第4話 NOT YET


 ぺたぺたぺた。裸足で歩く。

 汗ばんだ肌にシャツが張り付く。暑い。汗が顎を伝う。ぱたりとフローリングの床に落ちる。

 茹だるような暑さを持て余していた。


 からからと音を立てるボロい扇風機の横を通って俺は声を出す。


「もーいいかぁーい」


 あ、これ、夢だ。


 なんとなく理解する。

 それでも目は覚めないし、体が自由に動くわけでもない。


 俺はゆったりとした足取りで誰かを探す。

 誰か。誰だっけ。思い出せないな。探さなきゃいけないのは確かだけど。

 軋む廊下を裸足で歩く。ぺたり、間抜けな足音が部屋に響く。


「もーういーいかぁーい」


 叫ぶ。暫くして、どこからか笑いながら声が返ってくる。女の子の声だ。


「まぁーだだよぉー」


 どうやらこのドアの先にいるらしい。

 俺はドアに背を預けてもう一度訊いてみる。


「もーいいかい」

「まーだだよぉ」


 くすくす、と含み笑いをする女の子の声に、俺は眉を下げながら笑った。


 仕方ないな。こいつ、こういうのが好きなんだ。こうやって俺を困らせるのが好きなんだよ。悪戯好きな可愛いやつなんだ。


「もーいいかい」


 ややあって、声は返ってくる。


「もういーよぉ」


 さぁ。ドアの向こうへ行って、見つけてやろう。きっとあの柔らかい笑顔が見えるはずだ。


 ドアノブを掴む。じゅう、肉の焼ける音がした。


「あづっ!」


 慌ててドアノブから手を離す。どくどくと逸る心臓が煩い。


 熱せられた鉄に触れたような熱さだった。

 震えながら手の平を見る。焼け爛れた肌が一瞬見えた。顔を歪めて手を握る。もう一度開く。火傷の痕一つ無い、すべらかな肌だった。


「……あれ?」


 なんだったのだろう。

 こわごわとした手つきでドアノブに触れる。あの熱さは嘘のように消え失せていた。


 もういいよ。そう言った声を思い出す。


「……もう、いいんだよな」


 そっとドアを開ける。部屋の中は暗い。部屋の中へ入ると、凄惨な状態であることが分かった。


 カーテンは引きちぎられるように中途半端に外れて、僅かに日の光が差し込んでいる。家具は全てなぎ倒されていた。ぬいぐるみやクッションはズタズタに裂かれていて、零れた綿が痛ましい。


 強盗でも入ったのか。そう考えるも、それにしては漁られた形跡は無い。

 ただ癇癪を起こして暴れただけのようでもあった。


「やっぱり、だめ」


 幼く笑う声が耳元で囁く。


 刹那、視界に炎が踊った。


 いつの間にか辺りは燃えているらしく、真っ白な煙で周囲が見えない。

 呼吸をしようと息を吸い込むと、熱い空気が肺を焼こうとする。


「げほっ……ごほっごほっ、なんだ……!」

「まぁーだだよ」


 視界が暗くなる。

 誰かが手の平で目を覆っているらしい。


「まだ思い出さないで」


 お前は誰だ。

 そう言いたいのに声は上手く出ない。くすくすと笑う声をただ聞いた。意識は徐々に薄れていく。


「もういいかい」

「まだだよ」

「もういいかい」

「まだだよ」

「もういいかい」

「まだだよ」


 幼い子供が二人、笑いながら遊ぶ声が遠い彼方から聞こえた。

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