第3話 天の川の輝く夜に③


 土木仕事が終わってから夜の居酒屋の仕事まで約1時間。


 家に帰る時間もないので、ふらふらとした足取りで、いつものように公園へと向かう。


 気付けば雲ひとつない空はやけに暗い。


 


 家も道も木も人も黒いもやがかかったようだ。


 世界はこんなにも暗く鬱蒼うっそうとしているのに、道行く人たちは気にした様子はない。


 聖ダン・ザ・ヨン学院の生徒たちも、楽しそうに談笑しながら下校している。


 僕だって普通の家庭に生まれていたら……


 皆みたいに尻尾があったら……


 彼らのように冒険者になる夢を見ることくらい、許されていただろうか……


 どうしてみんな笑ってられるんだろうと考えた事は何度かあるけど、それでも疲れからか僕はこのことにあまり違和感を抱いてはいなかった。


 暫く悶々もんもんとしながら道を歩いていると、僕の一番嫌いな色が見えた。


 悲痛ひつうさをそのまま絵の具にして水に溶かしたようなその色を、全身に漂わせた幼女がそこにいた。


 おかっぱにしたオレンジ色の髪。眉は不安に曲がり、視線は常にキョロキョロとしていて、その小さな体を暗い影が覆っている。


 そんな色の幼女を見たら、僕はいてもたってもいられなくなっていた。


「やあ、どうしたの?何か困ったことでもあったの?」


 見た感じ5歳くらいのその幼女に目線を合わせて尋ねると、幼女は青色のスカートをキュッと握り、今にも泣きそうな顔をしながら、話していいものかと少し迷ったあと、僕が笑顔を向けるとやがて安心したのかぽつりぽつりと話し始めた。


「……あのね、おばあちゃんがね……おばあちゃんがね、かぜでね、たおれたの……すっごくね、あつくてね、つらそうなの……

 おばあちゃんはね、ねてたらげんきになるってね、だいじょうぶだってね、そういうの……でもね、でも……とってもくるしそう、なの……

 だからね、おくすりかってきて、あげようと、おもったんだけど……おくすりやさん、みつからなくて、そしたら、わかんなくなって……それで……それで…………ひぐっ、ううぅぅ」


 幼女は誰かに話せたことで安心したのか、必死にこらえていた涙が溢れ出してしまったようだ。


 まだこんなにも小さな子供が、おばあちゃんの為とはいえ独りで外に出るのはとても勇気がいったことだろう。


 その健気な姿を見ていたら、自分が満身創痍まんしんそういだなんてことはつい忘れて、と、そう思ってしまった。


「泣かないで、もう大丈夫!僕が一緒について行ってあげるよ。薬屋さんまで案内してあげる。一緒におばあちゃんを助けよう!」


「……うん。さんきゅーおにいちゃん!」


 幼女は一瞬おどろいた後、そでで涙をぬぐい、その赤くなってしまった大きな目を、精一杯細めたのだった。






 道すがら幼女と色々な話をした。


 幼女の名前はリリ・カーネル。


 両親は共働きで、昼間はいつもおばあちゃんと2人で遊んでいるそうだ。


 おばあちゃんは占い師で変わり者だけど、すごく元気で面白くて、優しくて、そんなおばあちゃんが大好きなのと、リリは笑顔でそう言った。


 どちらからともなく手を繋いで歩いていくと、ようやく目的地に辿り着いた。


 リリは薬師におばあちゃんの病状を伝えると、手のひらに握りしめた小銭を数枚手渡した。


 それはリリのなけなしのお小遣いなのだろう事は明らかだった。


 薬師は丁寧に受け取ると微笑ほほえみ、「これは凄い大金ね、ちょっと待っててね」と言い、店の奥へと消えていった。


 薬師を待つ間、リリは不安なのかずっとどこか落ち着かない様子だった。


 数分後、薬師が薬を手に持って現れた。


「これを飲んだらおばあちゃんは良くなるはずよ。もしそれでも治らなかったらまた来てちょうだい。小さいのによく頑張ったね」


 リリは薬を受け取ると笑顔で「さんきゅー」と舌足らずな可愛いお礼をした。


「あの、お金足りないですよね?いくらですか?」


 僕がポーチからお金を取り出そうとすると、


「それは貰い過ぎね」


「でも、」


「適正価格よ」


 リリの笑顔を嬉しそうに見ながら、それが薬師の本分だと言わんばかりに。


 でもリリはやがて下を向き……


「おばあちゃん、だいじょうぶかな……」


 とうとう不安が零れ落ちた。


「おにいちゃん、おかげで、おくすりかえたよ。おくすりやさんのおねえちゃんも、ほんとうにさんきゅーなの。リリはもう、かえるね」


 リリはそうとだけ言うと独りで帰ろうとする。


 遠慮や焦りや不安といった感情が心の中で渋滞を起こしているようだ。


 それでもリリは弱音は吐かない。ただおばあちゃんの為にまた独りで帰り道を行くのだろう。


 そんな背中を見てしまったら、もうほっとけないじゃないか。


 こんな健気な子を独りにしてはダメだ。


 多くの人に囲まれて幸せでいないとダメだ。


 笑っていてくれないとダメなんだ!


 この時の僕は、とうに疲れが限界を迎え、立っているのも不思議なくらいの状態だった。


 多分脳内麻薬のうないまやくがドバドバ出ていて体を騙し続けているんだと思う。


 踏み出す一歩がとても重い。


 それでも僕は迷わず足を動かした。


 そしてリリの背中を掴む。


「僕もついて行くよ。最後まで君の力になりたいんだ」


 リリは少しうつむいてふるふると震えた後、今度は少しうるんだ瞳でひまわりのように笑った。






 2人並んで道を行く。


 もちろん手を繋ぎながら。


 でも僕はどちらかというと手を放したかった。


 なにも可愛い幼女と手を繋ぐことが嫌なんじゃない。


 手を繋ぐこと自体は嬉しいことだ。それが走りながらでなければ……


 そう、体格差のせいで走りにくくてしょうがないのだ。


 何度も手を放そうとしたが、リリがそれを頑なに許さない。


 説得を試みるも、一度決意を固めた幼女を説得するなんて、豆腐の角で頭を割るが如く難しいことで……


 そうこうしているうちにリリの家に着いた。


 家に着いた瞬間、リリは僕がいることなんか忘れておばあちゃんの所へ飛んで行った。


 おいて行かれた僕は他人の家に勝手に入るような気まずさを覚えながらも後を追いかけた。


「キャーーーーー!!!」


 奥からリリの悲鳴が聞こえてきた。


 ……まさか間に合わなかったのか?


 そんな馬鹿な……そんなことがあってたまるか!!


 ぷつぷつと筋繊維きんせんいが切れる音を無視して、猛ダッシュでリリのいる部屋へ駆け入る。


「おばあちゃん!おばあちゃん!!おきてよ!!おばあちゃん!!!」


 そこには横たわる老婆を必死に泣きながら揺さぶるリリがいた。


 白髪交じりのオレンジ色の髪をおかっぱにして、顔や腕はしわくちゃになっている。紺色のローブの淵には何やら複雑な模様が描かれている。


「リリ!!」


 横たわる老婆に近づきリリと変わる……良かった。息はある。


 リリが勘違いしてしまっただけで、どうやら寝てるだけみたいだ。


 具合もそれほど悪くはなさそうだ。


 ほっと一息つくと、そのことをリリにも伝えた。


 リリは安堵すると同時に感極まったのかそのまま老婆に抱き着いた。


「うう……ヒヒヒッ、リリ。どうしたんだい、そんなに引っ付いて。ヒヒヒッ、まるで便器にこべり着いた糞みたいじゃないか」


 その衝撃で老婆が目を覚ました。それにしても孫に対してなんて例えだ。


 リリから変わっているとは聞いていたがその片鱗へんりんが垣間見えた気がする。


「おばあちゃん!これ!おくすり、リリがかってきたの!」


「リリが……?独りでかい?ヒヒヒヒヒ……」


 老婆はそこであたりを見渡すと僕と目が合った。そして、「ああ……」と納得したようだ。


「お前さん、サンキューじゃ!優しいんじゃのう。ヒヒッヒヒヒヒヒ……リリもサンキューなのじゃ!」


 そう言うと老婆は薬をグッと一飲みした。


「ヒヒッヒヒッヒヒーヒヒヒヒヒ…………これはっ……凄い効き目じゃ!!体の底からみるみる元気が湧いてくる!リリのおかげじゃ。本当にサンキューなのじゃ。ババはもう元気一杯じゃ!」


 老婆は笑顔でガッツポーズをとり元気だという事をアピールすると、リリの頭をこれでもかというほどわしゃわしゃと撫でまわした。


 いくら良い薬でもそんな直ぐに効くわけないのに、まったく優しいおばあさんだ。


「ところでアニマと言ったかの……お前さん。ヒヒヒッさっきから気になっておったが、ヒヒヒ……じゃろう?」


 老婆は突然そんなことを言い出した。


 驚いた……他人にそんなことを言われたのは初めてだ。


 当然リリもぽかんとしている。


「どうして……まさか!あなたも見えているんですか!?」


「ヒヒッヒヒヒヒヒッ見えてはいない……じゃが、分かる……ヒヒヒ、お前さんは他人のオーラを直接その眼で見ておるんじゃろう?」


 枯れ木のような老婆はしわくちゃになった細い目を薄っすらと開き、僕の眼を覗き込む。


「そっそうです!そうなんです!いや、正確には人の感情とか、存在感とか、そういった気配のようなものが体から湧き出るオーラのようなものとして見えているというか……色として分かるというか……うまく言い表せないけど、昔からそういった人には見えないものが見えるんです!」


 あまりにピタリと言い当てられたことで僕はついつい話してしまった。


 ダメだこんなことを言ったらまた気味悪がられる。


 ただでさえ僕には尻尾の一つもないのに……


「ヒヒヒ……それは、恐らくというものじゃろう」


「…………共感覚……ですか?」


 老婆は気味悪がるでもなくただ純然とそう口にした。


「ヒヒヒヒヒヒヒ、わしも専門家ではないから完璧に知っているわけではないのじゃが、聞きたいかの?」


 この人なら何か知っているかもしれない。もっとこの人の話を聞いてみたい!


「はい!!」


 老婆は勢いよく返事をした僕を見て微笑むと、少し間を開けてから話始めた。


「ヒヒッヒヒヒヒヒヒ……では、共感覚というのは、本来文字や音などを色として捉える事ができる感覚のことじゃ。ヒヒヒ……この感覚自体は特に珍しいものではないのじゃが……お前さんの場合は、ヒヒヒヒヒ、感情や存在感まで色として捉えておる。こんなケースはわしでも聞いたことは無かったのぅ」


 そこでいったん老婆は腕を抱え、少し考える仕草を見せた。


 成程、共感覚か。


 僕はその中でも相当珍しいタイプと。


「ヒヒヒヒ……これはわしの仮説じゃが、オーラ……つまりという事なのかもしれんのぅ……ヒヒッヒヒッヒヒヒ……」


「魂、ですか……そう意識したことは一度もありませんでした。でも言われてみれば確かにそうかもしれません」


「たましい~~~!!」


 ここで長い話に飽き飽きとしたのかリリが話に入ってきた。


 元気なことこの上ないな。


 老婆はリリの頭をなでて、「よ~しよしよし」と宥めている。


 いや馬じゃないんだから、あしらうにしてももっと人間らしくあしらってあげようよ。


「ひひ~ん!ぶるぶるぅ……」


 馬でした。ただの甘えん坊なじゃじゃ馬でした。


「……だとしたらお前さんの目には、世界がさぞ色鮮やかに映ってしまうのじゃろう。綺麗なところも残酷なところも……ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ……」


 老婆は真剣なトーンでうれうように言った。


「ヒヒヒッお前さんは間違いなく善人じゃ。でも今は、ヒヒッ色んなしがらみに押しつぶされそうになっているように見える。このババの目にはのぅ。ヒヒヒヒヒ……」


 確かにそうかもしれない……昔から頼み事は断れない性格だった。


 辛そうな人がいたら何かしてあげたいと思って生きてきた。


 でもそれが少しでも僕にとっていいことにつながっただろうか。


 人の分まで抱え込んで、背負わなくてもいい荷物を背負って生きてきたんじゃなかろうか。


「ヒヒッ安心せい!近いうちにきっと見つかるのじゃ。何もかもを吹き飛ばすような、お前さんにとってのがの」

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