼んでみたはいいものの、僕は続く言葉を見つけられないでいた。


「アニマ君……ねぇこれは現実よね?現実なんよね……?」


「……現実だよ」


 何かにすがるようなジェニと同じ色のその瞳に、そう言うことしか出来なかった。


 呆然となるカナリアさんはまたぽろぽろと涙を流し始めた。


「ブジン君……私はいつまで貴方を……待っとればええん……?こんなん……あんまりよぉ……」


 そこからは嗚咽おえつが混じってよく聞こえなかった。


 僕にできる事は何もない。


 気の利いた言葉も、慰めも、今言葉にすれば余計にカナリアさんを傷つけてしまいそうだから。


 カナリアさんはその悲しさと寂しさと虚しさと言葉にできないあれこれを、僕を抱きしめることで流そうとした。


 ただ、どれだけ強く抱きしめても、流れていくのは言葉にならない言葉と、悲しい悲しい涙だけ。


「ジェニは今どこにいるの?」


 やがて少し落ち着いてきた頃にそう尋ねた。


 少し考えれば今日ジェニが学校に行っていない事など自明の理だったから。


「ジェニは……昨夜……転移紋広場に行ってから帰ってきとらんわ……アニマ君、私はもう大丈夫やから……様子見てきてあげて……」


 どこからどう見ても大丈夫じゃないけれど、家族想いで娘想いのカナリアさんはそう言った。


 自分がどんなに辛い時でもその本質は何も変わらない。


 カナリアさんは何よりも家族を大切にしている。だが今は、その家族が帰ってこない今は……


「うん……」


 カナリアさんは最後に僕の頭を一撫ですると、弱々しく僕を解放した。


 強烈なデジャブを感じる。


 以前僕は今と同じような状況になったことがある。


 あの時は……どうしたんだったっけ?






「ジェニ!!」


 ダンジョン前広場はいつもより人が多くて皆チームトウシンの話題で持ちきりだった。


 ジェニは出てくる時用の転移紋の前にじっと体育座りをしていた。


「アニマ……」


「町中で噂になってるよ……」


「オトンが……オトンがぁ……!」


「チームトウシンが全滅したって……」


「オトンは死んでない!!」


「でも、みんな絶望的だって」


「約束したんや!!」


「でも……」


「絶対帰ってくるって約束したんや!!」


 キツく睨みながら涙を堪えるジェニ。暫く拳に力を入れてプルプルと震えた後、力なく語り始めた。


「普通どんに遅くても順調に行けばダンジョン攻略者は1ヶ月以内には帰ってくるんや……逆に1ヶ月過ぎれば死亡扱いになる……クリーチャーズマンションは危険なとこや、順調やない時点で、なんらかのトラブルがあった時点で、生存は絶望的……」


 ジェニの体を仄暗ほのぐらいオーラが包んでいく。


 ああ、ダメだ。ジェニにその色は似合わない。


「でもオトンがそう簡単に死ぬわけない……!」


 ジェニは静かに顔を上げた。


「オトンは生きとる!生きて帰ってくるって約束したんや!きっと帰って来れやんなんかがあるんや!ジェニは……」


 信じられない。あのオーラに包まれた時は世界の全てを呪ってしまうくらいに辛いはずだ。


 それを自分の意志だけで乗り越えるなんて……!


「ジェニは……!」


 絶望の中、それでもその瞳に光を宿す。


「オトンを助けに行く!!」


 たとえそれが弱々しい光であったとしても、暗闇の中でたった一つ輝きを放つそれは、人々を強烈に惹きつける。


 やがてそれは象徴となり……


 


 僕はまた諦めていた。


 ジェニは確固たる意志を持って、その決意を言葉にしたのだろう。


 帰ってこないものなんだと……待ち続けても辛いだけだと思っていた……


 またあの頃を繰り返すのなら、もういっそ諦めてしまったほうが楽になると……


 そう思っていた……


 そうだ、まだ希望は残ってる。


 誰かが遺体を確認したわけじゃないんだ。ジェニの言う通りなんらかのトラブルで足止めを食らっている可能性も十分にあり得る。


 ただそれを自分たちでは解決できない可能性が高い。


 人が足りないのか、物資が足りないのか、理由は見当もつかないが今ブジンさん達が助けを必要としているのなら、誰かが手を差し伸べなくてはならないだろう。


 それを娘が自らの手を差し伸べると言っている。


 まだ12歳の僕の親友が……!


「アニマ、15歳になってからって約束やったけど、ジェニ……先に冒険者んなるわ」


 僕を巻き込まないようにたった一人で行こうとしている。


 『危険よ!!アニマはまだ子供じゃない!!』

 『素晴らしい才能の持ち主だ!!』

 『どこにそんなお金があるっていうのよ!!』

 『頑張れよ!』

 『絶対に許さない!!』

 『そこに確かにロマンがあるんだ!!』


 頭の中で母親とブジンさんの言葉が交互に浮かんでくる。


 僕の身を案じた母親の言葉。


 優しく豪快なブジンさんの言葉。


 弱々しい母親の背中。


 猛々たけだけしく勇敢なブジンさんの背中。


 母親と静かで平和に暮らすことと、ブジンさんの命。


 クリーチャーズマンションの危険と冒険のロマン。


 僕は……僕は……


 母親を置いてクリーチャーズマンションに行ってもいいのか?


 あの危なっかしい母親を、ガリガリのやせ細ったか弱い母親を、最近少しずつ喋れるようになってきた母親を、僕は置いていくのか?


 僕は……僕は……


 ブジンさんを助けに行かないのか?


 あの日勇気をくれた人を、夢を教えてくれた人を、人類最高の英雄を、僕の大好きなおじさんを!


 僕は……僕は……僕は……


 相対する感情が僕の心の中でぐちゃぐちゃに入り混じり、握りしめた拳に込められる力がどんどん増していく。


 ふと最後に浮かんできたのは、あの日の父さんの姿。


 笑顔で手を振った僕の英雄。


 世界一カッコいい僕だけの英雄。


 そうだな…………


「ジェニ!!僕も行くよ!!」


「え?」


「ただ待っていることが辛いのは、世界中の誰よりも知ってる!!」


「アニマ……でもまだジェニ達は子供で……クリーチャーズマンションは危険で……!」


「尚更そんなとこにジェニを一人で送り出すことなんてできないよ!!」


「でも……」


「それにいつか二人でクリーチャーズマンションを攻略しようって約束したじゃないか!!多少予定は狂ったけど、今がその時なんだよ!!」


「アニマ……うん、わかった!!!」


 どちらからともなく差し出した拳を二人こつんとぶつけ合う。


 ジェニの表情にはもう一片の曇りもなかった。






「いいアニマ。出発するなら早い方がええから、時間は明日の早朝。ジェニが迎えに行くでそれまでにできるだけ準備済ませといて!」


 ジェニは僕にそう言うと、そこで一旦別れて各々の準備の為に帰宅した。


 僕は早速準備に取り掛かった。


 必要なものは以前ジェニと買い物に行った時に粗方購入した。実践的な訓練の為に買ったものだけど、本当に本番で使う事になるとは。


 後は道具の点検と、歯ブラシや塩コショウなどの小物の準備。


 全ての準備が終わった頃にはもうすっかり夜も更けていた。


 リュックサックはパンパンだ。


 ショートソードも毎日素振りを欠かさなかったお陰で良く手に馴染んでいる。


 後は……そうだな……母親にはなんて言おうか。


 それだけが杞憂きゆうだ。


 正面からダンジョンに行きたいと言ってもまず間違いなく反対されるだろう。


 性格的に許可を出すなんてことは有り得ない。


 言い方を工夫しようとも、どこまで激しく怒るかという差しかない。


 ただ流石に何も伝えずに出ていくのは余計な心配と迷惑をかける。


 どうしたものか……






 コツン……コツン……


 ん?なんだこの音は?


 その音を目覚ましにして僕はベッドから起き上がった。


 あれ?いつの間にか寝ちゃってたみたいだ。


 コツン……コツン……


 この音は窓からか……何かが窓にぶつかっている。


 カーテンを開けて外を見ると、僕と色違いの冒険服とミニスカートに身を包んでリュックサックを背負ったジェニが、小石を僕の部屋の窓に投げていた。


 ジェニは僕と目が合うと、身振り手振りで何やら必死に伝えようとしている。


 窓を開けると、ジェニが小声で叫んだ。


「アニマ急いで!おっておって!」


 ……なんだそれ?折って折って?折り紙……?だとしたら何であんなに焦って……あ、いや追手か!


 僕は顔を洗う暇もなく冒険服に着替えるとリュックサックと剣を携えて部屋を出た。


 母親はまだ寝ている。


 でも無言で出ていくわけにも……そうだ!


 階段を駆け下りて、昨日のご飯の残りの一つを手で掴むと、口の中に放り込んだ。


 そしてもしゃもしゃと咀嚼そしゃくしながら紙とペンを用意すると、そこにこう殴り書いた。


『冒険に行ってきます』


 家を出ると広がっているのは東雲しののめの空、静謐せいひつな空気が肺を満たす。


 睡眠はしっかりとれた。疲労はこれっぽっちも残ってない。


 頭が冴え渡る感覚がある。


 今日はどんな一日になるだろうか……


「アニマ!オカンの説得に失敗したで家飛び出してきたんや!庭出る時追手組まれとったから追いかけて来とるはず……多分ジェニがアニマの家向かったのはもうばれとるし、クリーチャーズマンションに先回りされるかも!走るで!!」


「こほっこほっ……うん、行こう!!」


 なんとも締まらない幕開け、なんとも情けないジェニだがその瞳は光を宿している。


 始まるんだ。新しい一日が。


 始まるんだ。新しい冒険が。


「いたぞ!お嬢を捕まえろ!」


 期待に胸を膨らませていると追手の使用人たちが曲がり角から姿を現した。


「ヤバ!」


「逃げろー!」


 ジェニと僕は一心不乱に走り回った。


 ランジグの町をかくかくと曲がりながらクリーチャーズマンションを目指す。


 あがる息。弾ける鼓動。ほとばしる汗。


 地面から伝わる確かな反動をしかと受け止めて、力強く駆け抜ける。


 途中追手に挟み撃ちされかけたり、追いつかれそうになったりしながらも、二人並んで、走って、走って――


「あははははは!」


 クリーチャーズマンションが目の前に迫ってきた時、ジェニが笑い出した。


「あはは!」


 つられて僕も自然と笑いが零れた。


「「あはははははははは!」」


 僕たちは笑いながら転移紋の上に立った。


 汗だくの手を繋いで、息切れしながら顔を突き合わせて。


 シュンッ


 






**********






 そこに残されたのは悔しそうな顔をする数人の追手たち。


「あーあ、行っちゃいましたねあの子たち……」


 若い女が、30代の男に声をかける。


「ああ……」


 男は、じっとクリーチャーズマンションを見つめながら静かに返事をした。


「先輩どうするんですか?私達クビになるかもしれませんよ?」


 そんな男の態度に呆れるかのように若い女は言う。


「ああ……でも、楽しそうだったなぁ……」


「ええ、とっても……」


 尚もクリーチャーズマンションから目を離さずに言う男に、女も思い出すかのように下を向く。


「見ろ、クリーチャーズマンションが黎明れいめいの光に黒く輝いている」


「綺麗ですね……」


 クリーチャーズマンションを指さす男の言葉に女は静かに顔を上げると、反射する光に目を細めてしみじみと答えた。


「ああ……幼き冒険者たちに溢れんばかりの祝福を」


 こうして二人の子供が織りなす冒険は今ここに始まった。


 待ち受けるのは想像を絶する困難か、はたまた誰も見たことのない楽園か、生か、死か……


 未来は誰にも分からない。


 ただ彼らの冒険はきっと……


 ……

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