1-3 カダ王国の入国審査「先生! バナナはおやつに入るんですか?」
シフが朝起きると、スィラージが何故かパンツ1枚でひっくり返っていた。何があったのか知らないが、誰も指摘しない。室内はまだ薄暗い。
シフ「起きろ朝だぞー」
ガボルア「さすがに疲れがあるな」
スィラージ「あーよく寝た」平然と服を着る。ケツを掻く。まるで自分の家のようにくつろいでいる。ボカン! 思い切り屁をかます音。
シフ「ぐはっ! 目に染みる、臭い!」
ビル「さあ、さっさと食べてくれ。朝飯はみんな大好きジャガイモだぞ」
シフ「やったぜ♪ だからパパン大好き♪」
ビル「……まさか、お前さん、そういう趣味なのか?」
シフ「いや、違うけど」
ビル「そうか……?」
眺めるルシールは何とも言えない顔。ビルと目が合い、冷然と正面から見返す。
ビルが気まずそうに顔を逸らした。
旅人の朝は早い。日の出前には朝食を済ませ、ほとんど日の出と同時に宿を出る。
今日も快晴。数分で砦の正門に着いた。
正門の前では兵士が30人ほど整列、朝日を浴びて体操をしていた。
「1、2、3、4」きびきびとした動き。鍛えられた体。
「5、6、7、8」
シフ「ほう、こんなところであれを見ることができるとは」
ルシール「何あの踊り?」兵士たちが上体を大きく反らせる。
シフ「うっそマジ、知らないのか?」
スィラージ「おっくれてるぅー♪」
ルシール「…………」ムカ。
シフ「まあ落ち着けよ、あれは踊りじゃなくて体操って奴だ。運動する前に体をほぐして怪我を防ぐ。それが体操だ」
ルシール「へえ」
シフ「ローマの軍隊に最近導入されたというのは聞いていたがな」
スィラージ「結構有名なんだぜ」
シフ「健康増進にも効果があるらしい。うちでも取り入れるべきか考えているところだ」彼は意外にも健康マニア「金もかからないしな」
ルシール「なるほど」
スィラージ「THEワールド」
シフ「時よ止まれ」
ルシール「? さすがのあたしでもクイックタイム(※1)は使えません」
兵士たちの朝礼が終わるのを待って砦に入る。
カダ王国の入国審査は比較的厳しい。4人は審査官の対面に席を与えられた。
審査官は40くらいの気さくな男。茶を啜りながら提出された入国申請書に目を通す。
審査官「おはよう。今日も良い天気だな」
シフ「そうですね、良い天気です。また暑くなるでしょうね」
審査官「ああ、暑くなるだろうよ」
シフ「やっぱそうですか、暑くなると大変ですよね」
審査官「そ、そうだな」
シフ「ですよね! 暑くなるとマジ大変ですよね。でもこのあたりは乾燥してるからまだマシなんですよ。もっと南のジャングルなんか行った日にはもう、ジメジメのムシムシで(涙)」
審査官「そ、それは大変そうだな(汗)」
シフ「そうなんですよ、だいたいどちらかの暑さなんですよ。死にそうに暑いか、気が狂いそうに暑いか、こりゃもう全く大変ですよね」
ルシールが小声で「なんなのこの不毛な会話は……」
スィラージはにやにやしている。誰が相手でも変わらない。そこに痺れる憧れる。
審査官「とりあえず話を進めさせてくれ。ふむ、商用でアラビア半島を回り、アレクサンドリアへ戻る途中か。行きは紅海を船で?」
シフ「そうです」残念。もっと暑さについて話したかったのに。
審査官は提出されたギルド身分証明などの書類に目を通す「アレクサンドリアの交易ギルド『ベルドゥラルタ商会』のシフ・フィルサークレアに、スィラージ・コルテストゥーン。同じく傭兵のガボルア・ネルヴァヌフクス、か。お、これはローマ市民権(※2)! を持つパルミラ出身の占星術師ルシール・デュランザルフ殿か。いや、これは失礼を。わが王国とローマ帝国は友好関係にある旨、重々承知しておる。いわば貴方は我が国の客人でもある」
シフは驚いた。そんなもの持っていたのか。本当の御姫様なのかコイツ? ここまで何度か身の上話を聞こうとしたが、はぐらかされてばかりだった。
ルシール「ありがとうございます」
審査官「規則ゆえ、一応持ち物検査をさせていただくが?」
ルシール「どうぞ御存分に」
皆が机上にリュックサックを置く。無論、本当に大切なものは懐に隠したままだ。お互いの反応を見ながら調べは続く。不審があれば徹底的に調べられるのだろう。シフたちもそのあたり充分心得ている。
審査官「ところでラクダがいないようだが?」
シフ「盗まれました。貧乏が、ゆえに」ダテ眼鏡に手を添えて何故か決めポーズ。胡散臭いと不審は違う。ギリギリを攻めるシフ。
審査官「それは大変だったな。ラングーンから来たんだろ」さらっと流された。残念です。
十数分後、審査官「異常なし。ではカダ王国へようこそ。我が国は皆様を歓迎いたします」
ルシール「ありがとうございます」
審査官「レグス(港町)滞在は3日ほどかい?」
ルシール「はい、おそらくそれくらいになりましょうか」
審査官「ふむ、水軍が砂鮫討伐の軍を出しているからもう少し長引くかもしれんが、まあゆっくりすると良い」
ルシール「砂鮫ですか」
審査官「カダ湖の北岸で最近増えていてね。一般渡航はお休み中のはずだ」
ルシール「そうですか。残念です」
審査官「港町で美味いメシでも食べると良い、今の内に」
シフ「何か懸案事項でも?」
審査官「別に何がどうということもないが、楽しめる時に楽しんでおくもんだろう、人生という奴は」
シフ「なるほど。では、景気とか治安はどうですか」後続の旅人もいないので話を広げてみる。
審査官「ん、そうだな。船が出ないから景気としては当然イマイチだろうな。あとは……北の、ローマ帝国との国境地帯に砂賊が出るという話があったくらいかな」
シフ「砂賊ですか」砂漠に現れる盗賊のことだ。
審査官は頷いて「ローマ人が何人か殺されて、ローマから討伐隊が派遣されたはずだ。正規兵が1個大隊だったか。もう終わってるんじゃないか」
シフ「へえ」ローマ軍正規兵の精強さは有名である。そこらの盗賊など足元にも及ばない。「ローマ人を殺すとは馬鹿な奴らですね」
審査官「まったくだ」ローマ市民権を持つ者がそれ以外の者に殺された場合、その追及はかなり厳しい。討伐隊による攻撃は徹底したものになるだろう。
優雅に会釈してルシール「さあ、下僕ども行くとしましょうか」シフもスィラージもとりあえず乗る。
スィラージ「サー! イエッサー!」
砦を抜ける廊下を歩きながらスィラージ「しかし下僕はねえよ、お姫様」
ルシール「苦しゅうないぞ、ふっふっふ」面白がっている。
スィラージ「まったく、良い性格してるよな」
シフ「右に同じ。まあ無事に入国できたから良いんだけどよ」
開き直ったスィラージ「はーい姫様! ノグソがしたいんですが! いつものように御一緒にどうですか!」
ルシール「死ね」
ガボルア「やれやれだな」
屋外に出ると、東に町並みとカダ湖の湖面が見えている。シフは問う。「ところでお前さん、占星術師だったのか」
ルシール「まあ、一応ね」
シフ「ふうん、どんな風に占うんだ?」
ルシール「……魔力を込めた六角鉛筆を転がして吉兆を占う、な、なに馬鹿にしてんのよ! 結構当たるんだから!」
スィラージ「えーと、占星術ってのはつまり星占いなんだけど?」
ルシール「あら知らないの? 星占いってのは星間に働く力、つまり引力の絡み合いから運命を読む占いなんだけど、鉛筆が転がる力って引力。そう、引力の影響下にあるの。だからそれなりの根拠はあるの。5回同じ目が出たら大吉、とかね」
シフ「はあ、なるほど……それで結構稼げたのか?」
ルシール「……あんまり」
スィラージ「へへ、生きるって辛いよなあ。あれ、おかしいな、目から水が」
ルシールは真面目な口調で「魔法は万能ではない。物事はバランスが大切だ」
シフ「うふ。お前は何を言っちゃってるんだ」
スィラージ「あっはっはっはっはっは」
ルシールは悔しそうに「……今に見てなさい」
シフ「まあ、普通に占い師よりは魔法使いの方が稼げるからな」一度頷く「それでお前さん、パルミラから来たのか。やっと教えてくれたな」
ルシール「言ってなかったかな」
シフ「愛と憎しみの坩堝(るつぼ)から来たとか、わけのわからんことを言っていたな、たしか」
ルシール「絶対に言ってないと思うけど」
スィラージ「それは俺のセリフだ」
シフ「あっはっは、そうだったかなあ?」
【※1 クイックタイム】伝説級の有名な魔法。昔話に出てくる賢者の得意技。自分だけ時間の密度を上げ、10倍以上に使うことができる。うまくすれば一呼吸の間に10回攻撃も可能。他者から見れば時を止められたかのように感じる。詳細な魔法式は不明。消費魔力大。これが使える魔法使いが現存するのか定かではない。別名オーバードライブ。
【※2 ローマ市民権】ローマ帝国の市民に与えられた、政府が保障した諸権利。参政権(選挙権と被選挙権)、婚姻権、所有権、裁判権、控訴権、ローマ軍正規兵になる権利、所得税免除、生活保護、公衆浴場入場権、コロッセウム入場権。ただし女性の場合は参政権無し。皆の憧れと誇り。税制優遇はさておき、それ以外の権利は現代では珍しくもない。これが皆の憧れだったということはそれだけ弱肉強食がまかり通り、理不尽が多かったのだろう。
主な入手資格は、まず血縁、それから一定以上の資産を有し一定の金額を納めた者、ローマ補助兵役の満期除隊者。そして以下の特約は本人だけのもので子には引き継げないが、帝国領内において医師、教師、魔導を生業とする者。
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