第7話 HAT
「よっ、と……」
袋で小分けにされた薬草が詰まった木箱を抱える。一袋なら軽いが、ここまで量が多いと流石に重い。
「それはこっちでお願い〜」
「はい!」
「ああ、床ってこんな感じだったんだねぇ……」
しみじみと眠りネズミが呟く。俺はその言葉に一体いつから床を見てないのだろう、と思った。
眠りネズミの部屋は入った当初は凄かった。足の踏み場がないのだ。
何かの瓶がごろごろと転がっているかと思えば、種類の混ざった薬草が床に寄せ集められていた。本は床に積まれたままで、逆に棚は何も使われていない。部屋は歩くだけで埃が立ちそうだった。
眠りネズミは、ものぐさだった。
「仕事の前に掃除なんて、災難だな、アリス」
「三月ウサギさん……どうしてこの部屋を放置していたんですか……」
「手に負えねぇ。俺は一年で諦めた」
「俺は半年」
「生活できればいいんだよぉ」
「普通はその部屋じゃ生活できねぇんだよ」
最初の頃は三月ウサギが面倒を見て部屋を片付けていたそうだが、一年で匙を投げたらしい。
寧ろ一年もこの部屋と格闘していたのか。尊敬の念を込めて三月ウサギを見る。
「本当にネズミに任せて大丈夫かよ。俺か帽子屋のとこでもいいんだぜ?」
「いや、俺、仕事にならなさそうですし……」
「だろうな。アリスには無理だろう」
タダ飯を食べるわけにもいかない。
世話を見てもらう代わりに、三人の中で眠りネズミの仕事を手伝うことにした。
勿論帽子屋と三月ウサギでも良かったのだが、仕事内容を聞いて無理だと悟った。
帽子屋は首と体を縫う仕事。
三月ウサギは縫う最中に暴れる患者の体を押さえつける仕事。
意味が分からないだろう。俺も意味が分からなかった。三回は聞き直した。
なんでも、女王が「首を撥ねよ」と断罪すると、ハートの国の女王が罪人の首を切るらしい。
この世界の妙なところは、首を切られた人物は死なずに首と体が分断された状態で生きることだ。
本来であればそのまま牢屋で過ごすのだが、三月ウサギが脱獄の手助けをして、帽子屋が首と体を縫うらしい。
やっぱり意味が分からない。
対して眠りネズミの仕事はあまりグロテスクでも物騒でもない。手紙で依頼を受ける薬師をしている。
正直な話、マトモな収入は眠りネズミが得ているらしい。だろうな、と思った。
「アリスくんはボクのお手伝いね。うん。召喚の魔法に目覚めてくれたら嬉しいかも〜」
「魔法」
「あっ。そうだったね」
眠りネズミは「うっかり」と呟く。
この世界に長いこと住んでる人からすると当たり前のことなのだろう。
だが記憶のない俺でも分かる。魔法はフィクションで、現実には存在しなかったものだ。
「元の世界にはなかったけど、ここの世界にはあるんだなぁ」
「一人一つだけだけどな」
「はぁ……」
「おいアリス。実感が湧かないだろ。物は試しだ」
帽子屋が手招きをする。帽子屋が被っているものとはまた違う帽子を差し出される。
「手を入れてみろ」
「えっ? はい……」
「もっとだ」
手が底に触れるはずが、どこまで手を伸ばしても指先が奥に当たらない。どんどん腕は飲み込まれていく。とうとう肘まで飲み込んだ。
「えっ、ちょっ、帽子屋さん! これなんですか!?」
「アリス。こっち見ろ」
今度は三月ウサギが声をかける。振り向くと、三月ウサギの手には俺が手を入れている帽子と似たものがあった。その帽子からは、腕が生えている。
「……は?」
「チョキにしてみろ」
呆然としながら指を動かす。向こうの手も同じようにピースサインを作る。
ますます混乱すると、三月ウサギがその手を掴み握手する。
「えっ、今誰かに握手され、えっ? はぁ!?」
「俺の魔法だ。ワープホールが作れる」
「スタートもゴールも帽子にしないといけないけどね」
「まさに帽子屋らしいだろ」
誇らしげに言う帽子屋に三月ウサギが呆れたように「やっぱりこいつイカれてるぜ。いかれ帽子屋だ」とぼやいた。
帽子屋が俺の手を入れていた帽子を上に上げる。それに合わせて俺の腕もずるりと引き抜かれた。
ちぎれていない。しっかりと俺の腕と繋がる手指に安堵しながら、指を動かしたり、もう片方の手で撫でたりする。
「……実家に帰らせていただきます……」
半泣きになりながら言うと、帽子屋が皮肉げに「実家どこだよ」と笑った。
慈悲の心はない。
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