第2話
姉貴のマンションに入れてもらいリビングに通してもらうと――ところどころに観葉植物なんかが置かれていて思った以上に広くおしゃれな空間だった。
とりあえず言われるがまま、ソファーに腰を下ろす。
「で、どうしたんだ。その子は?」
「部屋の前に居たから保護した」
「ふむ。つまりお前は首輪のついていない猫を拾ったという事だな?」
なんとなくそうかなとは思っていたがやはり猫らしい。
「って、ゆーか、耳とか見ないでよくわかるな、姉貴!」
「何年この街で獣医やってると思ってる。顔立ちと目の色見りゃじゅうぶんだ。それに栄養状態もかなり悪いみたいだな」
「あぁ、できれば何か食べさせてもらえるとありがたい」
「わかった、後で何か用意しよう。それよりもだ! 首輪の付いていない犬や猫を保護したと言って売りさばく悪質な輩も少なからず居る。お前はその類ではないと信じたいが」
じーーーっと俺の目を睨むように見続ける姉。
「んなこと、するわけねぇだろうが! ってゆーよりも、診てやってくれねぇか⁉ 体中あざだらけだし、火傷だと思うけど、そっちの痕もひでぇ」
「ちっ。そーいう手合いか」
姉貴は心底嫌そうな顔をして診てくれようとするが……
ミウが嫌がって俺から離れようとしない。
「大丈夫だかからな、ミウ。この人は俺のお姉さん。意味は分かるよな?」
「ミウ」
小さく頷いてくれたが、ガタガタと震えていて本当に怖がっているみたいだ。
「もしかしてお医者さん嫌いだったりするか?」
「み、ミウ」
今度は、小さく首を振る。
どうやら、姉貴そのものが怖いみたいだ。
「やれやれ、これは相当だな……」
「なぁ、やっぱりかなりまずい状態なのか?」
「だろうな、心的ストレスにより過度の人間恐怖症になっている可能性が高い」
「なぁ、ミウ。とりあえず頭だけでも診てもらおう……な?」
なるべく優しく言ってみてたつもりだが首をぶんぶん振っている。
「ん~。どうしても見せるのが嫌なのか?」
またしても、首をぶんぶん振っている。
なるほど、そーゆーことか。
自分で見せるとなると、俺をつかんだ手を放さなければいけない。たぶんそれが嫌なのだろう。
「わかった、じゃぁ、俺がミウの頭見せるのは怖くないんだな?」
「ミウ」
小さく頷いてくれた。どうやら思ったとおりらしい。
パーカーの頭の部分を、ゆっくり外してやると――姉貴が息を飲む。
「――っ。これは予想以上だな。いくら非常な回復力を持っていると言っても完治は難しいかもしれん」
「でも、良くはなるんだよな?」
「あぁ、残念な事に、この手合いも私の守備範囲内だ」
「そうか。良かったなミウ。姉貴が治してくれるってよ」
「ミウ?」
不思議そうな顔して俺を見上げている。
「大丈夫だって、姉貴金にはうるさいけど、それなりに優しい人だからさ」
「そうだぞ、治療費は全額智也が払ってくれるから安心して私に治療させればいい」
「え、俺⁉ って、ほかに誰もいねぇのか……」
「みっ、ミウ」
ミウが首をぶんぶん振っている。
なんとなく、言ってる事が分かる気がする。
「ダメじゃない。ダメじゃないぞ。ケガが治って元気になってくれたらそれでじゅうぶんだから……な?」
「みっ、ミウ!」
「いいんだって、たぶん家族割とかで安くしてもらえるはずだから。そうだよな姉貴?」
「あ、あぁ。そうだな、考えておこう」
「ほら、な?」
「ミウ……」
やはり完全に納得はしてくれないか。
「じゃぁ、こうしよう。元気になったら俺の身の周りの世話をしてくれ」
「ミウ……」
まるで、そんなことでも良いの? と言いたげな顔で首を傾げている。
「あぁ。俺、料理とかあんまりしないから。できれば美味い飯でも食わせてくれたらありがたい」
「ミウッ!」
ようやく頷いてくれて、一安心したところでチャイムが鳴った。
どうやら、警察の方が来たようだ。
*
姉貴と一緒に入ってきたのは――姉貴と同じか、それよりも年上っぽく見える女生と、20代前半くらいだろうか? 長身で、かなりイケメンの犬っぽい男だった。右目に眼帯をしている。
「あぁ、安心しろ。私は三上倫(みかみりん)警察に属する者ではあるが、お前さんの姉の友人でもある。悪いようにはしないから本当の事を話してくれ」
姉貴の隣に座った女性――三上と名乗った人の眼つきが怖いからだろうか、ミウはより一層俺にしがみ付いている。
「わかりました。俺の部屋の前にこの子がいて保護しました」
「つまり、猫を拾ったという事で間違いはないんだな?」
「はい、それでいいと思います」
たしか調書とかいうやつだよな、住所とか名前とか聞かれて三上さんが記入していく。
「ってと、本題はそっちの猫の方だが……。おい、お前の名前はなんて言うんだ?」
ミウは、すっかり怯えてしまって何も応えようとしない。
「たぶんですけどミウでいいと思います」
「代弁してくれるのは嬉しいが、できれば直接聞きたい。もちろん住所も分かれば教えて欲しい」
でもなぁ、基本ミウとしか言わないし……どうすんだよ、これ?
「なぁ、ミウ警察って分かるか?」
「ミウ……」
頷いてくれた、やはり知識としてはそれなりにあると考えて良さそうだ。
「あのな、ミウ、この人はミウの事を捕まえに来たんじゃないんだ」
「ミウ?」
軽く首を傾げて不思議そうな顔をしている。
「そうですよね三上さん?」
「あぁ。捕まえるとしたら、むしろ持ち主の方だろうな」
「ほら、な。ミウ怖い人じゃないから……な?」
「ミゥ……」
ミウは、俺の服をぐいぐいと引っ張り何かを訴えている。
「どうした? 名前きちんと言えるか?」
「みっ、ミウ!」
一瞬だが、右手を放し三上さんの持っているペンを指さした気がした。
「もしかして、字が書けるのか?」
「ミウ!」
強く頷いてくれた。
なるほど、言葉は上手くしゃべれなくても文字は書けるのか。
「三上さん。住所とかミウが書いたらダメですか?」
「だったら、智実メモ用紙持ってきてくれ」
「まぁ、いきなり呼び出したのはこっちだし、今日のところは素直に従いますよっと」
姉貴が持ってきてくれたメモ用紙をガラスのテーブルの上に置く。
ミウが書きやすい高さに調整するため――俺はフローリングの床に直接座ってミウを抱きなおした。
きちんと文字が書けるように。
するとミウは俺なんかよりもよっぽど綺麗な文字で、上鏡3087-15、美羽、14歳と書いたのだ。
そして、すぐに俺にしがみ付く。
「よーし、えらいぞ美羽よく書けたな」
「み、ミウ!」
少し嬉しそうに頷く美羽とは対照的に、姉貴も三上さんも嫌そうな顔をしていた。
「ちっ、やっぱりか。おおかた財産目当てで引き取って後は好き勝手やってたってパターンか」
「あぁ。残念ではあるが智実の推測であってるだろう」
「そうなんですか?」
「あぁ、上鏡と言ったらこの街でも特に金持ちが多い地区だからな。育ての親が亡くなった途端に天国から地獄ってのが少なからずあるんだよ」
三上さんも相当頭に来てるみたいだが、その後ろに立っているイケメン君もかなりイラっとしてる。
そして、もちろん姉貴も。
「なぁ、倫。この子は智也が引き取っても問題ないよな?」
「あぁ、少し時間はかかるだろうが書類は用意する。それから長瀬智也君だったな」
「はい」
「出来る事なら、その子を見捨てないでやって欲しい」
「や、見捨てるも何も……」
しがみ付いて離れねぇし。
それに――
「確か、手続きとかもあるんですよね?」
「安心しろ、智也。それは私の方で教えてやる」
「そうだな、そこらへんは役所関係も含めて智実の方が適任だ。ってと、行くぞリク!」
「はい! 倫さん!」
「リク! 徹底的にたのむぞ!」
「はい! 任せて下さい智実の姉さん! ギッタンギッタンにしてやりますんで!」
なんか闘犬としてのオーラってやつだろうか?
ただでさえでかいのに部屋を出ていく姿は、より一層でかく見えた。
*
鏡原――この街では、本来の目的から外れ人型の犬や猫を我が子のように育てる者が一定数居る。
主に金持ち連中らしいのだが、それらを相手にした商売が成立しているのも事実。
専用の学校なんかもあり。学びたければ金次第でどうとでもなるそうだ。
そんな話を聞きながら、俺と美羽は――姉貴が非常食だと言って持ってきてくれたカップ麺を食べていた。
どうやら美羽は警察に捕まるのが怖かったみたいで、それがないと知ると、少なからず安心してくれたみたいだ。
ただ、俺から離れるのは嫌らしく。今も俺は美羽が食べやすい高さに調整するためフローリングの床に直接座っている。しかも、正座でだ。正直なところ、ちょっと足がしびれてきてて、痛い。
それでも、きちんと箸を使って食べてるところを見ると微笑ましくもあり。我慢していた。
「なぁ、姉貴。今日ここに泊ってもいいか?」
「いいも悪いも、しばらくの間。まともに外にも出れんぞ」
「は? なんで?」
「なんでも何も、いいか智也。お前はまだ美羽の正式な持ち主になったわけじゃないんだぞ」
「それくらいは、分かってるつもりだけど」
「だったら首輪をしていない猫を連れて歩く意味を少しは考えてみろ」
「あ……どうすんだよ! 明日、荷物届く予定なんだけど!」
「まぁ、美羽にはココで待っててもらうしかないだろうな」
「な、なぁ、美羽、お留守番ってできるか?」
「ミゥ……」
頷いてはくれたが、ガタガタと震えながら泣いている。
「う……」
思った以上に精神的ダメージはでかかった。
「ゴメンな美羽。それまでの間なるべく一緒に居てやるから……な」
泣き止んでくれと願ってはみたが……
結局、姉貴が来局用の布団を用意してくれて寝付くまでの間――ずっと泣いていたのであった。
*
翌日姉貴から合鍵を受け取った後――
アパートで荷物を受け取ると、最低限の着替えや日用品だけを持って姉貴のマンションへ向かって走った。
玄関を開けると、涙でぐしゃぐしゃになった美羽が飛び付いてきた。
息を整える時間もない。
「ご、ゴメンな、美羽」
「ミゥ~~~」
よほど寂しかったのだろう。泣きじゃくっている。
姉貴が仕事行ってる間は好きに使っていいって言ってくれたし。
汗でべとべとで気持ち悪い。
「なぁ、美羽。一緒にお風呂入ろうか?」
「ミウ」
美羽は、泣きながらも頷いてくれた。
なんとなく女の子の前で裸になるのは恥ずかしくもあったが、あきらめるしかない。
それに、シャンプーとか使えるのもうれしい。
昨日は、ただお湯で身体洗っただけだったからな。
俺にいたっては、風呂に入れなかったし。
風呂場を見つけ中を覗いてびっくり。
「なに、この広さ!」
愕然とするくらいの差を見せつけられた。
それなりに稼いでいるとは聞いていたが……
ここまで違うのかよ!
バスタブは2人で入ってもゆったりどころか見たこともない機能が付いてて――
はっきり言って使い方がわからん!
テレビまで付いてるし。
俺のアパートのなんて二人で入るとしたら――いや止めよう。これ以上考えてもみじめになるだけだ。
むしろ、このなんだかよくわからん機能満載のお風呂をしばらく楽しめる事に感謝しておこう。
とりあえず普通に使う分には問題ないだろうと思い、湯はり自動と書かれたボタンを押してみる。
ジャバジャバとお湯が出てきてバスタブに溜まっていく。
よし。いいかんじだ。
そして、脱いだ服を洗濯しようと思いドラム式の洗濯機に放り込む。
「スゲーぞ美羽。これ乾燥機能まで付いてるやつだ!」
「ミゥ?」
まるで、普通はそうじゃないの? と言わんばかりの顔をされた。
そうだよなぁ。こいつ金持ちの家で育てられたんだもんなぁ。
むしろ俺なんかのとこじゃなくてココで暮らした方が美羽にとっては良いような気がする。
姉貴なら金も持ってるし、美羽に元の生活と同じかそれ以上の暮らしを約束してくれることだろう。
でも、選ぶのは美羽だ。
たぶん、貧しくても俺と一緒を選ぶ気がする。
「ほれ、一緒に洗うから美羽も脱いだやつ入れてくれ」
「ミウ」
今のところ脱ぐと言ってもパーカーだけである。
下着も含めて姉貴が用意してくれる事になってはいるが……いったいいくら請求されるんだろうか?
それにしても、見るに堪えない身体である。
姉貴から聞いた限りでは、痣はしばらくすれば何とかなるそうだが、火傷の方は『それなりの覚悟をしてくれ』と言われている。
もちろん金額含めてのことなんだろうなぁ。
いや、金の事を考えるのもよそう。
どうせなるようにしかならないんだからな!
「んじゃ、風呂入るか」
「ミウ!」
とりあえず美羽に先に入ってもらおうと思い身体を洗ってもらったが……なぜか湯船に浸かろうとしてくれない。
少しでも俺の近くに居たいからだろうか?
自分の身体を洗いながら聞いてみる。
「もしかして、一緒じゃないと入りたくないのか?」
「ミゥ」
頷いてくれた。どうやら正解らしい。
やたらと甘く良い匂いのするシャンプーを使わせてもらいシャワーで流し終わると――待ってましたとばかりに美羽が張り付いてきた。
お姫様抱っこして一緒に湯船に浸かる。
いいなぁ、この足伸ばせる感じ。実家のアパートもあまり良い風呂じゃなかったからなぁ。
「気持ちいいなぁ、美羽?」
「ミゥ~」
ふんにゃりと、安心しきった笑みで頷いてくれた。
これで風呂嫌いでないことだけははっきりした。
昨日なんであんなにも嫌がったのか理由を聞こうとおもったが……なんとなく聞かない方が良い気がして言葉を飲み込んだ。
ゆっくり風呂に浸かってから出ると棚に入っていたバスタオルを使わせてもらう。
「ほれ、しっかりふくんだぞ」
「ミウ」
持ってきたバッグを開き中から着替えを取り出す。美羽には灰色のパーカーを手渡した。
着替え終わると、昨日はできなかったドライヤーを……って!
どこに置いてあるかわかんねぇ!
ぱっと見た感じだとここには、ないみたいだ。
姉貴の部屋とか探せば出てきそうな気もするがさすがに気が引ける。
「ごめんな美羽。今日も髪の毛、自然乾燥で我慢してくれ」
「ミウッ」
別にそんなこと気にしませんって顔して頷いてくれてはいるが、心苦しい。
こんなことならドライヤー持ってこればよかった。
姉貴が帰ってきたらどこにあるのか聞いておこう。
「んじゃ、洗濯しちまうか」
バスタオルを投入してスイッチオン。
自動で洗剤が出て来たり乾燥までしてくれるとか便利なもんだ。
「一応言っておくが、俺の部屋には洗濯機なんて便利なもんはないからな」
「ミウ?」
「つまり洗濯一つとってもめんどくさい生活をしなきゃいけないってことだ」
「ミウッ!」
なぜか嬉しそうに頷く美羽。やはり不便でも俺との生活を望んでいるみたいだ。
もしくは、貧乏生活ってのが想像できないだけなのかもしれないが……
*
昼飯もカップ麺――昨晩から続けて3連続である。しかも同じ豚骨味。
一応冷蔵庫も見てみたが、入っていたのはほとんどが酒。
昔から姉貴、料理はしない派だったからなぁ。
予想通りっちゃ予想通りだが。
少しは努力しろよな。俺も人のこと言えんけど。
普段は何食ってんだろ?
何となくだが、コンビニ弁当あたりで適当に済ませてる姿が容易に浮かぶ。
「なぁ、美羽は料理って出来るのか?」
「ミゥ……」
申し訳なさそうに首を振った。
前途多難である。
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