第5話 TEA PARTY


 目を開ける。

 なにか夢を見たような気がするが、あまり覚えていない。


 ぼんやりと横たわったまま上を見る。カンテラが壁にかけられている。

 記憶喪失中の俺としては、当然、見覚えのない部屋だ。


 体を起こす。人は誰もいない。

 木製テーブルの上にはティーカップや皿が乱雑に置かれているが、書き置きのメモは見当たらない。


 勝手に動き回るのもなぁ……。


 大人しくここで待っていよう。

 かけられていたタオルケットを畳んでドアが開かれるのを待つ。


 ややあって扉は開いた。


「あれ? チェシャ猫〜? 君の連れ、もう起きてるよぉ〜?」


 入ってきたのは女性だった。

 ふわふわとしたミルクティー色の髪を顎下まで伸ばしている。ワイシャツの上からだぼっとしたカーディガンを着ていて、小柄な体型が更に小さく見えた。


 女性が外に呼びかけるも、返ってくる声はない。仕方なさそうに肩を竦められる。

 垂れ目が眠たそうに瞬きした後、彼女と俺の視線が合った。


「や、おはよう」

「おはよう……ございます……」

「まぁもう夕方なんだけどねぇ」

「夕方」


 確かチェシャ猫に担がれていた時は空が白んできた頃だった。

 だとすると、寝すぎじゃないか、俺。


「ボクは眠りネズミ。はいこれ」

「あっ、俺は……アリスです……」


 自分で慣れない名前を名乗るのはむず痒かった。

 眠りネズミは気にした素振りはなく、俺に冷えた濡れタオルを渡してくる。


「あの、これは?」

「冷やした方がいいよぉ。頭にコブが出来てる」


 額に触れる。確かに、大きなコブが出来ていた。

 意識をすると急に痛み始めた。渡されたタオルを大人しく受け取り、額に当てる。


「可哀想にねぇ。チェシャ猫、雑だから」

「はぁ。ありがとうございます」

「素直ないい子だ。益々チェシャ猫が連れてきたとは思えないなぁ。誘拐されてきたの?」


 はは、と苦笑いを浮かべる。

 確かにチェシャ猫なら誘拐でもなんでもしそうではあった。格好が不審者なだけあって違和感はない。


 不意にドアの向こうからバタバタと騒がしい足音がした。

 眠りネズミは額に手を当てる。沈痛な面持ちだった。


「おい、あの猫どっか行きやがったぞ! いけ好かない猫がどっか行ったパーティをしよう!」

「家が猫くせぇ! ネズミ、換気しろ換気!」

「うるさっ。君たち煩い。あっち行って」

「はぁ〜〜? 俺がわざわざ連絡しに来てやったんだが?」

「愛想悪いぞネズミ! もっと俺たちにも親切にしろ! にこにこ笑え!」

「あ〜煩い煩い。ほらアリスくんは病人。騒がしくするなら出てって」


 入ってきたのは二人の男だ。


 片方はシルクハットを被っている。

 色素の薄い髪をところどころカラフルなピンで留め、長い襟足を遊ばせている。

 切れ長の目と寄った眉が短気そうな印象を与えた。

 ワイシャツにベスト、革靴とかっちりしてそうな見た目ではあるが着崩れしていてどこかだらしない。


 もう片方は目つきの悪い三白眼の男だ。

 帽子男とは違い、だぼっとしたトレーナーを着ていてラフな格好をしていた。赤茶色の髪をぴょこぴょこと跳ねさせている。

 袖を捲った腕にはタトゥーが彫られていて、雰囲気と相まってどこか乱暴者のような怖い印象を受けた。


 短気そうな男と乱暴者のような男。あまり良い印象ではない。


「アリス? 猫の連れか」

「猫の連れなんか信用ならねぇだろ! 追い出せネズミ!」

「うん、だから、煩いって」


 ガツッ。鈍い音がした。

 眠りネズミはその細腕で二人の頭を掴むと、いとも簡単に互いの頭をぶつけた。


 ひぇっ。

 小さな悲鳴を押し殺して俺はベッドの隅へ寄った。

 にこにこ笑ってるくせにノーモーションで殴るの怖い。


「ほーら、アリスくん怯えちゃったじゃん」

「てめぇの馬鹿力に脅えたんだろ……俺の頭がぶっ壊れたらどうするんだ……」

「いかれ帽子はとっくに頭が壊れてんだろ……つーかマジで痛ぇ……」

「まだ騒ぐ?」


 頭を抑えながら床に転がっている男二人は、眠りネズミの言葉にピタリと動きを止めて黙った。


「アリスくん、こっちはボクのお仲間さん。帽子屋と、三月ウサギ」

「言っておくが、俺の職業は帽子屋じゃない。別の仕事をしている。与えられた名前が帽子屋なんだ」


 拗ねたように帽子屋はそう説明する。

 やっぱりこの世界は変だなぁと思いながら「はぁ」と相槌を打つ。


「……で、なんだっけぇ。チェシャ猫が出て行ったの?」

「え、あ! そういえばさっきそんなこと……!」

「綺麗さっぱり消えやがったぜ!」

「三月ウサギったら生き生きしちゃってぇ。二人ってば本当にチェシャ猫が嫌いだよねぇ」


 二人の存在に気を取られて、肝心な話の内容が頭に入っていなかった。

 俺の顔からざっと血の気が引く。

 頼りになるのはチェシャ猫だけだったのに、置いていかれたなんて。


「他にも何か言ってたでしょ」

「……『アリスを頼む』だとよ」

「うわぁ〜やられたね。巻き込まれたね。これ絶対巻き込むつもりだぁ」

「あぁ。俺らに押し付けやがった」

「ま、猫がこんなガキ連れて歩くなんて無理な話だしなぁ。一瞬でお陀仏だ」

「猫もそいつ庇ってお陀仏かもな」

「よし。こいつ猫のとこに連れて行ってやろうぜ!」

「三月ウサギって馬鹿だよねぇ」


 三人は俺を置いて話を進める。

 俺を保護するか、見捨てるか。

 俺は蚊帳の外からはらはらと事の顛末を眺めるしかない。


「そもそも猫が俺らに頼むってのも珍しい。こいつ、きっと猫にとっての弱点だな」

「そうだねぇ。運んできた時も、ちょっとだけ普段とは違っていたし」

「中々起きなくてオロオロしてたな……マジで傑作だったわ!」

「……こいつを保護してやって、猫に恩を作るのも一興だよな」

「あ〜そういう感じになるんだぁ? ま、ボクはどっちでもいいよぉ〜」


 三人がじっと俺を見つめた。

 居心地の悪さに、じり、と後退りする。それを逃がさないと言わんばかりに、眠りネズミが俺の手を掴んだ。にこにこと微笑んでいる顔が怖い。


「アリスくん。御茶会メンバーへ加入おめでとう〜」

「は?」


 ぎゅっと両手を包まれながら微笑まれる。後ろの二人はにやにやと悪どい顔で笑っている。

 言葉の意味は分からないが、嫌な予感しかしない。背筋にぞっと寒気が走った。


「……はぁ!?」

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